「生まれながら」の「賜物」についての質問に対する答え

Tue, 20 Sep 2005 15:13:58 JST (4202d)

●「生まれながら」

まず「生まれながら」という言葉ですが、 確かに聖書では「生まれながら」という言葉に関して、ほとんどの場合、非常に否定的な意味で用いられています。 ですから説教の中でも、「生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。(エペソ2:3)」という最も否定的だと思われる御言葉を引用することによって、アクセントをつけて語りました。 しかし、今回語らせて頂いたテキストの中で、使徒22:28においてパウロが、「私は生まれながらの市民です。(生まれながらローマの市民権を持っているの意)」と語る時、ここでは「生まれながら」という言葉は、否定的には用いられていないのです。

●「賜物」

聖書全体における「賜物」という言葉の用いられ方を見ると、かなり広い意味で使われています。 以下に「賜物」に関する参照聖句を記します。

申命記 33:13 ヨセフについて言った。「主の祝福が、彼の地にあるように。天の賜物の露、下に横たわる大いなる水の賜物、 33:14 太陽がもたらす賜物、月が生み出す賜物、 33:15 昔の山々からの最上のもの、太古の丘からの賜物、 33:16 地とそれを満たすものの賜物、柴の中におられた方の恵み、これらがヨセフの頭の上にあり、その兄弟たちから選び出された者の頭の頂の上にあるように。

伝道者の書 3:13 また、人がみな、食べたり飲んだりし、すべての労苦の中にしあわせを見いだすこともまた神の賜物であることを。 5:19 実に神はすべての人間に富と財宝を与え、これを楽しむことを許し、自分の受ける分を受け、自分の労苦を喜ぶようにされた。これこそが神の賜物である。

詩篇127:3 見よ。子どもたちは主の賜物、胎の実は報酬である。

1コリント7:7 私の願うところは、すべての人が私のようであること(ここでは特に、結婚しないで独身生活をすること)です。しかし、ひとりひとり神から与えられたそれぞれの賜物を持っているので、人それぞれに行き方があります。

●「生まれながら」の「賜物」

新生(新しく生まれる)ということを考えた場合、まさに「生まれながら」の「賜物」として、神の子どもとしての特権が与えられるわけですから、 説教の中では、新生の前に与えられている何かではなく、新しく生まれた時に「生まれながら」にして与えられる「賜物」にアクセントを置いて語らせて頂いたつもりです。

でも、新生の前に与えられているもの、例えばいのち、からだの各器官とからだ全体の恒常性を保つしくみ、男性であること、女性であること、国籍、家庭環境なども、素晴らしい賜物だと考えています。信じる前の、つまり新しく生まれる前の能力、才能であっても、神から与えられた能力や才能である以上、単なる能力や才能以上のもの、つまり神からの賜物であるというのが私の理解です。