関東宣教区講壇交換 北秋津キリスト教会にて
聖書箇所:ヨハネ福音書1章1ー18節
しかし、この方(イエス・キリスト)を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。ヨハネ福音書1章12節
関東宣教区講壇交換 北秋津キリスト教会にて
聖書箇所:ヨハネ福音書1章1ー18節
しかし、この方(イエス・キリスト)を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。ヨハネ福音書1章12節
聖書箇所:使徒の働き9章23ー31節
こうして教会は、ユダヤ、ガリラヤ、サマリヤの全地にわたり築き上げられて平安を保ち、主を恐れかしこみ、聖霊に励まされて前進し続けたので、信者の数がふえて行った。使徒の働き9章31節
目からうろこが落ちて主イエスをキリストと信じ、バプテスマ(洗礼)を受けたサウロは、板挟みの苦しみを味わうことになりました。ユダヤ人たちからは四六時中いのちを狙われ、エルサレム教会からは恐れられ、受け入れてもらえませんでした。
そのような苦しみの中、主なる神はバルナバという人物を用いて、サウロが教会に仲間として受け入れられるように導かれます。バルナバはサウロを引き受け、使徒たちのところへ連れて行きます。そして、迫害者サウロがどのようにしてイエス・キリストに帰依するようになったのかを一生懸命説明しました。
エルサレム教会には、サウロによって家族が拉致されたり、殺害された痛みを持つ人々が、大勢いたことでしょう。しかしエルサレム教会は、主なる神がこのことをされたのだと厳粛に受け止めました。そして神を恐れるが故に、聖霊の慰めと励ましの故に、受け入れ難いサウロを、神の家族として受け入れたのでした。
行列のできる教会は、そのようにして築き上げられ、各地で信者の数がふえて行きました。
聖書箇所:使徒の働き9章1ー22節
するとただちに、サウロの目からうろこのような物が落ちて、目が見えるようになった。彼は立ち上がって、バプテスマを受け、・・・使徒の働き9章18節
サウロという人物は、キリスト教会(主の弟子たち)に対する大迫害者でした。この道の者であれば男女かまわず、見つけ次第縛り上げてエルサレムに強制連行しなければならない。そのような思いに燃え、彼はダマスコに向かっていました。
ところがサウロは、ダマスコ途上で待ち伏せしておられた復活の主イエスと、劇的な出会いをしました。出会いが人生を決めます。
「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。」と主イエスは問われ、サウロは、「主よ。あなたはどなたですか。」と問い返しました。すると主イエスは、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。」と言われました。キリスト者を迫害することは主であるイエス様を迫害することなのです。
その後サウロのところに、アナニヤという弟子が遣わされました。そしてサウロの目から、うろこのような物が落ち、目が見えるようになりました。サウロは自らの過ちを認め、罪を悔い改めてバプテスマを受けました。彼は自らが迫害していた主の弟子になり、主の器として用いられていきます。
聖書箇所:使徒の働き8章26ー40節
御霊がピリポに「近寄って、あの馬車といっしょに行きなさい」と言われた。そこでピリポが走って行くと、預言者イザヤの書を読んでいるのが聞こえたので、「あなたは、読んでいることが、わかりますか」と言った。使徒の働き8章29-30節
『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって。』(ゼカリヤ4章6節)と語られているように、教会の働きは、聖なる神の霊に導かれたキリスト者一人一人の働きです。
教会の働きが権力や能力によって進められようとするなら、そこから教会は誤った道にそれ、いのちの輝きと塩気を速やかに失います。
危機の時代の中で、教会が教会であるためには、静まって主の前にひれ伏し、祈りつつ心を開いて聖書のみことばに耳を傾け、聖なる神の霊に聞き従うことがどうしても必要です。
聖霊は、謙遜に道先案内をしてくださる最高の導き手であり、最高のコーチです。聖霊は、先導してくださいますが大切な働きを私たちに託してくださり、私たちを用いて神の働きを進めてくださるのです。
あなたもピリポのように、日常生活において聖霊のナビゲーションに素直に聞き従うならば、求めている方との出会いが与えられ、魂の救いという大切な働きのために、神に用いていただけます。
聖書箇所:使徒の働き8:14ー25
ペテロは彼に向かって言った。「あなたの金は、あなたとともに滅びるがよい。あなたは金で神の賜物を手に入れようと思っているからです。使徒の働き8章20節
魔術師であったけれども信じてバプテスマを受けたサマリヤのシモンは、使徒たちが手を置くと、御霊(聖なる神の霊なので聖霊とも呼ばれる)が人々に与えられるのを見て驚きました。
そしてシモンは、それが欲しいという思いに囚われ、使徒たちのところに金を持って来て、聖霊を授けることのできる権威を手に入れようとしました。上記のみことばは、その時に使徒ペテロがシモンに向かって語ったことばです。
聖霊は決して、人間が意のままに操ることのできるようなお方でも、買収できるようなお方でもありません。なぜなら聖霊は、三位一体の神御自身であられ、人間が自分勝手に利用できるようなエネルギーやパワーではないからです。
聖霊は、神の子どもであることの証印、霊のいのちの内住、御国を受け継ぐことの保証などをもたらす神の賜物です。聖霊は、値段がつけられないほど高価な賜物ですが、誰であっても求めるなら受けることができます。誰でも救いの福音を信じ、イエスをキリストとして心に受け入れるならば、聖霊が私たちの身体に内住してくださいます。
聖書箇所:使徒の働き7:46ー60
そして、ひざまずいて、大声でこう叫んだ。「主よ。この罪を彼らに負わせないでください。」こう言って、眠りについた。使徒の働き7章60節
捨て身で神のことばを語ったステパノは、キリスト教会の歴史において、最初の殉教者となりました。
上記のみことばは、ステパノが地上の人生を終える最期に叫んだ、勝利のことばです。
ステパノが一生懸命祈っている彼らは、その時、怒りと憎しみと殺意に歪んだ恐ろしい形相で、次々にステパノに大きな石を投げつけていました。
しかしステパノは、そのような彼らの罪を、彼らに負わせないでくださいと、祈ることができたのです。
人はいと高き方・主イエス・キリストにならう日常生活の中で、少しずつキリストのように変えられる。そして人は、遂に憎しみよりも強い愛に生きることができる。愛と勝利の高嶺に登ることができる。
ステパノは身をもってそのことを実証し、一粒の麦として、しばらくの間、眠りについたのでした。そしてそこには、サウロという青年がいました。
聖書箇所:使徒の働き7:38ー45
『イスラエルの家よ。あなたがたは荒野にいた四十年の間に、ほふられた獣と供え物とを、わたしにささげたことがあったか。あなたがたは、モロクの幕屋とロンパの神の星をかついでいた。それらは、あなたがたが拝むために作った偶像ではないか。それゆえ、わたしは、あなたがたをバビロンのかなたへ移す。』使徒の働き7章42-43節
多くの紙面を割いてイスラエルの歴史が記されている聖書の語りかけに、なぜ全世界の人々が耳を傾ける必要があるのでしょうか?それはイスラエルが、全世界のすべての人々を代表しているからです。
聖書を読み、イスラエルの歴史を聴くということは、私たちが本当の自分を映し出す鏡の前に立たせられ、見たくない本当の姿を見させられるということに他ならないのです。
イスラエルは、ただ神のあわれみによって選ばれ、愛され、育まれました。しかしイスラエルの歴史は、罪と恥と裏切りに満ちています。これ以上ないほど神に愛されたイスラエルは、ことごとく神に逆らい、恵み深い神に反逆し続けた、うなじのこわい民です。
イスラエルは、荒野の40年においても、まことの神だけを信頼する道から外れ、ほかの神々をかついで歩み続けました。そのため、あのエルサレムが焼き払われ、イスラエルの人たちは、異国バビロンへ強制連行されることになりました。