「苦しむ者の祈り」August 8, 2025

「苦しむ者の祈り」August 8, 2025

詩篇102篇は、苦しむ者の祈り。
彼が気落ちして、自分の嘆きを
主の前に注ぎ出したときのもの。

主よ 私の祈りを聞いてください。
私の叫びが あなたに届きますように。
私の苦しみのときに
御顔を私に隠さないでください。
私に耳を傾けてください。
私が呼ぶときに すぐに私に答えてください。

私の日は煙の中に尽き果て
私の骨は炉のように燃えているのです。
私の心は 青菜のように打たれて しおれ
パンを食べることさえ忘れました。
私の嘆きの声で
私の骨は肉に溶けてしまいました。
私はまるで荒野のみみずく
廃墟のふくろうのようです。
私は眠ることもできず
屋根の上の はぐれた鳥のようになりました。

敵は絶えず私をそしり
嘲る者は私を名指しにして毒づきます。
まことに 私は灰をパンのように食べ
飲み物に涙を混ぜ合わせました。
それはあなたが 憤りと激しい怒りのゆえに
私を持ち上げ 私を投げ捨てられたからです。
私の日は 伸びていく夕影のようです。
私は 青菜のようにしおれています。

しかし 主よ
あなたはとこしえに御座に着いておられます。
あなたの呼び名は代々に及びます。
あなたは立ち上がり
シオンをあわれんでくださいます。
今やいつくしみの時です。
定めの時が来ました。
まことに あなたのしもべたちはシオンの石を喜び
シオンのちりをいとおしみます。
こうして 国々は主の御名を
地のすべての王は あなたの栄光を恐れます。
なぜなら 主はシオンを建て直し
その栄光のうちに現れ
窮した者の祈りを顧み
彼らの祈りをないがしろにされないからです。

このことが 後の世代のために書き記され
新しく造られる民が主を賛美しますように。
主は その聖なるいと高き所から見下ろし
天から地の上に目を注がれました。
捕らわれ人のうめきを聞き
死に定められた者たちを解き放つために。
人々が 主の御名をシオンで
主の誉れをエルサレムで語り告げるために。
諸国の民や王国が 一つに集められて
主に仕えるために。

主は 私の力を道の半ばで弱らせ
私の日数を短くされました。
私は申し上げます。
「私の神よ 私の日の半ばで
私を取り去らないでください。
あなたの年は代々に至ります。
あなたは はるか昔に地の基を据えられました。
天も あなたの御手のわざです。
これらのものは滅びます。
しかしあなたは とこしえの方です。
すべてのものは 衣のようにすり切れます。
外套のように あなたがそれらを取り替えられると
それらはすっかり変えられます。
しかし あなたは変わることがなく
あなたの年は尽きることがありません。
あなたのしもべたちの子らは 住まいを定め
彼らの裔は 御前に堅く立てられます。」

礼拝メッセージ「希望は失望に終わらない」ローマ11

礼拝メッセージ「希望は失望に終わらない」ローマ11(クリックで聴けます)

聖書箇所:ローマ人への手紙5章1ー5節

ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。ローマ5章1-5節

主イエス・キリストにすべてを信託する信仰によって義と認められた時、3つのギフトがあなたに与えられます。

1、王なる神との平和:
 王なる神、絶対主権者である神との絆が回復する時、あらゆる不安や恐れが消え去り、神との平和を体験することができます。それは死にも打ち勝つ平安と守りです。

2、王なる神への自由なアクセスと面談:
 王の息子であられる主イエスの御腕に導かれるなら、王がおられる至聖所の中に自由にアクセスし、王なる神と面談することができます。

3、失望に終わらない希望:
 宝石だって磨かなければ光りません。原石のような私たちをカットし磨き上げ、誰も消せない希望の光を放つために、全能の神はあなたに患難と聖霊を与えます。

痛みと病を負う神 Pain of God

痛みと病を負う神 Pain of God

礼拝式のご案内

日時:2011年 4月10日(日)第2主日礼拝式
   ★第一礼拝・・・・・・・午前10時半~12時 
   ★第二礼拝・・・・・・・午後8時~9時
    聖書箇所:イザヤ章53章4節-6節
    説教題:「痛みと病を負う神 Pain of God」
    説教:野町真理(日本同盟基督教団・杉戸キリスト教会牧師)

   ★スマイルキッズ(幼児から小学生向け)午前9時〜(第一週は第一礼拝に合流)
   ★Jesus Junior(中高生から青年向け)・午後3時~

どなたでもお集いください。初めての方も大歓迎です。

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礼拝メッセージ「痛みと病を知る神 Pain of God」

痛みと病を知る神

礼拝メッセージ「痛みと病を知る神 Pain of God」(クリックで聴けます)

聖書箇所:イザヤ52章13節-53章3節

彼(イエス・キリスト)はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人(痛みを知る人)で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。イザヤ53章3節

イースター・復活祭へと向かう受難節の中、今日から4回に分けて、イザヤ書を通して、今を懸命に生きようとする私たちに語りかける神のみことばに耳を傾けましょう。

イザヤ書は預言の書の一つです。イエス・キリストがこの世に肉体をもって来られる700年ほど前に、預言者イザヤは神から預かったみことばを書き記しました。そこには、神のしもべイエス・キリストの、栄光と苦難に満ちた姿が詳細に描かれています。

イザヤはまず、高く上げられたしもべの栄光に満ちた姿を描きます。そして次に、そのしもべが高く上げられる前、最も低いところに下られた時の、苦難に満ちた姿を克明に描き出します。

「悲しみの人」という表現は、「痛みを知る人」とも訳せます。そしてその方は、「病を知っていた」とイザヤは語ります。実にイザヤが語る神は、「悲しみを知る方」であり、「痛みを知る方」であり、そして「病を知っていた方」です。

なぜイザヤが語る神は、「悲しみ」や「痛み」や「病」を知っておられるのでしょうか。

それはその方が、被災地に実際に赴いた結果、もはや支援者ではなく、被災者になられたからです。