礼拝メッセージ「ノアの箱舟」

ノアの箱舟 Noah's ark

礼拝メッセージ「ノアの箱舟」(クリックで聴けます)

聖書箇所:創世記6章9−22節

あなたは自分のために、ゴフェルの木の箱舟を造りなさい。箱舟に部屋を作り、内と外とを木のやにで塗りなさい。それを次のようにして造りなさい。箱舟の長さは三百キュビト。その幅は五十キュビト。その高さは三十キュビト。箱舟に天窓を作り、上部から一キュビト以内にそれを仕上げなさい。また、箱舟の戸口をその側面に設け、一階と二階と三階にそれを作りなさい。創世記6章14-16節

主なる神は、神とともに歩んでいたノアという人物に、巨大な箱舟を建造するように命じられ、上記のように詳細な設計図を示されました。

1キュビトとは、前腕、ひじから中指の先までの長さを表す単位です。1キュビト50センチとすると、ノアの箱舟の寸法は、長さ150メートル、幅25メートル、高さ15メートルでした。3階建てタンカーのようで、十分すぎるスペースがありました。

これだけのスケールの箱舟を建造するためには、少なくとも以下のようなものが必要でした。

1、時間が必要:約100年(創世記5章32節と7章11節参照)
2、費用が必要:おそらく全財産
3、労働力が必要:猫の手も借りたい状態
4、信仰が必要:神のことばに対する信頼が必要

ノアの箱舟は救いの箱舟です。新約時代に生かされている私たちにとって、救いの箱舟とは、主イエス・キリストの教会です。

ノアの箱舟 Noah’s ark

ノアの箱舟 Noah's ark

Genesis Ch. 1 Vs. 32

プログレッシブ・ロックというジャンルに入れられているアラン・パーソンズ・プロジェクトの曲に、このGenesis Ch. 1 Vs. 32という曲がある。

聖書を見ると、創世記1章は31節までしかない。そしてそこには、造られたすべてのものは非常に良かったという記述がある。どうやらその後の世界の様子を、この曲は奏でているようだ。

現実のこの世の中を見渡すなら、まさにこの曲に表現されているような悲愴感、無常感、恐れとおののき、不安と戦慄がある。

今日も日本に何人かの宣教師たちが遣わされている。彼らが日本に来た大きな動機は、日本の自殺者の多さに対する驚きと痛みである。毎日90名前後の方々が自らいのちを絶っている異常な国。それがこの国の現実だ。統計に出てこない部分や自殺未遂者を含めると、これは氷山の一角だ。

また、小さないのちを守る会が真剣になって取り組んでいる性に対する正しい教育と啓蒙活動。それがどうしても必要なのは、この国の中で、生まれて来る前に葬られていく恐ろしい数の小さないのちがあるからだ。

人工妊娠中絶によって闇に葬られている小さないのちは、日本で年間30万弱と言われている(2006年度厚生労働省発表では276,352件)。出生数と比べると、だいたい3人の赤ちゃんが母の胎に宿ったら、そのうち1人しか生まれ出でることが出来ない。産ぶ声をあげることもなく、赤ちゃんが闇に葬り去られている。出生前DNA検査がこれに拍車をかけている。 「お母さんぼくを殺さないで!」・・・声なき声をあげて小さないのちは泣き叫んでいる。 人命軽視と虐待はここから始まっている。

また、狭い日本から目を世界に向けると、平均すると1分間に約17人、1日に25,000人、1年間に1,000万~1,500万人の人々が飢えで死んでいる。世界中から食料を輸入し、余ったものを捨てている日本の現状が問われている。この問題に関しては、日本国際飢餓対策機構が真剣に取り組んでいる。

かつて森総理は「日本は天皇を中心とした神の国である」と発言した。その思想と日の丸・君が代のもとに、どれほどの暴虐が行われ、どれほどの血が流されたのか。韓国、台湾、フィリピン、インドネシア、中国、シンガポール、タイ、ビルマ(ミャンマー)、マレーシアといったアジア諸国の方々の痛みや、沖縄の方々の痛み、在日の方たちの痛みをまったく感じることができないようだ。

日本同盟基督教団105周年記念大会 -横浜宣言-

第二次大戦における日本の教会の罪責に関する私たちの悔い改め

それがまさに、この曲が奏でている現実である。

なぜこの国は、このように夢も希望もない国になってしまったのか。
なぜこの世界は、そのように壊れ逝くのか。

その理由は、創世記3章にはっきりと記されている。

その原因は、・・・神を神としない私に、そしてあなたにある。

善悪の知識の木の実を食べるということは、神を善悪の絶対的基準とすることを止めて、自分を善悪の基準・ものさしとして生きること、つまりそれは、自分を神として、自己中心に自分勝手に生きることだ。聖書はそれを罪と言っている。

自己中心に自分勝手に長さが変わるものさし。人をはかる時には厳しいものさしになり、自分をはかる時には甘いものさしになる。自分にとって都合の悪い人が悪人になり、自分にとって都合の良い人が善人になるものさし。これを持って生活するとどうなるか。

・・・地球の上に夜が来る。

しかし、天地万物を統べ治めておられる主なる神は、やがて8日目の朝を迎えさせてくださる。

礼拝メッセージ「後悔する神」

後悔する神 REGRET OF GOD

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聖書箇所:創世記6章1-8節

主は、地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった。それで主は、地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められた。そして主は仰せられた。「わたしが創造した人を地の面から消し去ろう。人をはじめ、家畜やはうもの、空の鳥に至るまで。わたしは、これらを造ったことを残念に思うからだ。」創世記6章5-7節

外面的美しさやかっこよさ、自分の好みなどによって、大切な結婚相手を決めてしまう。実はそのような結婚から、人間の悪が増大し、悪への傾倒が始まると聖書は語っています。そのような結婚がもたらす悪は、とても深刻です。お互いを傷つけ合うだけでなく、子どもたちや家族を深く傷つけ、次の世代へと悪が増大していきます。

私たちを形造られた神は、愛です。ですから私たち人間がどんなに罪深い自分勝手な歩みを続けたとしても、忍耐をもって、悔い改めの機会を与えてくださいます。長い間、神は人の責任を負い、人をかばい続けてくださるのです(創世記6章3節参照)。

けれども、神の忍耐は永遠ではありません。待ち続けてもなお悔い改めないなら、やがて神は後悔なさり、裁きを行うことを決断されます。

昔、ノアの時代に、箱舟が造られていた間、神が忍耐して待っておられたときに、従わなかった霊たちのことです。わずか八人の人々が、この箱舟の中で、水を通って救われたのです。(1ペテロ3章20節)

礼拝メッセージ「この子は慰め」

この子は慰め

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聖書箇所:創世記5章25-32節

レメクは百八十二年生きて、ひとりの男の子を生んだ。彼はその子をノアと名づけて言った。「主がこの地をのろわれたゆえに、私たちは働き、この手で苦労しているが、この私たちに、この子は慰めを与えてくれるであろう。」創世記5章28-29節

創世記5章に記録されているアダムの歴史、私たち人間の歴史には、神とともに歩んだ人物が2名紹介されています。1人は先週見たエノク、そしてもう1人は、今週見たいノアです。

ノアという名前には、「慰められる」という意味があります。神の祝福に背を向けた故に、働いても苦労の多い人生の中で、この子は慰め(ノア)を与えてくれるであろう。ノアの父レメクが、そのような思いを込めて、その子をノアと名付けました。

ノアの父レメクは、ノアを生んで後、さらに593年生き、息子、娘たちを生みます。そして聖書は、「レメクの一生は777年であった。こうして彼は死んだ。」と語っています。

創世記4章に登場したカインの子孫であるレメクは、77倍の復讐を要求し、慰めのない中で死を迎えたことでしょう。

一方、同じ名前ですが、セツの子孫でありノアの父であるレメクの一生は、777年でした。7という完全数が3つ並ぶ年齢。おそらくノアの父レメクには、息子ノアによって、慰めの多い人生が与えられたことでしょう。

礼拝メッセージ「神とともに歩む」

神とともに歩む

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聖書箇所:創世記5章1-24節

エノクは六十五年生きて、メトシェラを生んだ。エノクはメトシェラを生んで後、三百年、神とともに歩んだ。そして、息子、娘たちを生んだ。エノクの一生は三百六十五年であった。エノクは神とともに歩んだ。神が彼を取られたので、彼はいなくなった。創世記5章21-24節

聖なるテクスト(聖書)が語っているアダムの歴史、それは私たち人間の歴史です。

神が私たちを創造された時、神に似せて造られ、男と女とに創造されました。私たちが創造された日に、神は私たちを祝福し、その名を人(アダム)と呼ばれました。

アダムからセツ、セツからエノシュ、エノシュからケナン、ケナンからマハラルエル、マハラルエルからエレデ、エレデからエノクが生まれます。エノクについて、聖書はスポットライトをあて、上記のみことばのように紹介しています。

聖書の行間を想像することになりますが、65歳で子どもを預かるまでのエノクの歩みはどうだったのでしょうか。神とともに歩んでいたかも知れませんし、あまり神とともに歩んでなかったかも知れません。

けれども、受験、就職、結婚、子どもの誕生、病気、事故、転職、退職、その他様々な出来事を通して、もっと近く、神とともに歩むように、インマヌエルと呼ばれる神が私たちを導かれることは確かなことです。

成人祝福礼拝メッセージ「祈りのある日常」

祈りのある日常 Living With Prayer

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聖書箇所:創世記4章17-26節

アダムは、さらに、その妻を知った。彼女は男の子を産み、その子をセツと名づけて言った。「カインがアベルを殺したので、彼の代わりに、神は私にもうひとりの子を授けられたから。」セツにもまた男の子が生まれた。彼は、その子をエノシュと名づけた。そのとき、人々は主の御名によって祈ることを始めた。創世記4章25-26節

人殺しの罪を犯したカインの子孫から、レメクという人が現れます。創世記4章23―24節に、以下のような重苦しいレメクの言葉が記録されています。

『さて、レメクはその妻たちに言った。「アダとツィラよ。私の声を聞け。レメクの妻たちよ。私の言うことに耳を傾けよ。私の受けた傷のためには、ひとりの人を、私の受けた打ち傷のためには、ひとりの若者を殺した。カインに七倍の復讐があれば、レメクには七十七倍。」』

一方アダム・エバ夫妻は、もうひとり男の子を授かり、セツと名づけます。セツが家庭を持ちエノシュが生まれた時から、人々は祈りのある日常を生きるようになりました。

祈りのある日常、それは神の愛と赦しに生かされる日常です。神はあなたを罪の鎖から解き放つために、身代わりに十字架で死なれ、3日目によみがえられ、今も生きておられ、孤独のとなりにおられます。

祈りのある日常、やがてそれは神を愛し隣人を愛する日常となり、神と隣人を愛する年月となります。