休むことは罪ではない December 17, 2024

「休むことは罪ではない」December 17, 2024

真面目すぎる人は、休むことができない。
なぜなら、休むことは罪だと考えているから。

けれども、休まなければ、良い働きはできない。
疲れやストレスを抱えたままでは、良い働きはできない。
ミスやトラブル、事故や怪我を予防するためにも、
しっかりと休むことが大切だ。

休みなく働き続けると、
身体と心が壊れてしまうのは時間の問題だ。
心が壊れて、うつ病、燃え尽き症候群、
パニック症、適応障害などになると、
長期リハビリが必要になる。

だからJESUSは、あなたに声をかけておられる。

すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。
わたしがあなたがたを休ませてあげます。
わたしは心が柔和でへりくだっているから、
あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。
そうすれば、たましいに安らぎを得ます。
わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。
(新約聖書マタイの福音書11章28ー30節)

JESUSのもとに行くと、十分な休みを取ることができる。

実は十戒の安息日に関する教えにおいて、
休むことは罪ではないということが明記されている。

安息日を覚えて、これを聖なるものとせよ。
六日間働いて、あなたのすべての仕事をせよ。
七日目は、あなたの神、主の安息である。
あなたはいかなる仕事もしてはならない。
あなたも、あなたの息子や娘も、
それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、
またあなたの町囲みの中にいる寄留者も。
それは主が六日間で、天と地と海、
またそれらの中のすべてのものを造り、
七日目に休んだからである。
それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものとした。
(旧約聖書出エジプト記20章8ー11節)

クリスマスの心 December 14, 2024

「クリスマスの心」December 14, 2024

昨日に続いて、
ヨハネが語るクリスマスを紹介したい。
それはヨハネの福音書3章16節。
66巻の聖書全体を1節に要約すると、
ヨハネの福音書3章16節、JOHN3:16になる。

神は、実に、
そのひとり子(JESUS)をお与えになったほどに
世(あなた)を愛された。
それは御子(JESUS)を信じる者が、
一人として滅びることなく、
永遠のいのちを持つためである。
(新約聖書ヨハネの福音書3章16節)

天の父なる神は、実に、
その愛するひとり息子JESUSをお与えになったほどに
神に敵対するあなたを愛された。
それは御子(JESUS)を信じるあなたが、
永遠の苦しみではなく、
永遠のいのちを持つためである。

天の父なる神にとって、
JESUSは愛する箱入り息子でした。
ひとりしかいない愛する息子を、
神に敵対するこの世に派遣するなら、
無惨に殺される。
そのことを父なる神はよく知っていました。
けれども、
それでもあなたを永遠の滅びから救うために、
最も大切なひとり子をお与えになったのです。
それがクリスマスの心です。

メシア・キリストの系図 December 5, 2024

「メシア・キリストの系図」December 5, 2024

ユダヤ人であり取税人であったマタイは、
福音書の最初にメシア・キリストの系図を記した。
マタイの福音書1章は、
カタカナの名前が並ぶ、新約聖書の第一関門だ。
イエス・キリストが、ユダヤ人であることを語っている。

この系図、実は普通ではない。
ユダヤ人の系図なのに、複数の女性が登場する。
しかもそれぞれの女性が、何らかの問題を抱えている。

遊女の姿をして男を誘惑したタマル。
エリコの遊女ラハブ。
異邦人(モアブ人)のルツ。
ダビデ王の浮気相手、ウリヤの妻(バテシェバ)。
そしてまだ結婚していないのに、聖霊によって妊娠するマリア。

救い主・キリスト・メシアの系図は、
JESUSがまさに罪人の友として歴史を歩まれ、
この世に来てくださったことを雄弁に語っている。

1:1 アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストの系図。2 アブラハムがイサクを生み、イサクがヤコブを生み、ヤコブがユダとその兄弟たちを生み、3 ユダがタマルによってペレツとゼラフを生み、ペレツがヘツロンを生み、ヘツロンがアラムを生み、4 アラムがアミナダブを生み、アミナダブがナフションを生み、ナフションがサルマを生み、5 サルマがラハブによってボアズを生み、ボアズがルツによってオベデを生み、オベデがエッサイを生み、6 エッサイがダビデ王を生んだ。 ダビデがウリヤの妻によってソロモンを生み、7 ソロモンがレハブアムを生み、レハブアムがアビヤを生み、アビヤがアサを生み、8 アサがヨシャファテを生み、ヨシャファテがヨラムを生み、ヨラムがウジヤを生み、9 ウジヤがヨタムを生み、ヨタムがアハズを生み、アハズがヒゼキヤを生み、10 ヒゼキヤがマナセを生み、マナセがアモンを生み、アモンがヨシヤを生み、11 バビロン捕囚のころ、ヨシヤがエコンヤとその兄弟たちを生んだ。12 バビロン捕囚の後、エコンヤがシェアルティエルを生み、シェアルティエルがゼルバベルを生み、13 ゼルバベルがアビウデを生み、アビウデがエルヤキムを生み、エルヤキムがアゾルを生み、14 アゾルがツァドクを生み、ツァドクがアキムを生み、アキムがエリウデを生み、15 エリウデがエレアザルを生み、エレアザルがマタンを生み、マタンがヤコブを生み、16 ヤコブがマリアの夫ヨセフを生んだ。キリストと呼ばれるイエスは、このマリアからお生まれになった。17 それで、アブラハムからダビデまでが全部で十四代、ダビデからバビロン捕囚までが十四代、バビロン捕囚からキリストまでが十四代となる。(マタイの福音書1章1ー17節)

救い主の系図

使徒信条 われは三位一体の神を信ず November 30, 2024

「使徒信条 われは三位一体の神を信ず」November 30, 2024

2000年の歴史を持つキリスト教会には、
使徒信条と呼ばれる信仰告白がある。
使徒信条は、「われは信ず」という表現で、
三位一体の神に対する信仰を以下のように告白する。

われは天地の造り主、全能の父なる神を信ず。
われはそのひとり子、われらの主、イエス・キリストを信ず。
主は聖霊によりてやどり、
おとめマリヤより生まれ、
ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、
十字架につけられ、死にて葬られ、よみにくだり、
三日目に死人の内よりよみがえり、天にのぼり、
全能の父なる神の右に座したまえり。
かしこより来たりて生ける者と死ねる者とを裁きたまわん。
われは聖霊を信ず。
聖なる公同の教会、聖徒の交わり、
罪のゆるし、からだのよみがえり、とこしえの命を信ず。
アーメン

父なる神(天地の造り主、全能の父なる神)、
子なるイエス・キリスト(そのひとり子、われらの主、イエス・キリスト)、
そして聖霊なる神(御霊とも言われる)。
三人の神々が存在するのではなく、
父、御子、聖霊が、深い絆によって一体になっておられる唯一の神。

The Bibleの中には、三位一体という言葉は使われていない。
しかし、
The Bibleによって、三位一体の神が、ご自身をそのように啓示している。

罪のゆるし、からだのよみがえり、とこしえの命。
これがJESUSを信じる時に与えられる3点セット。

クリスマスカラー 赤と白 November 29, 2024

「クリスマスカラー 赤と白」November 29, 2024

クリスマスカラーとして、緑の次に思い浮かぶのは赤。
そして、The Bibleにおいて、赤・レッドは罪の色。
明るい赤・緋色・スカーレットも罪の色。
深い赤・紅・クリムゾンも罪の色。
その根拠となるのは、以下のみことば。

さあ、来たれ。論じ合おう。──主は言われる──
たとえ、あなたがたの罪が
緋(スカーレット)のように赤くても、
雪のように白くなる。
たとえ、
紅(クリムゾン)のように赤くても(レッドでも)、
羊の毛のようになる。
(旧約聖書イザヤ書1章18節)

The Bibleは、赤・レッドは罪の色だと明確に表現している。
罪を黒で表現する人も多いが、人種差別を生む可能性があるので注意が必要だ。
The Bibleの中に、黒は罪の色と表現されている箇所は一つもない。
だが、罪をもたらす暗闇の力、暗闇の支配は、確かに存在する。

ではなぜ赤・レッドは罪の色なのか?
罪は、赤い血を流すこと、流血と深く関係しているから。
赤・レッドは血の色。
罪は、他者のからだと心を刺して、赤い血を流す。
罪は、自分のからだと心を刺して、赤い血を流す。

JESUSは言われる。
さあ、来たれ。論じ合おう。
たとえ、あなたがたの罪が
緋のように赤くても、
雪のように白くなる。
たとえ、
紅のように赤くても、
羊の毛のようになる。

あなたの罪の身代わりに、
JESUSが十字架に磔にされた時、
JESUSの両手両足から、脇腹から、
JESUSの真っ赤な血潮が滴り落ちた。
それは、罪にまみれて真っ赤なあなたを、
雪のように白くするために流された赤い血。
羊の毛のように白くするために流された赤い血。

クリスマスカラーとして、緑、赤の次に思い浮かぶのは、白。
スノーホワイト、ウールホワイト。

クリスマスカラー緑と赤

クリスマスツリーの緑 November 28, 2024

「クリスマスツリーの緑」November 28, 2024

クリスマスカラーで最初に思い浮かぶ色は緑。
クリスマスツリーの緑、もみの木の緑。

その緑はエバーグリーン・常緑と呼ばれる。
クリスマスツリーの緑は、永遠のいのちを象徴している。

The Bibleは、
過ぎ去って行くこの世にあって、
永遠に変わらない神のことば。

草はしおれ、花は散る。
しかし、私たちの神のことばは永遠に立つ。
(旧約聖書イザヤ書40章8節)

The Bibleは、
あなたが永遠のいのちを持つために書かれた。

神は、実に、そのひとり子(JESUS)をお与えになったほどに
世(あなた)を愛された。
それは御子(JESUS)を信じる者が、一人として滅びることなく、
永遠のいのちを持つためである。
(新約聖書ヨハネの福音書3章16節)

苦しみのあったところに闇がなくなる November 25, 2024

「苦しみのあったところに闇がなくなる」November 25, 2024

書き記された神のことばであるThe Bibleには、
多くの約束が記されている。
その中から、クリスマスの約束を一つ覚えたい。

しかし、苦しみのあったところに闇がなくなる。
(旧約聖書イザヤ書9章1節)

「苦しみのあったところに闇がなくなる」と約束されている。
「苦しみのあったところに、苦しみがなくなる」とは約束されていない。
だから、苦しみがなくなるわけではないかもしれない。
しかし、苦しみのあったところに闇がなくなる。

出口の見えないトンネルのような闇の中にいると、
絶えず不安や恐怖が襲いかかって来る。
そこにあるのは、ずっと緊張している耐え難い苦しみ。
しかし、夜明けを迎えて、
出口から一筋の光の糸が差し込んで来るなら、闇がなくなる。
闇がなくなるなら、たとえ苦しみが残っていても、
それは耐えることの出来る苦しみ、
ほんの一時の軽い患難になる。

しかし、苦しみのあったところに闇がなくなる。
先にはゼブルンの地とナフタリの地は辱めを受けたが、
後には海沿いの道、ヨルダンの川向こう、
異邦の民のガリラヤは栄誉を受ける。
闇の中を歩んでいた民は大きな光(JESUS)を見る。
死の陰の地に住んでいた者たちの上に光(JESUS)が輝く。
(旧約聖書イザヤ書9章1ー2節)