礼拝メッセージ「宇宙の創造」

礼拝メッセージ「宇宙の創造」

聖書箇所:創世記1章1-5節

初めに、神が天と地を創造した。地は茫漠として何もなかった。やみが大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていた。創世記1章1-2節

ドラマや映画において、第一話や第一部を見逃して途中から見始めるなら、「なぜそういうことになっているのか、理解できない???」ということがたくさん出てくることでしょう。

それと同じように、いやそれ以上に、もしも創世記冒頭の大切なシーンを見逃してしまうなら、途中からどんなに聖書を味わおうとしても、理解できないことや誤解が続出してしまうことでしょう。

創世記の初めの数章は、長編歴史ドラマの第一話や、シリーズ映画の第一部のような、とても大切な箇所です。

なぜなら、そこにおいてこそ、神と人間が織り成すドラマにおける、すべての舞台設定がなされ、主人公や登場人物が順番に紹介されていくからです。

創世記1章は、宇宙の創造について語っています。そしてその際、どこに視点を置いているのかをまず明確にしています。創世記1章において、カメラは、原始地球の厚いカーテンのような大気の下に逆巻く海面のすぐ上にセットされています。

その視点、そのカメラアングルから見た時にだけ、創世記に記録されている宇宙創造のプロセスが、完璧に科学的であり、歴史的事実を語る誤りのない神の御言葉であることを理解することができるのです。

iTunesのようなポッドキャストの受信ソフトにこのバナーをドラッグ&ドロップすることで、番組を登録できます。詳しくはこちら

登山だけが危険なのか?

登山だけが危険なのか?

来年映画化が決定された石塚真一さんの漫画「岳」(小学館)に描かれているように、登山はとても素晴らしいけれども確かにリスクがあり、危険が伴うことは間違いない。最悪の場合には命を失うこともある。けれども、登山だけが危険なのだろうか。

例えばこの夏に自宅や平地にいて、どれだけの人が熱中症で搬送されたり、命を失っただろうか。平地における危険は熱中症だけではない。交通事故、病気、殺人事件、虐待、中絶、いじめ、自殺などで、いったいどれだけの人がこの夏、平地で命を失ったであろうか。

危険は山だけにあるわけではない。危険はいつも身近な所にある。死の陰の谷は、確かに生活の場に存在する。しかしそこに最高のレスキュー隊員であられる主イエス・キリストが、良き羊飼いとしてともにおられるなら、どこにいても恐れる必要はない(旧約聖書詩篇23篇参照)。

by のまちゃん牧師(杉戸キリスト教会)

礼拝メッセージ「ローマ到着」

礼拝メッセージ「ローマ到着」

聖書箇所:使徒の働き28章1-15節

こうして、私たちはローマに到着した。私たちのことを聞いた兄弟たちは、ローマからアピオ・ポロとトレス・タベルネまで出迎えに来てくれた。パウロは彼らに会って、神に感謝し、勇気づけられた。使徒28章14-15節

船旅で遭難しながらも、パウロたちはマルタと呼ばれる島に無事上陸することができました。

パウロが柴をたばねて火にくべると、一匹のまむしがはい出して来て、パウロの手に取り付きました。島の人々は、「この人はきっと人殺しだ。海からはのがれたが、正義の女神はこの人を生かしてはおかないのだ。」と互いに話し合いました。

しかしパウロは、まむしを火の中に振り落として、何の害も受けなかったのです。島の人々は、彼が今にも、はれ上がるか、倒れて急死するだろうと待っていました。少しも変わった様子が見えないので、彼らは「この人は神さまだ。」と言い始めました。

やがて島を後にしたパウロやルカたちは、ついにローマに、無事到着しました。出迎えに来た主にある兄弟たちによって、パウロは神に感謝し、勇気づけられたのでした。

神の約束のことばは、人間の不信仰を超えて、時が来ると必ずその通りになることを、聖書は繰り返し語り続けています。

iTunesのようなポッドキャストの受信ソフトにこのバナーをドラッグ&ドロップすることで、番組を登録できます。詳しくはこちら

礼拝メッセージ「元気を出しなさい」

礼拝メッセージ「元気を出しなさい」

聖書箇所:使徒の働き27章21-44節

ですから、皆さん。元気を出しなさい。すべて私に告げられたとおりになると、私は神によって信じています。私たちは必ず、どこかの島に打ち上げられます。使徒27章25-26節

遭難した船には、パウロやルカたちを含めて、全部で276人が乗っていました。出口の見えないトンネルのような日々が14日ほど続き、助かる最後の望みが、今や絶たれようとしていました。

しかしその時、波にもてあそばれている船の甲板にパウロがしっかりと立ち、希望に満ちた力強いメッセージを語り始めました。彼らの船旅を連想させる詩篇107篇の23-31節のみことばを以下に記します。

船に乗って海に出る者、大海であきないする者、
彼らは主のみわざを見、
深い海でその奇しいわざを見た。
主が命じてあらしを起こすと、
風が波を高くした。
彼らは天に上り、深みに下り、
そのたましいはみじめにも、溶け去った。
彼らは酔った人のようによろめき、
ふらついて分別が乱れた。
この苦しみのときに、彼らが主に向かって叫ぶと、
主は彼らを苦悩から連れ出された。
主があらしを静めると、波はないだ。
波がないだので彼らは喜んだ。
そして主は、彼らをその望む港に導かれた。
彼らは、主の恵みと、人の子らへの奇しいわざを
主に感謝せよ。

iTunesのようなポッドキャストの受信ソフトにこのバナーをドラッグ&ドロップすることで、番組を登録できます。詳しくはこちら

礼拝メッセージ「最後の望み」

礼拝メッセージ「最後の望み」

聖書箇所:使徒の働き27章1-20節

太陽も星も見えない日が幾日も続き、激しい暴風が吹きまくるので、私たちが助かる最後の望みも今や絶たれようとしていた。使徒27章20節

まもなく梅雨が明け、今年も本格的な夏を迎えようとしています。水遊び、釣り、山登り、キャンプ等、野外活動に適した季節です。(バイブルキャンプをぜひご利用ください)けれども野外には室内にはない危険があります。せっかくの楽しみが悲しみに変わってしまわないために、祈りつつ準備し、天気予報などを良く見てから出かけましょう。

パウロやルカたちは、いよいよ船でイタリヤ(ローマ)に向かって出発しました。ところが予定が遅れ、途中で季節は冬を目前にした晩秋になったのです。旅慣れていたパウロは、もう航海は危険だと判断し、注意しました。ところがリーダーは、パウロのことばよりも、航海士や船長のほうを信用して、船を進めてしまいました。その結果、ユーラクロンという暴風に巻き込まれ、全員遭難してしまいました。

経験を積んだベテランのことばよりも、教室で学んだだけの学者や専門家のことばを信用して事を進めてしまう。聖書ではなく、聖書もどきのことばを信頼して大切な決断をしてしまう。現代においても、ありがちなことです。気をつけなければなりません。助かる最後の望みも今や絶たれようとしていた時、あることが起こります。来週に続く。

iTunesのようなポッドキャストの受信ソフトにこのバナーをドラッグ&ドロップすることで、番組を登録できます。詳しくはこちら

礼拝メッセージ「私が神に願うこと」

礼拝メッセージ「私が神に願うこと」

聖書箇所:使徒の働き26章24-32節

パウロはこう答えた。「ことばが少なかろうと、多かろうと、私が神に願うことは、あなたばかりでなく、きょう私の話を聞いている人がみな、この鎖は別として、私のようになってくださることです。使徒26章29節

パウロが弁明していると、フェストが大声で、「気が狂っているぞ。パウロ。博学があなたの気を狂わせている」と言いました。

するとパウロは次のように言いました。
「フェスト閣下。気は狂っておりません。私はまじめな真理のことばを話しています。王(アグリッパ)はこれらのことをよく知っておられるので、王に対して私は率直に申し上げているのです。これらのことは片隅で起こった出来事ではありませんから、そのうちの一つでも王の目に留まらなかったものはないと信じます。アグリッパ王。あなたは預言者を信じておられますか。もちろん信じておられると思います。」

するとアグリッパはパウロに、「あなたは、わずかなことばで、私をキリスト者にしようとしている」と言いました。

その時パウロが語った内容が上記のみことばです。パウロは、「私が神に願うことは、きょう私の話を聞いている人がみな、この鎖は別として、私のようになってくださることです。」と言い切ることができるほど、人生の目的を明確に捕らえていたのです。

iTunesのようなポッドキャストの受信ソフトにこのバナーをドラッグ&ドロップすることで、番組を登録できます。詳しくはこちら