礼拝メッセージ「ローマ到着」

礼拝メッセージ「ローマ到着」

聖書箇所:使徒の働き28章1-15節

こうして、私たちはローマに到着した。私たちのことを聞いた兄弟たちは、ローマからアピオ・ポロとトレス・タベルネまで出迎えに来てくれた。パウロは彼らに会って、神に感謝し、勇気づけられた。使徒28章14-15節

船旅で遭難しながらも、パウロたちはマルタと呼ばれる島に無事上陸することができました。

パウロが柴をたばねて火にくべると、一匹のまむしがはい出して来て、パウロの手に取り付きました。島の人々は、「この人はきっと人殺しだ。海からはのがれたが、正義の女神はこの人を生かしてはおかないのだ。」と互いに話し合いました。

しかしパウロは、まむしを火の中に振り落として、何の害も受けなかったのです。島の人々は、彼が今にも、はれ上がるか、倒れて急死するだろうと待っていました。少しも変わった様子が見えないので、彼らは「この人は神さまだ。」と言い始めました。

やがて島を後にしたパウロやルカたちは、ついにローマに、無事到着しました。出迎えに来た主にある兄弟たちによって、パウロは神に感謝し、勇気づけられたのでした。

神の約束のことばは、人間の不信仰を超えて、時が来ると必ずその通りになることを、聖書は繰り返し語り続けています。

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礼拝メッセージ「元気を出しなさい」

礼拝メッセージ「元気を出しなさい」

聖書箇所:使徒の働き27章21-44節

ですから、皆さん。元気を出しなさい。すべて私に告げられたとおりになると、私は神によって信じています。私たちは必ず、どこかの島に打ち上げられます。使徒27章25-26節

遭難した船には、パウロやルカたちを含めて、全部で276人が乗っていました。出口の見えないトンネルのような日々が14日ほど続き、助かる最後の望みが、今や絶たれようとしていました。

しかしその時、波にもてあそばれている船の甲板にパウロがしっかりと立ち、希望に満ちた力強いメッセージを語り始めました。彼らの船旅を連想させる詩篇107篇の23-31節のみことばを以下に記します。

船に乗って海に出る者、大海であきないする者、
彼らは主のみわざを見、
深い海でその奇しいわざを見た。
主が命じてあらしを起こすと、
風が波を高くした。
彼らは天に上り、深みに下り、
そのたましいはみじめにも、溶け去った。
彼らは酔った人のようによろめき、
ふらついて分別が乱れた。
この苦しみのときに、彼らが主に向かって叫ぶと、
主は彼らを苦悩から連れ出された。
主があらしを静めると、波はないだ。
波がないだので彼らは喜んだ。
そして主は、彼らをその望む港に導かれた。
彼らは、主の恵みと、人の子らへの奇しいわざを
主に感謝せよ。

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礼拝メッセージ「最後の望み」

礼拝メッセージ「最後の望み」

聖書箇所:使徒の働き27章1-20節

太陽も星も見えない日が幾日も続き、激しい暴風が吹きまくるので、私たちが助かる最後の望みも今や絶たれようとしていた。使徒27章20節

まもなく梅雨が明け、今年も本格的な夏を迎えようとしています。水遊び、釣り、山登り、キャンプ等、野外活動に適した季節です。(バイブルキャンプをぜひご利用ください)けれども野外には室内にはない危険があります。せっかくの楽しみが悲しみに変わってしまわないために、祈りつつ準備し、天気予報などを良く見てから出かけましょう。

パウロやルカたちは、いよいよ船でイタリヤ(ローマ)に向かって出発しました。ところが予定が遅れ、途中で季節は冬を目前にした晩秋になったのです。旅慣れていたパウロは、もう航海は危険だと判断し、注意しました。ところがリーダーは、パウロのことばよりも、航海士や船長のほうを信用して、船を進めてしまいました。その結果、ユーラクロンという暴風に巻き込まれ、全員遭難してしまいました。

経験を積んだベテランのことばよりも、教室で学んだだけの学者や専門家のことばを信用して事を進めてしまう。聖書ではなく、聖書もどきのことばを信頼して大切な決断をしてしまう。現代においても、ありがちなことです。気をつけなければなりません。助かる最後の望みも今や絶たれようとしていた時、あることが起こります。来週に続く。

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礼拝メッセージ「私が神に願うこと」

礼拝メッセージ「私が神に願うこと」

聖書箇所:使徒の働き26章24-32節

パウロはこう答えた。「ことばが少なかろうと、多かろうと、私が神に願うことは、あなたばかりでなく、きょう私の話を聞いている人がみな、この鎖は別として、私のようになってくださることです。使徒26章29節

パウロが弁明していると、フェストが大声で、「気が狂っているぞ。パウロ。博学があなたの気を狂わせている」と言いました。

するとパウロは次のように言いました。
「フェスト閣下。気は狂っておりません。私はまじめな真理のことばを話しています。王(アグリッパ)はこれらのことをよく知っておられるので、王に対して私は率直に申し上げているのです。これらのことは片隅で起こった出来事ではありませんから、そのうちの一つでも王の目に留まらなかったものはないと信じます。アグリッパ王。あなたは預言者を信じておられますか。もちろん信じておられると思います。」

するとアグリッパはパウロに、「あなたは、わずかなことばで、私をキリスト者にしようとしている」と言いました。

その時パウロが語った内容が上記のみことばです。パウロは、「私が神に願うことは、きょう私の話を聞いている人がみな、この鎖は別として、私のようになってくださることです。」と言い切ることができるほど、人生の目的を明確に捕らえていたのです。

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礼拝メッセージ「暗やみから光に」

礼拝メッセージ「暗やみから光に」

聖書箇所:使徒の働き26章1-23節

わたしは、この民と異邦人との中からあなたを救い出し、彼らのところに遣わす。それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである。』使徒26章17-18節

人間の堕落によって、この世界は光から暗やみに滑り落ちました。神の愛からサタンの支配に滑り落ちてしまったのです。滑り落ちた先は、創世記冒頭に記されている、あの天地創造前の風景に似ています。

『地は茫漠として何もなかった。やみが大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていた。』創世記1章2節(新改訳第3版)

突破口をなかなか見つけられず、暗く重苦しい閉塞感に覆われているこの地は、茫漠として何もなく、やみが大水の上にあります。しかしそこには、まさしく神の霊がおられ、神の霊は私たちのために休むことなく動いておられるのです。

やがて神は仰せられます。「光があれ。」と。すると光が訪れるのです。光とは昼であり、やみとは夜です。光の訪れとは、夜明け・サンライズの時なのです。信仰をもって東を見つめるなら、やがて昇ってくる光の軌跡を、夜明け前の最暗黒の中にも見ることができるでしょう。

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父の日歓迎礼拝メッセージ「父の涙」

父の日歓迎礼拝メッセージ「父の涙」

聖書箇所:使徒の働き25章13-27節

私としては、彼は死に当たることは何一つしていないと思います。しかし、彼自身が皇帝に上訴しましたので、彼をそちらに送ることに決めました。使徒25章25節

パウロの生き様は、くっきりと主イエスの姿を描き出しています。ゴスペルシンガー岩渕まことさんが作詞作曲した歌の中に、「父の涙」という素晴らしい歌があります。父なる神とひとり子主イエスの姿を描き出しているその詩を、以下に引用します。

一、心にせまる父の悲しみ
  愛するひとり子を十字架につけた
  人の罪は燃える火のよう
  愛を知らずに今日も過ぎてゆく

  十字架からあふれ流れる泉
  それは父の涙
  十字架からあふれ流れる泉
  それはイエスの愛

二、父が静かに見つめていたのは
  愛するひとり子の傷ついた姿
  人の罪をその身に背負い
  父よ彼らを赦して欲しいと

  十字架からあふれ流れる泉
  それは父の涙
  十字架からあふれ流れる泉
  それはイエスの愛

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礼拝メッセージ「カイザルへの上訴」

礼拝メッセージ「カイザルへの上訴」

聖書箇所:使徒の働き25章1-12節

もし私が悪いことをして、死罪に当たることをしたのでしたら、私は死をのがれようとはしません。しかし、この人たちが私を訴えていることに一つも根拠がないとすれば、だれも私を彼らに引き渡すことはできません。私はカイザルに上訴します。使徒25章11節

使徒の働きの時代、地中海沿岸諸国はローマ帝国の統治下にありました。エルサレムもローマ統治下にあり、州総督によって統治されていました。

ペリクスに代わってフェストが州総督として着任した時、牢につながれたまま2年間放置されていたパウロは、改めて取り調べを受け、カイザル(ローマ皇帝)に上訴することになりました。

歴史を導かれる主なる神は、時の為政者をも用い、世界の中心であったローマに福音を届ける道を開いていかれたのでした。

ローマによって当時の世界はグローバルな国際社会となっていました。ローマによって統一と平和がもたらされ、ローマによってかつての国境を越える交通網(道)が整備されたのです。

しかしそこに住んでいた人々は混迷を極めていました。夢破れて絶望し、イエス・キリストの福音を必要としていました。その状況は今も同じです。羊飼いのいない羊のような数え切れない人々が、今も福音が届けられるのを待っているのです。

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