子よ、あなたへののろいは私の身にあるように November 30, 2025

「子よ、あなたへののろいは私の身にあるように」November 30, 2025

ヤコブは母リベカに言った。「でも、兄さんのエサウは毛深い人なのに、私の肌は滑らかです。もしかすると父上は私にさわって、私にからかわれたと思うでしょう。私は祝福どころか、のろいをこの身に招くことになります。」母は彼に言った。「子よ、あなたへののろいは私の身にあるように。ただ私の言うことをよく聞いて、行って子やぎを取って来なさい。」それでヤコブは行って、取って母のところに持って来た。母は、父の好む、おいしい料理を作った。それからリベカは、家の中で自分の手もとにあった、上の息子エサウの衣を取って来て、それを下の息子ヤコブに着せ、また、子やぎの毛皮を、彼の両腕と、首の滑らかなところに巻き付けた。そうして、自分が作ったおいしい料理とパンを、息子ヤコブの手に渡した。ヤコブは父のところに行き、「お父さん」と言った。イサクは「おお。おまえはだれかね、わが子よ」と尋ねた。ヤコブは父に、「長男のエサウです。私はお父さんが言われたとおりにしました。どうぞ、起きて座り、私の獲物を召し上がってください。そうして、自ら私を祝福してください」と答えた。イサクは、その子に言った。「どうして、こんなに早く見つけることができたのかね、わが子よ。」彼は答えた。「あなたの神、主が私のために取り計らってくださったのです。」 創世記27章11ー20節

ヤコブは母リベカに言います。「兄さんのエサウは毛深いのに、私の肌は滑らかです。もしかすると父上は私にさわって、私にからかわれたと思うでしょう。私は祝福どころか、のろいをこの身に招くことになります。」母は言います。「子よ、あなたへののろいは私の身にあるように。ただ私の言うことをよく聞いて、行って子やぎを取って来なさい。」

それでヤコブは子やぎを取って来ます。母は、父の好むおいしい料理を作り、手もとにあったエサウの衣を取ってヤコブに着せます。さらに子やぎの毛皮を、彼の両腕と首の滑らかなところに巻き付けます。そうして、自分が作ったおいしい料理とパンを、息子ヤコブの手に渡しました。

ヤコブは父のところに行き、兄エサウを演じて父と会話します。「お父さん」「おお。おまえはだれかね、わが子よ」「長男のエサウです。私はお父さんが言われたとおりにしました。どうぞ、起きて座り、私の獲物を召し上がってください。そうして、自ら私を祝福してください」「どうして、こんなに早く見つけることができたのかね、わが子よ。」「あなたの神、主が私のために取り計らってくださったのです。」

「大水のとどろきにまさり」July 30, 2025

「大水のとどろきにまさり」July 30, 2025

詩篇93篇は、王なる神に対する讃美歌。
大水のとどろきにまさり、力強い海の波にもまさって、
主は力に満ちておられる。

主こそ王です。威光をまとっておられます。
主はまとっておられます。力を帯とされます。
まことに 世界は堅く据えられ揺るぎません。
あなたの御座は いにしえから堅く立ち
あなたは とこしえからおられます。
主よ 川はとどろかせています。
轟音を 川はとどろかせています。
激しい響きを 川はとどろかせています。
大水のとどろきにまさり
力強い海の波にもまさって
主は力に満ちておられます。いと高き所で。
あなたの証しは まことに確かです。
聖なることが あなたの家にはふさわしいのです。
主よ いつまでも。

私たちの日ごとの糧を今日もお与えください

私たちの日ごとの糧を今日もお与えください

杉戸キリスト教会地図2016

礼拝メッセージ「生活必需品」

礼拝メッセージ「生活必需品」

聖書箇所:ルカ福音書11:1-13

そこでイエスは、彼らに言われた。「祈るときには、こう言いなさい。『父よ。御名があがめられますように。御国が来ますように。私たちの日ごとの糧を毎日お与えください。ルカ福音書11章2-3節

豊かさは神の祝福です。豊かさそのものは、神からの恵みであって罪ではありません。 しかしもし豊かさを神からの恵みとして受け止めることが出来ず、感謝もなく自己中心に、自分さえよければと生きているならば、それは罪です。

食物や豊かさは神の恵みです。このことを知らなければ、どんなにお腹が満たされても、決して満ち足りることはありません。感謝もなく、さらに貪欲になり、健康ブーム等に踊らされるだけです。

自分の健康ばかり気遣い、自分のいのちのことで何を食べようか何を飲もうかと心配することしかできません。同じ地球上で、1分間に17人(うち12人が子ども)、1日に2万5千人、1年間では1000万人もの人々が、飢えで死んでいるという現実を知ろうともせず、自己中心に生き続けることしかできません。

この祈りは、すべてのものを神からの恵みとして受け止め、共に生きるための祈りです。「私の」ことだけを考える自己中心な罪人の生き方から、「私たちの」ことを考え、共に食事をする生活へと変えられる祈りです。