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三位一体の神・神学論文
礼拝メッセージ「痛みと病を知る神 Pain of God」
礼拝メッセージ「痛みと病を知る神 Pain of God」(クリックで聴けます)
聖書箇所:イザヤ52章13節-53章3節
彼(イエス・キリスト)はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人(痛みを知る人)で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。イザヤ53章3節
イースター・復活祭へと向かう受難節の中、今日から4回に分けて、イザヤ書を通して、今を懸命に生きようとする私たちに語りかける神のみことばに耳を傾けましょう。
イザヤ書は預言の書の一つです。イエス・キリストがこの世に肉体をもって来られる700年ほど前に、預言者イザヤは神から預かったみことばを書き記しました。そこには、神のしもべイエス・キリストの、栄光と苦難に満ちた姿が詳細に描かれています。
イザヤはまず、高く上げられたしもべの栄光に満ちた姿を描きます。そして次に、そのしもべが高く上げられる前、最も低いところに下られた時の、苦難に満ちた姿を克明に描き出します。
「悲しみの人」という表現は、「痛みを知る人」とも訳せます。そしてその方は、「病を知っていた」とイザヤは語ります。実にイザヤが語る神は、「悲しみを知る方」であり、「痛みを知る方」であり、そして「病を知っていた方」です。
なぜイザヤが語る神は、「悲しみ」や「痛み」や「病」を知っておられるのでしょうか。
それはその方が、被災地に実際に赴いた結果、もはや支援者ではなく、被災者になられたからです。
キリスト教の中心ー神われらと共に
私たち人間は否定した。私たち人間を造り、共に生きるようにと招かれた創造主なる神を。
それ故私たち人間は、神の最高傑作としての自分自身を否定し、絶望的な状況に陥った。
しかし神は、イエス・キリストにおいて、そのような望みなき人間に、救いの手を差し伸べてくださった。
神われらと共に
キリスト教の中心とは何か?
信仰の対象、愛の起源、希望の内容とは何か?
福音の中心、福音の対象・起源・内容の中心とは何か?
それは、「和解の業において成就された契約」である。
和解論が取り扱う、この「キリスト教の中心」の近似値=「神われらと共に」
狭い共同体(教会)から広い共同体(地域住民)に向かっての福音宣教
神は狭い共同体(教会)の方々と、共におられる。
しかしそれだけではない!
神は、まだ福音を聞いたことがないすべての方々とも、共におられる。
神は、まだ福音を知らないすべての方々とも、共におられる。
神は、広い共同体(地域住民)のお一人お一人と、共におられる。
被災地におられるあなた。神はあなたと共におられます。
大切な方を亡くされたあなた。神はあなたと共におられます。
泣いてるあなた。神はあなたと共におられます。
インマヌエルー神は私たちとともに。
インマヌエルーいつも共におられるイエス・キリストは、そう呼ばれています。
インマヌエルー神は私たちとともに。
途方にくれているあなた。神はあなたと共におられます。
慰められることを拒んだあなた。神はあなたと共におられます。
被災地におられるあなた。神はあなたと共におられます。
1、神の一つの行為・行為における神の中心的出来事の報道
2、今ここで唯一無比な出来事として起こる唯一の特別な行為
3、人間の救済(存在の究極)に関する出来事・救済史
4、救済が定められている人間と共に(創造の目的としての救済)
5、救済と存在を失った人間・放蕩息子として悲惨の中に生きている人間と共に
6、以前の状態の回復をはるかに超える、さらにより偉大なこと
究極・救済・完成・終末・エスカトンの到来
7、われら神と共にー信仰と希望と愛、神の恵みの讃美