新年礼拝メッセージ「過ぎ去った時代」

新年礼拝メッセージ「過ぎ去った時代」

聖書箇所:使徒の働き14章1ー18節

過ぎ去った時代には、神はあらゆる国の人々がそれぞれ自分の道を歩むことを許しておられました。 とはいえ、ご自身のことをあかししないでおられたのではありません。すなわち、恵みをもって、天から雨を降らせ、実りの季節を与え、食物と喜びとで、あなたがたの心を満たしてくださったのです。」使徒14章16-17節

最初のクリスマス。その時歴史が大きく動きました。キリストによって的が照らし出され、それまでの時代は「過ぎ去った時代」となったのです。

暗闇の中で、弓を射ることを考えてみて下さい。もし的を照らし出す光がなければ、どんなに一生懸命になったとしても、的を外すことしかできないでしょう。

同じように私たちの人生においても、歩むべき道を照らし出す光がなければ、的を外した人生しか生きられません。

的外れなこととは何でしょうか?それは、本当の神を無視して感謝もせず、かえって他の神々に心を向けて自分のために生きることです。創造主なる神ではなく、自分のための神(偶像)を造って拝むこと。自分のために神を利用すること。自分が神になろうとすること。これ以上に的外れなことは出来ません。

「罪」という言葉と「証言する者がいない」という言葉がギリシア語で似ている理由。それは、「証言する者がいなければ、的外れな罪を犯してしまう」という関係があるからです。

パウロとバルナバは、神以外のものを神として拝むことがむなしく的外れであること、そして、天と地と海とその中にあるすべてのものをお造りになった生ける神こそが、礼拝を捧げるべき唯一の方であり、立ち返ってこの方に感謝を捧げ、この方のために生きることが、的を射た生き方であることを、必死になって訴えました。

礼拝メッセージ「栄光は神に」

礼拝メッセージ「栄光は神に」

聖書箇所:使徒の働き12章18ー25節

するとたちまち、主の使いがヘロデを打った。ヘロデが神に栄光を帰さなかったからである。彼は虫にかまれて息が絶えた。使徒の働き12章23節

ヘロデが神に打たれて即死した理由は、神に栄光を帰さなかったからです。実はこれこそ、私たち全人類が犯した「死に至る罪」です。なぜ人が死ぬようになったのか。それは、「取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ」と警告されていた善悪の知識の木から取って食べたからです。それは以下のような、死に向かう方向転換でした。

神を基準とせず自分を基準とする。神を神とせず自分を神とする。神を主とせず自分が主となる。神中心でなく自己中心になる。栄光を自分に帰す。

しかしイザヤ書53章には、そのような私たちの身代わりに、神に打たれた主イエスのことが記されています。主イエスはあなたの罪のために十字架で死なれ、復活して今も生きておられます。

この主イエスを受け入れて向きを変える。それは以下のような、いのちに至る悔い改めです。自分を基準とせず神を基準とする。自分を神とせず神を神とする。自分を主とせず神を主とする。自己中心でなく神中心になる。栄光を自分にではなく神に帰す。

礼拝メッセージ「大風呂敷の幻」

礼拝メッセージ「大風呂敷の幻」

聖書箇所:使徒の働き11章1ー18節

すると、もう一度天から声がして、『神がきよめた物を、きよくないと言ってはならない。』というお答えがありました。こんなことが三回あって後、全部の物がまた天へ引き上げられました。使徒の働き11章9-10節

使徒たちやユダヤにいる兄弟たちは、異邦人たちも神のことばを受け入れた、ということを耳にしました。そこで割礼を受けた者たちは、エルサレムに戻ってきたペテロを非難しました。「あなたは割礼のない人々のところに行って、彼らといっしょに食事をした。」

それでペテロは、事の次第を順序正しく説明しました。海辺の町ヨッパで見た大風呂敷の幻。カイザリヤのコルネリオを尋ねるに至った経緯。コルネリオの家で起こった聖霊降臨の出来事。ペテロはそれらを丁寧に語り、こう締めくくりました。「こういうわけですから、私たちが主イエス・キリストを信じたとき、神が私たちに下さったのと同じ賜物を、彼らにもお授けになったのなら、どうして私などが神のなさることを妨げることができましょう。」

人々はこれを聞いて沈黙し、「それでは、神は、いのちに至る悔い改めを異邦人にもお与えになったのだ。」と言って、神をほめたたえました。しかしこの問題は尾を引きます。

礼拝メッセージ「海辺のペテロ」

礼拝メッセージ「海辺のペテロ」

聖書箇所:使徒の働き10章1ー23節

さあ今、ヨッパに人をやって、シモンという人を招きなさい。彼の名はペテロとも呼ばれています。この人は皮なめしのシモンという人の家に泊まっていますが、その家は海辺にあります。使徒の働き10章5-6節

広くて大きい海の近くに住めば、私たちの心が広くて大きくなるかというと、そうではありません。広くて大きい平野に住んでも、同じことでしょう。

私たち人間は、お互いに自己中心な物差しや、地元意識のような狭い心を持って生きています。

-実は、自己中心な物差しを持つことこそ、聖書が語る罪です。それは自分を基準とし、自分を神とする罪です。-

そしてお互いに、自分と他者をはかりあって生きています。そして「きよい」とか「きよくない」とか、「仲間」だとか「よそ者」だとか区別し、壁を設けます。同じ人間が、血筋や肌の色、学歴や肩書き等によって人を差別し、受け入れたり拒んだりします。

実は神の選びの民であるユダヤ人も、まさにそのような罪深さを持って生きていました。使徒ペテロでさえ、せまくて小さい心で生きていました。しかし主イエスは、不思議な夢と出会いを通して、ペテロの心を徐々に広く大きくされました。

礼拝メッセージ「歩く聖書」

礼拝メッセージ「歩く聖書」

聖書箇所:使徒の働き9章32ー43節

さて、ペテロはあらゆる所を巡回したが、ルダに住む聖徒たちのところへも下って行った。使徒の働き9章32節

ペテロは、歩く聖書とされて、魂の救いのために、豊かに用いられていきました。

ルダという所では、八年間中風を患い、寝たきりだったアイネヤをいやし、それを見た人々の魂を救いました。

ヨッパという所には、タビタ(ギリシヤ名ドルカス)という女の弟子がいました。彼女は、多くの良いわざと施しをしていましたが、病気になって死にました。しかしペテロは、ひざまずいて祈ることによって、彼女を生き返らせ、生きている彼女を人々に見せたのです。このことがヨッパ中に知れ渡り、それを見た多くの人々の魂が救われました。

危機の時代に生かされている私たちも、主イエス・キリストを信頼して受け入れ、聖書のみことばを実生活に適用して生きるなら、歩く聖書とされます。

その時私たちは、「魂の救い」と「弟子作り」という教会の存在目的のために、豊かに用いられます。実に、「魂の救い」と「弟子作り」こそ、奇跡の中の奇跡です。

礼拝メッセージ「目からうろこ」

礼拝メッセージ「目からうろこ」

聖書箇所:使徒の働き9章1ー22節

するとただちに、サウロの目からうろこのような物が落ちて、目が見えるようになった。彼は立ち上がって、バプテスマを受け、・・・使徒の働き9章18節

サウロという人物は、キリスト教会(主の弟子たち)に対する大迫害者でした。この道の者であれば男女かまわず、見つけ次第縛り上げてエルサレムに強制連行しなければならない。そのような思いに燃え、彼はダマスコに向かっていました。

ところがサウロは、ダマスコ途上で待ち伏せしておられた復活の主イエスと、劇的な出会いをしました。出会いが人生を決めます。

「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。」と主イエスは問われ、サウロは、「主よ。あなたはどなたですか。」と問い返しました。すると主イエスは、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。」と言われました。キリスト者を迫害することは主であるイエス様を迫害することなのです。

その後サウロのところに、アナニヤという弟子が遣わされました。そしてサウロの目から、うろこのような物が落ち、目が見えるようになりました。サウロは自らの過ちを認め、罪を悔い改めてバプテスマを受けました。彼は自らが迫害していた主の弟子になり、主の器として用いられていきます。

礼拝メッセージ「聖霊による伝道」

礼拝メッセージ「聖霊による伝道」

聖書箇所:使徒の働き8章26ー40節

御霊がピリポに「近寄って、あの馬車といっしょに行きなさい」と言われた。そこでピリポが走って行くと、預言者イザヤの書を読んでいるのが聞こえたので、「あなたは、読んでいることが、わかりますか」と言った。使徒の働き8章29-30節

『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって。』(ゼカリヤ4章6節)と語られているように、教会の働きは、聖なる神の霊に導かれたキリスト者一人一人の働きです。

教会の働きが権力や能力によって進められようとするなら、そこから教会は誤った道にそれ、いのちの輝きと塩気を速やかに失います。

危機の時代の中で、教会が教会であるためには、静まって主の前にひれ伏し、祈りつつ心を開いて聖書のみことばに耳を傾け、聖なる神の霊に聞き従うことがどうしても必要です。

聖霊は、謙遜に道先案内をしてくださる最高の導き手であり、最高のコーチです。聖霊は、先導してくださいますが大切な働きを私たちに託してくださり、私たちを用いて神の働きを進めてくださるのです。

あなたもピリポのように、日常生活において聖霊のナビゲーションに素直に聞き従うならば、求めている方との出会いが与えられ、魂の救いという大切な働きのために、神に用いていただけます。