虹の彼方に Over the Rainbow

Over the Rainbow 虹の彼方に

礼拝式のご案内

日時:2011年 3月 6日(日)第1主日聖餐礼拝式
   ★第一礼拝・・・・・・・午前10時半~12時 
   ★第二礼拝・・・・・・・午後8時~9時
    聖書箇所:創世記9章1節-17節
    説教題:「虹の彼方に Over the Rainbow」
    説教:野町真理(日本同盟基督教団・杉戸キリスト教会牧師)

   ★スマイルキッズ(幼児から小学生向け)・第一週は第一に合流
   ★Jesus Junior(中高生から青年向け)・午後3時~

どなたでもお集いください。初めての方も大歓迎です。

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話す祈りと聞く祈り

話す祈りと聞く祈り

会話が「話すこと」と「聞くこと」によって成り立つように、祈りにも「話す祈り」と「聞く祈り」があります。聖書は、「話す祈り」よりも「聞く祈り」の方が大切であることを覚えています。

伝道者の書5:1-2には、

『神の宮へ行くときは、自分の足に気をつけよ。近寄って聞くことは、愚かな者がいけにえをささげるのにまさる。神の前では、軽々しく、心あせってことばを出すな。神は天におられ、あなたは地にいるからだ。…』

と語られています。

イザヤ書48:17-18には、

『あなたを贖う主、イスラエルの聖なる方はこう仰せられる。「わたしは、あなたの神、主である。わたしは、あなたに益になることを教え、あなたの歩むべき道にあなたを導く。あなたがわたしの命令に耳を傾けさえすれば、あなたのしあわせは川のように、あなたの正義は海の波のようになるであろうに。…』

と語られています。

主の祝福を受ける秘訣は、「日毎に御言葉に耳を傾けて聞く祈り」にあります。そして、その時にこそ、神に自らの自己中心な願いを聞いてもらうための熱心な祈りではなく、神が自分に対して願っておられるみこころに生きるための熱心な祈りを捧げることが可能となる。そんなことを覚えさせられています。

礼拝式における祝祷について

礼拝式における祝祷について

主の日(日曜日)ごとの礼拝式において、キリスト教会で行なわれていることは何でしょうか?

それは、一つ所(教会堂)に呼び集められた神の民(教会)が、御言葉(聖書)によって取り扱われ、自らのからだを、十字架の故に、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげること。そして、自らを委ねた復活の主の御手の中から、一人一人、それぞれの生活の場に、祝福の基として派遣される、散らされるということではないでしょうか。

祝祷は、もう一度散らされて、一人一人、それぞれの生活の場に、祝福の基として派遣される際になされます。

その時、牧師は何をしているのでしょうか?

その時、牧師は、三位一体の主の祝福が、散らされて派遣されていくお一人お一人の上に、豊かに限りなくありますようにと祈ります。牧師は祝祷において、派遣されるお一人一人の上に、祝福の祈りを捧げています。そしてそれは同時に、お一人お一人に対する派遣の宣言でもあります。

私たちは、祝福の基として世界に遣わされるために集められるのですから、礼拝式において、司会者、奏楽者、説教者、そしてすべて集められた礼拝の民が目指すべきことは、祝祷においてクライマックスを迎えると言っても過言ではないと私は考えています。

世界を変えるために派遣されるお一人お一人が聖霊に満たされ、上からの祝福に満ち満ちるようにと、祝祷の時牧師は祈っているのです。

上を向いて歩こう

夢の中へ with PENTAX K-7

杉戸町周辺で子育て中の皆さん、ぜひ教会に遊びに来てください。杉戸キリスト教会はかつて杉戸愛児園という名前でキリスト教保育をしていました。杉戸キリスト教会は今も子ども(児童)を愛する教会です!

礼拝メッセージ「神の決意」

神の決意

礼拝メッセージ「神の決意」(クリックで聴けます)

聖書箇所:創世記8章15−22節

主は、そのなだめのかおりをかがれ、主は心の中でこう仰せられた。「わたしは、決して再び人のゆえに、この地をのろうことはすまい。人の心の思い計ることは、初めから悪であるからだ。わたしは、決して再び、わたしがしたように、すべての生き物を打ち滅ぼすことはすまい。地の続くかぎり、種蒔きと刈り入れ、寒さと暑さ、夏と冬、昼と夜とは、やむことはない。」創世記8章21-22節

大洪水が起こってから1年後、神の導きに従って箱舟から出たノアが、最初にしたことは何だったでしょうか。それは神を礼拝することでした。

ノアは、主なる神のために祭壇を築き、祭壇の上で全焼のいけにえをささげました。ノアの礼拝に応答して、神は上記のみことばのように決意されました。けれども、終末時代に生かされている私たちには、以下のような神の忍耐と望みが啓示されています。

『しかし、今の天と地は、同じみことばによって、火に焼かれるためにとっておかれ、不敬虔な者どものさばきと滅びとの日まで、保たれているのです。しかし、愛する人たち。あなたがたは、この一事を見落としてはいけません。すなわち、主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。』2ペテロ3章7-9節