礼拝メッセージ「宇宙の創造」

礼拝メッセージ「宇宙の創造」

聖書箇所:創世記1章1-5節

初めに、神が天と地を創造した。地は茫漠として何もなかった。やみが大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていた。創世記1章1-2節

ドラマや映画において、第一話や第一部を見逃して途中から見始めるなら、「なぜそういうことになっているのか、理解できない???」ということがたくさん出てくることでしょう。

それと同じように、いやそれ以上に、もしも創世記冒頭の大切なシーンを見逃してしまうなら、途中からどんなに聖書を味わおうとしても、理解できないことや誤解が続出してしまうことでしょう。

創世記の初めの数章は、長編歴史ドラマの第一話や、シリーズ映画の第一部のような、とても大切な箇所です。

なぜなら、そこにおいてこそ、神と人間が織り成すドラマにおける、すべての舞台設定がなされ、主人公や登場人物が順番に紹介されていくからです。

創世記1章は、宇宙の創造について語っています。そしてその際、どこに視点を置いているのかをまず明確にしています。創世記1章において、カメラは、原始地球の厚いカーテンのような大気の下に逆巻く海面のすぐ上にセットされています。

その視点、そのカメラアングルから見た時にだけ、創世記に記録されている宇宙創造のプロセスが、完璧に科学的であり、歴史的事実を語る誤りのない神の御言葉であることを理解することができるのです。

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礼拝メッセージ「暗やみから光に」

礼拝メッセージ「暗やみから光に」

聖書箇所:使徒の働き26章1-23節

わたしは、この民と異邦人との中からあなたを救い出し、彼らのところに遣わす。それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである。』使徒26章17-18節

人間の堕落によって、この世界は光から暗やみに滑り落ちました。神の愛からサタンの支配に滑り落ちてしまったのです。滑り落ちた先は、創世記冒頭に記されている、あの天地創造前の風景に似ています。

『地は茫漠として何もなかった。やみが大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていた。』創世記1章2節(新改訳第3版)

突破口をなかなか見つけられず、暗く重苦しい閉塞感に覆われているこの地は、茫漠として何もなく、やみが大水の上にあります。しかしそこには、まさしく神の霊がおられ、神の霊は私たちのために休むことなく動いておられるのです。

やがて神は仰せられます。「光があれ。」と。すると光が訪れるのです。光とは昼であり、やみとは夜です。光の訪れとは、夜明け・サンライズの時なのです。信仰をもって東を見つめるなら、やがて昇ってくる光の軌跡を、夜明け前の最暗黒の中にも見ることができるでしょう。

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礼拝メッセージ「一時的預かりもの」

礼拝メッセージ「一時的預かりもの」

聖書箇所:使徒の働き24章1-27節

また、義人も悪人も必ず復活するという、この人たち自身も抱いている望みを、神にあって抱いております。そのために、私はいつも、神の前にも人の前にも責められることのない良心を保つように、と最善を尽くしています。 使徒24章15-16節

死後に義人も悪人も必ず復活し、やがて来る審判において、一時的に神から預かった地上の人生をどう生きたかが問われる。パウロは、そのことをいつも覚えて、毎日最善を尽くして生きていました。

1、人生は一時的である
 

主よ。お知らせください。私の終わり、私の齢が、どれだけなのか。
 私が、どんなに、はかないかを知ることができるように。
 詩篇39篇4節

2、人生は神からの預かりものである
 

そして神は、「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。
 そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、
 地をはうすべてのものを支配させよう。」と仰せられた。 
 創世記1章26節

3、人生はテストである
 

神である主は、人を取り、エデンの園に置き、そこを耕させ、またそこを守らせた。
 神である主は、人に命じて仰せられた。
「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。
 しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。
 それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。」
 創世記2章15-17節

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礼拝メッセージ「父祖たちの神」

礼拝メッセージ「父祖たちの神」

聖書箇所:使徒の働き6:8-7:16

そこでステパノは言った。「兄弟たち、父たちよ。聞いてください。私たちの父祖アブラハムが、カランに住む以前まだメソポタミヤにいたとき、栄光の神が彼に現われて、・・・使徒の働き7章2節

歴史はいつでも、静まって神の御声を聴くことができ、いのちをかけて神に従うことを選び取ることのできた一人一人によって、切り開かれて来ました。

これからの歴史、ネクスト・ステージもそうです。静まって神の御声を聴くことができ、いのちをかけて神に従うことを選び取ることのできる一人。そのような一人によって、フロンティアは切り開かれていきます。

今日から4回に分けて、最初の殉教者ステパノの、いのちをかけた説教に耳を傾けます。今日の部分では、旧約聖書の創世記に記されている父祖たちと、父祖たちの神について、語られています。

ぜひ来週までに創世記を全部お読みになってください。そこには、父祖たちと呼ばれる人たちの人生が記録されています。

アブラハム、イサク、ヤコブ、そしてヨセフを中心とした12人の族長たち。父祖たちの神は、彼ら一人一人をお用いになって、歴史を切り開かれました。

礼拝メッセージ「アブラハムのしもべ」

礼拝メッセージ「アブラハムのしもべ」

聖書箇所:創世記24章34ー67節

アブラハムのしもべは、彼らのことばを聞くやいなや、地にひれ伏して主を礼拝した。創世記24:52

アブラハムのしもべは、とても大切な働きに任命され、アブラハムの息子イサクのために花嫁さがしの旅に遣わされました。

目的地付近に着いた時、アブラハムのしもべは具体的な相談を神さまとしていました。ところが、心の中で話し終わらないうちに、リベカさんという素敵な女性が現れ、『お飲みください。あなたのらくだにも水を飲ませましょう。』と言いました。

アブラハムのしもべは、具体的な祈りによって具体的な答えを神さまからいただき、さらに具体的に話を進めました。その結果、相手と相手の家族から驚くばかりの応答をいただき、神さまが旅を成功させてくださったことを確信することができました。

私たちは洗礼(バプテスマ)を受ける時、アブラハムのしもべのように、とても大切な働きに任命され、旅に派遣されます。それは福音宣教、世界宣教、キリストの花嫁である教会形成、花嫁さがしの旅です。

信仰によって、具体的に祈りつつ前に向かって歩んで行く時、みこころかどうかを確証することができます。その時私たちは、それぞれの旅を成功させてくださる神を体験することができるのです。

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礼拝メッセージ「旅を成功させてくださる神」

礼拝メッセージ「旅を成功させてくださる神」

聖書箇所:創世記24章1ー33節

この人は、主が自分の旅を成功させてくださったかどうかを知ろうと、黙って彼女を見つめていた。創世記24:21

晩年のアブラハムは、あらゆる面で主なる神からの祝福を受けていました。しかし、自分がこの地上の人生を締めくくるにあたって、気がかりなこと、祈りの課題がありました。それは約束の子として授かった一人息子イサクの結婚相手でした。

それでアブラハムは、信頼の置ける最年長のしもべを呼び寄せ、誓わせて花嫁さがしの旅に出させます。

アブラハムのしもべは、アブラハムの生まれ故郷へと旅します。旅の道中、しもべはとても具体的な祈りをしつつ、みこころを確かめようと努めます。

驚くべきことに、しもべがまだ祈り終わらないうちに、一人の女性がしもべの前にあらわれ、しもべが祈ったとおりのことを語り、行いました。しもべは、主が自分の旅を成功させてくださったかどうかを知ろうと、黙って彼女を見つめていました。

主なる神は、私たちが願う前にあなたの必要をよくご存じです。そして主はいつでも、あなたにとっての最善を用意し、待っていてくださいます。あきらめずに忍耐をもって、具体的に祈りつつ旅を続けていく時、主が備えてくださっている最善に出会うことが出来るのです。

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礼拝メッセージ「墓地への葬り」

礼拝メッセージ「墓地への葬り」

聖書箇所:創世記23章1ー20節

こうして後、アブラハムは自分の妻サラを、カナンの地にある、マムレすなわち今日のヘブロンに面するマクペラの畑地のほら穴に葬った。創世記23:19

人生を共に歩み、苦楽を共にした最愛の妻サラが死んだ時、夫アブラハムは慟哭し、嗚咽し、滂沱しました。

『祝宴の家に行くよりは、喪中の家に行くほうがよい。そこには、すべての人の終わりがあり、生きている者がそれを心に留めるようになるからだ。』伝道者の書7章2節

ある日突然死が訪れ、墓地へ葬られる。厳粛な事実です。病気やケガがいやされることは感謝なことです。しかしそれらは一時的な救いでしかありません。やがて私たちの肉体は、罪の故に死に至り、土に帰るのです。

しかし、神の御前に心を注ぎ出し、天を見上げる時、人は新しく力を得て、死に勝利することができます。アブラハムは、復活信仰をもって死者のそばから立ち上がり、墓地を買い取り、妻サラを墓地へ葬りました。

私たちのために十字架で死なれ、葬られ、3日目に復活されたイエス・キリストを信じる者は、永遠のいのちを持ち、天に国籍を持ちます。死は本当の終わりではなく、新しいいのちの始まりなのです。

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