礼拝メッセージ「返さなければならない負債」ローマ2

礼拝メッセージ「返さなければならない負債」ローマ2(クリックで聴けます)

聖書箇所:ローマ人への手紙1章8ー15節

私は、ギリシヤ人にも未開人にも、知識のある人にも知識のない人にも、返さなければならない負債を負っています。ですから、私としては、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を伝えたいのです。ローマ人への手紙1章14-15節

自己紹介を兼ねた挨拶の後、パウロはまず神に感謝をささげます。なぜなら帝国の首都であるローマにおいて、パウロの手によらず既に教会が開拓され、彼らの信仰が全世界に言い伝えられていたからです。

ローマによる道路網の整備、ローマによる旅の安全、そして伝達のための共通言語(コイネーギリシヤ語)。効果的な福音宣教のために、神は着々と下準備をなさっておられたのでした。

次にパウロは、「なぜ自分がローマのキリスト者たちに切に会いたがっているのか」、その理由を切々と語ります。

1、御霊の賜物を分けて、彼らを強くしたいから
2、互いの信仰によって共に励ましを受けたいから
3、いくらかの実を得ようと思って
4、返さなければならない負債を負っているから

4番目が主な理由だと考えられます。パウロは、癌の特効薬のような福音を、神から託されていたからです。福音は死に至る病(罪)に犯されている全人類に通用する特効薬です。しかし罪に対する治療法を確立するためには、福音の説き明かしによって、健全な教会を形成することがどうしても必要です。

礼拝メッセージ「キリスト・イエスのしもべ」

礼拝メッセージ「キリスト・イエスのしもべ」(クリックで聴けます)

聖書箇所:ローマ人への手紙1章1ー7節

神の福音のために選び分けられ、使徒として召されたキリスト・イエスのしもべパウロ、ローマ人への手紙1章1節

今日からローマ人への手紙に耳を傾け始めます。
歴史において、特に危機の時代において、圧倒的な力を見せつけながら、世界を、人類を改革し続けているのが、ローマ人への手紙です。

なぜならローマ人への手紙には、福音の土台と柱が、福音の骨格がしっかりと文章化されているからです。

ローマ人への手紙は、パウロという人物が、当時の世界の中心であったローマにいるキリスト者たちに宛てて書いた手紙です。

手紙の差出人であるパウロの、自己紹介に注目しましょう。原文で読むと手紙の書き出しは以下のような順番になっています。

「パウロ しもべ キリスト・イエスの」

名前のすぐ後に記され、「しもべ」と訳されているのは、ドゥロスという言葉です。これは奴隷を意味する強烈な言葉です。

かつて教会・キリスト信者を、主イエスを熱心に迫害していたパウロ(サウロ)は、ダマスコ途上で待ち伏せしておられた神に遭遇し、復活の主イエスに打ち倒され、捕えられたのです。その結果パウロはキリスト・イエスのしもべ(奴隷)とされ、福音を異邦人に運ぶ器とされたのでした。(使徒9章参照)

キリスト・イエスのしもべ ローマ人への手紙の講解説教

キリスト・イエスのしもべ

ローマ人への手紙の講解説教を始めます。どなたでもお集いください。

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牧師の心のケアについて

休日もずっと職場に居続ける社会人を想像して見てほしい。遠からずその人は些細なことで苛立ち、心身共に疲労困憊し、病んでしまうだろう。

牧師館と教会堂が一体化しているような奉仕生活をしている人の場合、休日に努めて外出することによって、心身共にリフレッシュすることができる。良い奉仕をするためには、定期的に遣わされた場と奉仕を離れて休む必要がある。

牧師は休みをとって遊ばなければ、決して良い働きを継続することはできない。仕事中毒からは本当に良い奉仕、豊かに残る実を結ぶクリエイティブな奉仕は生まれない。

by のまちゃん牧師

神のいつくしみときびしさ

杉戸キリスト教会週報をデジタル化して足跡を振り返ると、今も生きておられ、歴史を導いておられる神を覚えざるを得ません。

特に今年の3月11日に東日本大震災が起こるまでに、主日(日曜日)ごとの礼拝で語らせていただいた聖書箇所とメッセージの内容を覚える時、神のいつくしみと共に、神のきびしさを覚えざるを得ないのです。

なぜなら3月11日に至る前に、私は旧約聖書の創世記から順番に講解説教していて、ちょうどノアの箱舟のテキストにおいて、大洪水のことを語り終えた後、あの大震災と大津波、そして原発震災が起こったのですから。

愛する皆さん。防災のために、ぜひ聖書に書き記されている未来を想定内に入れた人生設計をしてください。聖書に書かれていることはすべて、時が来ると必ず出来事になる、その通りになる確かな神のみことばなのですから。

礼拝メッセージ「目的を持って生きる」

礼拝メッセージ「目的を持って生きる」

聖書箇所:ローマ人への手紙2章1ー29節

ですから、すべて他人をさばく人よ。あなたに弁解の余地はありません。あなたは、他人をさばくことによって、自分自身を罪に定めています。さばくあなたが、それと同じことを行なっているからです。ローマ2:1

私たちが犯しやすい過ちの一つは、「自分のことは棚に上げて人の悪口を言う」ということではないでしょうか。それはまるで、他人をさばくことが人生の目的であるかのような、的外れな生き方です。

そのような私たちに、神はみことばをもって厳しく警告しています。

『そのようなことをしている人々をさばきながら、自分で同じことをしている人よ。あなたは、自分は神のさばきを免れるのだとでも思っているのですか。それとも、神の慈愛があなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と忍耐と寛容とを軽んじているのですか。ところが、あなたは、かたくなさと悔い改めのない心のゆえに、御怒りの日、すなわち、神の正しいさばきの現われる日の御怒りを自分のために積み上げているのです。』

聖書が教えている人生の目的を一言で言うと、『神と隣人を、全身全霊をもって愛する』ということです。それには、まず自分のことを棚から卸し、自分自身を吟味し、そして十字架を見上げていくことが必要です。また、自分の言葉で目的宣言文を書くことも必要です。

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