アクセルを踏む前にまず方向確認を February 25, 2025

「アクセルを踏む前にまず方向確認を」February 25, 2025

アクセルを踏む前に、まず方向を確認する必要があります。
もし反対方向に向かってアクセルを踏むなら、
目的地からどんどん離れてしまうからです。

祈り(祈祷論)においても同様のことが言えます。
熱心に祈る前に、まず向きを確認する必要があります。
もし的外れな方向に向かって熱心に祈ったら、
みこころという的から、どんどん遠ざかってしまうからです。

だからJESUSは、祈る時には、
「まず聞く祈りによって向きを確認し、
 次にその方向性で、
 あつかましいほど熱心に願い求める祈りを続けなさい。」
と教えておられます。

そんなことがThe Bibleのどこに記されているのか。
新約聖書ルカの福音書、
10章38節から11章13節に記されています。

神の国の福音 February 23, 2025

「神の国の福音」February 23, 2025

神の国の福音とは、
権威と力があるJESUSのことばによる解放と癒しです。
ほかの町々にも神の国の福音を宣べ伝えるために、
JESUSは遣わされました。

神の国、すなわち権威と力があるJESUSが近づくと、
汚れた悪霊が叫び始めます。

あなたもJESUSを受け入れるなら、
解放と癒しを体験することができます。
そしてJESUSは、
ほかの町々にも神の国の福音を宣べ伝えるために、
あなたを遣わされるでしょう。

それからイエスは、ガリラヤの町カペナウムに下られた。
そして安息日には人々を教えておられた。
人々はその教えに驚いた。
そのことばに権威があったからである。
そこの会堂に、汚れた悪霊につかれた人がいた。
彼は大声で叫んだ。
「ああ、ナザレの人イエスよ、
 私たちと何の関係があるのですか。
 私たちを滅ぼしに来たのですか。
 私はあなたがどなたなのか知っています。神の聖者です。」
イエスは彼を叱って、
「黙れ。この人から出て行け」と言われた。
すると悪霊は、その人を人々の真ん中に投げ倒し、
何の害も与えることなくその人から出て行った。
人々はみな驚いて、互いに言った。
「このことばは何なのだろうか。
 権威と力をもって命じられると、
 汚れた霊が出て行くとは。」
こうしてイエスのうわさは、
周辺の地域のいたるところに広まっていった。
イエスは立ち上がって会堂を出て、シモンの家に入られた。
シモンの姑がひどい熱で苦しんでいたので、
人々は彼女のことをイエスにお願いした。
イエスがその枕元に立って熱を叱りつけられると、熱がひいた。
彼女はすぐに立ち上がって彼らをもてなし始めた。
日が沈むと、様々な病で弱っている者をかかえている人たちがみな、
病人たちをみもとに連れて来た。
イエスは一人ひとりに手を置いて癒やされた。
また悪霊どもも、「あなたこそ神の子です」と叫びながら、
多くの人から出て行った。イエスは悪霊どもを叱って、
ものを言うのをお許しにならなかった。
イエスがキリストであることを、彼らが知っていたからである。
朝になって、イエスは寂しいところに出て行かれた。
群衆はイエスを捜し回って、みもとまでやって来た。
そして、イエスが自分たちから離れて行かないように、
引き止めておこうとした。
しかしイエスは、彼らにこう言われた。
ほかの町々にも、神の国の福音を宣べ伝えなければなりません。
わたしは、そのために遣わされたのですから。

そしてユダヤの諸会堂で、宣教を続けられた。
(ルカの福音書4章31ー44節)

今日実現した聖書のことば February 16, 2025

「今日実現した聖書のことば」February 16, 2025

旧約時代から、
「イスラエルの預言者はだれも自分の郷里イスラエルでは歓迎されません」。
だから預言者は、イスラエルのただ中を通り抜けて異邦人に遣わされるのです。
けれども、あなたがJESUSを歓迎するなら、
主の恵みの年を告げる聖書のことばは、今日JESUSによって実現します。

「主の霊がわたしの上にある。
貧しい人に良い知らせを伝えるため、
主はわたしに油を注ぎ、わたしを遣わされた。
捕らわれ人には解放を、
目の見えない人には目の開かれることを告げ、
虐げられている人を自由の身とし、
主の恵みの年を告げるために。」
イエス(JESUS)は巻物を巻き、係りの者に渡して座られた。
会堂にいた皆の目はイエス(JESUS)に注がれていた。
イエス(JESUS)は人々に向かって話し始められた。
「あなたがたが耳にしたとおり、
今日、この聖書のことばが実現しました。
人々はみなイエス(JESUS)をほめ、
その口から出て来る恵みのことばに驚いて、
「この人はヨセフの子ではないか」と言った。
そこでイエス(JESUS)は彼らに言われた。
「きっとあなたがたは、
『医者よ、自分を治せ』ということわざを引いて、
『カペナウムで行われたと聞いていることを、
あなたの郷里のここでもしてくれ』と言うでしょう。」
そしてこう言われた。
「まことに、あなたがたに言います。
預言者はだれも、自分の郷里では歓迎されません。
まことに、あなたがたに言います。
エリヤの時代に、イスラエルに多くのやもめがいました。
三年六か月の間、天が閉じられ、大飢饉が全地に起こったとき、
そのやもめたちのだれのところにもエリヤは遣わされず、
シドンのツァレファテにいた、
一人のやもめの女にだけ遣わされました。
また、預言者エリシャのときには、
イスラエルにはツァラアトに冒された人が多くいましたが、
その中のだれもきよめられることはなく、
シリア人ナアマンだけがきよめられました。」
これを聞くと、会堂にいた人たちは みな憤りに満たされ、
立ち上がってイエス(JESUS)を町の外に追い出した。
そして町が建っていた丘の崖の縁まで連れて行き、
そこから突き落とそうとした。
しかし、イエス(JESUS)は
彼ら(イスラエル)のただ中を通り抜けて、去って行かれた。

(ルカの福音書4章18ー30節)

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荒野に導かれて 礼拝・WORSHIPのご案内

荒野に導かれて 礼拝・WORSHIPのご案内

杉戸キリスト教会では、日曜朝10時過ぎから賛美と祈りを始めます。
10時半から朝の礼拝(ワーシップ)の時を持っています。
夕礼拝は夜8時から9時です。
どなたでもお集いください。
あなたの上に、JESUSの愛が豊かに満ちあふれますように。

杉戸キリスト教会地図2014

荒野に導かれて February 9, 2025

「荒野に導かれて」February 9, 2025

韓国のクリスチャンアーティストHisWillの曲に、
「荒野をとおって(광야를 지나며)」という歌がある。
以下に歌詞を引用する。

なぜ闇の中に 深き闇に 
ひとりで捨てられたのか
私はなぜ 寂しくなり
低くなり 頼りなくなったのか
荒野 荒野にいる

主だけ助けになり 
主だけ光になり
主だけ友になれる 荒野
主を離れて とても生きられない
荒野 荒野にいる

主に用いられるように
きよめられるように
主に送られた所 荒野
御霊によって 生まれ変えられる 
荒野 荒野にいる

心を明け渡して
華やかな夢も 主の手にささげる
主の御旨が わが主だけが
私に現れるように
荒野をとおって

実はJESUSも、荒野をとおられた。
神がJESUSを荒野に導かれた目的は、
荒野を通って十字架の死に至る従順を学び、
神のみこころを成し遂げるためだった。

そして神が私たちを荒野に導かれる目的は、
荒野を通って自分を捨ててJESUSに従う従順を学び、
神のみこころを成し遂げるため。

必要なことは一つだけ February 4, 2025

「必要なことは一つだけ」February 4, 2025

ルカの福音書10章に記されているエピソードです。
ある所に、マルタという姉とマリアという妹がいました。
ある日、マルタはJESUSを家に招きました。

マルタ姉さんはおもてなしのために、
忙しく動き回っていました。
妹のマリアはJESUSの足もとに座って、
JESUSのことばに聞き入っていました。

マルタはついにJESUSに怒りをぶつけます。
「主よ。私の姉妹が私だけにもてなしをさせているのを、
何ともお思いにならないのですか!
私の手伝いをするように、おっしゃってください!」

その時、JESUSはこう答えられました。
「マルタ、マルタ、
あなたはいろいろなことを思い煩って、
心を乱しています。
しかし、必要なことは一つだけです。
マリアはその良いほうを選びました。
それが彼女から取り上げられることはありません。」

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マタイの系図とルカの系図の違い February 2, 2025

「マタイの系図とルカの系図の違い」February 2, 2025

1、順番が逆・流れが逆 
 マタイは、過去からJESUSにくだる系図
 ルカは、JESUSから過去にさかのぼる系図

2、女性の名前があるかないか
 マタイは、女性の名前も記す
    タマル、ラハブ、ルツ、(ウリヤの妻)、マリア
 ルカは、男性の名前だけを記す

3、アブラハムより以前の名前があるかないか
 マタイは、アブラハムからくだってJESUSに至る
 ルカが記した神に至る系図は、
 JESUSから過去に遡り、
 アブラハムよりもさらに遡り、
 最初の人アダム、そして神に至る。

JESUSはユダヤ人だけの救い主ではなく、
全世界のすべての民族の救い主(最後のアダム・神の子)である。

23 イエスは、働きを始められたとき、およそ三十歳で、
  ヨセフの子と考えられていた。
  ヨセフはエリの子で、さかのぼると、
24 マタテ、レビ、メルキ、ヤンナイ、ヨセフ、
25 マタティア、アモス、ナホム、エスリ、ナガイ、
26 マハテ、マタティア、シメイ、ヨセク、ヨダ、
27 ヨハナン、レサ、ゼルバベル、シェアルティエル、ネリ、
28 メルキ、アディ、コサム、エルマダム、エル、
29 ヨシュア、エリエゼル、ヨリム、マタテ、レビ、
30 シメオン、ユダ、ヨセフ、ヨナム、エルヤキム、
31 メレア、メンナ、マタタ、ナタン、ダビデ、
32 エッサイ、オベデ、ボアズ、サラ、ナフション、
33 アミナダブ、アデミン、アルニ、ヘツロン、ペレツ、ユダ、
34 ヤコブ、イサク、アブラハム、テラ、ナホル、
35 セルグ、レウ、ペレグ、エベル、シェラ、
36 ケナン、アルパクシャデ、セム、ノア、レメク、
37 メトシェラ、エノク、ヤレデ、マハラルエル、ケナン、
38 エノシュ、セツ、アダム、そして神に至る。
(ルカの福音書3章23ー38節)