神の国のライフスタイルに生きるキリスト者

2001年9月11日。セプテンバーイレブン。その時私は、予定されていた日本同盟基督教団教育部主催の補教師研修会のために、松原湖バイブルキャンプ場にいた。台風接近のため日程がずれることになったが、強まる風雨の中であのニュースを見た。

米国のリック・ウォレン牧師が “The Purpose Driven Life”(邦訳題は『人生を導く5つの目的』)を出版したのが翌年の2002年。

この本には、、オブジェクト指向のような、目的志向の人生に関する、特筆すべき色あせない輝きがある。(オブジェクト指向の素晴らしさについては、中島聡氏のWEBページhttp://satoshi.blogs.com/life/2004/09/post.htmlを参照)

しかしこの本は、世界中から富を搾取して飢えの時代を作りつつ、自らは富むキリスト者たちへの歯止めにはなっていない。新自由主義路線に舵を切って格差社会、ワーキングプアを産み落としていく米国。世界各国の貧しい人々を民営化した戦争に派遣し、死の商人から譲り受けた劣化ウラン弾によって放射能をまき散らす米国。世界を巻き込む金融為替崩壊へと向かっていく米国を見るとき、祈りつつ、そのようなことを考えざるを得ない。

だから今、杉戸キリスト教会の主日礼拝式では、聖書に基づいて『人生を導く5つの目的』のメッセージを味わっている。また、聖書学校(洗礼後クラス)では、小グループによる学びの中で、実生活への適用を考えながら『人生を導く5つの目的』をテキストとして用いている。

それと共に、水曜午後の祈祷会では、預言者イザヤの書を読み進めている。イザヤが活躍した紀元前の時代と同様に、主なる神はこの時代に生きる諸国の民に宣告をなさっておられる。悔い改めない国民には、本当に愛するが故に、容赦のない厳しい裁きを行っておられる。あらゆるささえと頼りを除かれ、「鼻で息をする人間など頼りにするな!悔い改めて、主なる神だけに頼って生きよ!」と主は叫ばれている。

神の国のライフスタイルに生きるキリスト者が新しく生まれるために、主は今、産みの苦しみをされている。

質問へのお返事

初めまして。杉戸キリスト教会の牧師をしている野町真理と申します。メールでの質問をありがとうございました。

以下、私なりにお返事を書かせていただきます。あなた様の上に、祝福がありますようにと祈りつつ。

Q1、全知全能で人間を愛してゐるゴツドが本当に存在するのなら、何故この世に悪や不可抗力による事故、天災などが存在するのですか?

杉戸キリスト教会でも今年、一人の素晴らしい教会員が自転車で通勤途中、スピードを出して交差点に突っ込んで来た車に跳ね飛ばされ、頭を強く打ち、救急車で搬送され、集中治療室から出ることなく天に帰っていかれました。

このように人生には、「なぜですか?」と問わざるを得ない事故や災いが多くあります。

しかし、全知全能で人間を愛しておられるゴットは、私たち人間が苦しむ時、そこに共におられます。
そしてゴットは、あらゆる苦しみや痛みを、私たちと共に味わっておられます。ゴットがインマヌエル(神我らと共にの意)と呼ばれる理由がそこにあります。

日本では、北森嘉蔵師が「神の痛みの神学」という本を書いています。そしてドイツでは、ヘルムート・ティーリケが「主の祈りー世界を包む祈り」という本を書いています。

まずゴットご自分があらゆる患難、苦難、災い(多くの場合、天災というよりは人災でしょう)を味わわれ、それが本当に人間に益になるかどうかを吟味なさいます。そして、苦しいけれども人間の益になるということであるならば、その苦しみが私たちに降りかかるのをお許しになられます。「患難汝を玉にす」だからです。

Q2、ゴツドが全能なら、さつさと悪魔を滅ぼすか元の天使に戻せば良いではありませんか。

実は私たち人間は、現在非常に悪魔的な存在です。ですからゴットがさっさと悪魔を滅ぼすならば、私たちもまた、速やかに滅ぼされてしまうでしょう。悪(EVIL)というのは、生かすこと(LIVE)の反対です。悪とは命を奪い取ること、すなわち殺すことです。

言葉において、態度において、行為において、日々私たちは隣人から元気や命を奪い取り、人を殺すことの多い悪魔的な存在ではないでしょうか。さらに私たちは、神を神とせず、己を神とし、死んでからも己を拝ませようと躍起になっている悪魔的な存在です。

堕天使を元の天使に戻す。・・・そうですね。神は悪魔を元に戻すかわりに、堕天使のように堕落した私ども人間を、ご自分の命をかけて新しい人間に再創造することを始めておられます。

Q3、私はゴツドも悪魔も存在しないと考へます。仮に存在するとしても、ゴツドは全能ではない、更に譲つて全能だとしても人間の運命には関心が無いのだと思ひます。

私はゴットの存在も悪魔の存在も覚えています。悪魔は人間に比べたら吠え猛る獅子のようでありますが、全能のゴットに比べたら、悪魔は赤子のようです。ヨブ記に記されている通り、悪魔はゴットの許可がなければ、何もすることができない無力な存在です。

Q4、イエスは古代ユダヤの偉大なラビであり、それ以上でもそれ以下でもありません。

ナザレのイエスは、地上で最も偉大なラビであり、人となられた生けるゴット御自身、救い主、キリストであられます。

Q5、我が日本国にキリスト教は永遠に根付かないし、その必要も無いと考へます。

私もそう思っていました。しかしゴットとの出会いが私の人生を変えました。アジアの片隅で起こったキリスト教は、やがてローマ帝国に根付き、ヨーロッパに根付き、アメリカに根付き、そして今はアジアに根付きつつあります。特に中国では、億単位の人たちがキリスト教に帰依しています。おそらくアメリカに変わって、世界の金融の中心になるのは、アジアでしょう。

さらに、やがてキリスト教は地球を一周してエルサレム、つまりユダヤ人たちに根付くでしょう。

今日本がキリスト教に対して鎖国すれば、アジアからも世界からも取り残され、ゴットの豊かな祝福を受け損なうことになるでしょう。

在主
杉戸キリスト教会牧師 野町真理
〒345-0025 杉戸町清地1-1-30
http://sugito.church.jp/

礼拝メッセージ「時間がかかる」

礼拝メッセージ「時間がかかる」

聖書箇所:ヤコブの手紙 5章

こういうわけですから、兄弟たち。主が来られる時まで耐え忍びなさい。見なさい。農夫は、大地の貴重な実りを、秋の雨や春の雨が降るまで、耐え忍んで待っています。あなたがたも耐え忍びなさい。心を強くしなさい。主の来られるのが近いからです。ヤコブの手紙5:7-8

成熟に至る近道はありません。その理由は、私たちの理解が遅いこと、捨てなければならないものがたくさんあること、自分の現実を直視することを恐れること、成長にはしばしば痛みと恐れが伴うこと、習慣を身につけるには時間がかかることなどにあります。

主なる神は決して焦ったり、思いつきで事を進めたりはなさいません。いつも神の時刻表に基づいて、予定通り最善に事を進めておられます。ですから主にすがりつつ、以下のことを心がけましょう。

1、たとえそう思えなくても、神が自分の人生の中に働いてくださっていると信じること

2、学んだ教訓をノートや日記につけておくこと

3、神と自分自身に対して忍耐強くあること

4、気落ちしてはいけない

iTunesのようなポッドキャストの受信ソフトにこのバナーをドラッグ&ドロップすることで、番組を登録できます。詳しくはこちら

いのちの食べかた Our daily Bread

いのちの食べかた(原題はOur daily Bread:日毎の糧)という映画。毎日私たちが食べているお肉や野菜や果物などが、どのようにして切り身などになってお店に並ぶのかを知ることのできるドキュメンタリー映画です。高度に効率化、機械化されたプロセスは、衝撃的です。しかしいのちの尊さを覚えるためには、知っておく必要があるでしょう。もうすぐDVDでも発売されます。


http://www.espace-sarou.co.jp/inochi/

バトンタッチ その3

Just like Mt. Doom

今週月曜に、久しぶりに休暇を取ることが出来、妻と一緒に那須岳登山をした。この風景、まるで指輪物語(The Lord of the Rings)の中に出てくる滅びの山(Mt. Doom)みたいでしょ。(実際この山は今も活火山です。硫黄臭い煙を立ち上らせている山肌なのです。もし噴火すれば文字通り滅びの山になるでしょう。)

すべてを支配することができる権力の象徴である「力の指輪」を滅ぼすために、フロドとサムがこのような山を登ったことを思い浮かべながら写真を撮りました。

バトンタッチにおいて、打ち勝たなければならないものの一つ。それは、力あるポジションが持つ魔力ではないでしょうか。まるで重力場のように、強力な吸引力を持つポジション。だからこそ、バトンタッチの時期が来ていることを覚えても、なおその座を譲ることができないほどその人を捕らえてしまうのです。

しかし、祈りの力によるなら、そのような力の誘惑にも、見事に打ち勝つことができるでしょう。なぜなら祈りにおいて、私たちは自分の意義と安全を、ポジションにおいて見いだすのではなく、神御自身の中に見いだすことができるからです。

バトンタッチ その2

かつて日本の宣教は、宣教師主導でなされていった。宣教師が主導権を持って開拓伝道がなされた。しかしそのようにして生み出された教会において、日本人牧師へのバトンタッチは難しさを極めた。教会を自分たちで支え、教会の働きを自分たちで担っていくということを教えられなかった多くの信徒たちは、宣教師が手を引いた後、「宣教師と共に去りぬ」という悲しいことになった。後に残ったわずかな信徒の上には、会堂返済のための多額の借金だけが残されるという悲惨なケースも起こった。

将来のバトンタッチを視野に入れるならば、宣教師主導で開拓伝道をすることは止めるべきである。そのような反省がなされ、やがて開拓初期から、日本人牧師と共に開拓伝道を行うという方針が取られるようになった。この場合は、かなりスムーズにバトンタッチが行われ、豊かな実を結んでいる。

教会形成は個人プレーでは不可能である。開拓伝道をするなら、初めからバトンタッチまで視野に入れて長期計画を立てなければ、せっかくの労苦も打ち上げ花火のように、実が残らない働きとなってしまう。

バトンタッチ

北京オリンピックにおいて、日本男子リレーチームがメダルを獲得できた理由の一つに、バトンタッチの成功がある。

リレーにおいて、バトンタッチはとても難しいプロセスである。いや、リレーだけではない。あらゆる人間関係において、特に世代交代において、バトンタッチというのはとても難しい。そして、信仰の世界においても、バトンタッチが成功するかどうかで、その後の展開が大きく変わってしまう。だからバトンタッチのためには、何よりも神に祈り求める必要がある。

私の場合、主任牧師というバトンを受け取り、受け渡し、そして再び受け取って今の歩みを続けている。しかしやがて時が来るなら、主任牧師というバトンは次の走者に受け渡していかなければならない。その最善のタイミングを見失わないために、今から祈り備えていく必要を覚える。

バトンを渡す方は、走りつつ徐々にスピードを落としながら、渡す相手にアプローチする。

バトンを受け取る方は、徐々にスピードを上げて走り始めながら、バトンを待ち構える。

それぞれのアプローチがバトンタッチのタイミングにマッチするなら、バトンは落とされることなく、次の走者にしっかりと渡され、働きが世代を超えて豊かに進められていく。

それぞれのバトンタッチが成功し、働きが豊かに受け継がれるようにと神に祈る。