聖書の大冒険

マタイの福音書の概観


1章

 ■アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図と
  インマヌエルなるイエス・キリストの誕生

 かつて収税人であったユダヤ人マタイは、まずユダヤ人のためにこの福音書を書き記した。しかしそのメッセージは、全世界のあらゆる国の人々を包んでいる。このカタカナの名前が延々と続くマタイの福音書の書き出しには、実は深い意味がある。それは、イエス・キリストが、全人類の救い主が、まさにユダヤ人(イスラエル人)として誕生されたということをはっきりと物語っている。

 このキリストの系図を注意深く見ると、驚くべき事実を知ることが出来る。それは遊女や異邦人の女の名前、さらに人妻との姦淫の罪までが、包み隠さず、赤裸々に記されているということである。さらにバビロン移住とは、イスラエルがあくまで神に逆らい続けた結果、神の裁きとして、敗戦による捕囚の屈辱をなめさせられたということである。実に救い主の系図は、人間の罪と恥にまみれている。

 しかし、そのような罪人の歴史に連帯して、イエス・キリストは生まれてくださった。私たちを罪から救うために。マタイの福音書は、旧約聖書と新約聖書の橋渡しの役目も果たしている。何千年も前に主なる神が約束し、一方的な恵みによって契約してくださったことが、時至って完全に成就され、出来事となった。それは、インマヌエルという名前が意味する、「神が私たちと共におられる」という出来事である。実にキリストは、十字架によって、神と私たちの間に断絶をもたらしていた罪を取り除いてくださることにより、そのことを成就してくださったのである。キリストは聖なる神の霊によって、処女マリアより生まれられた。


2章

 ■生まれた時から死に定められたイエス・キリスト
  −ファーストクリスマス、東方の博士たちの礼拝、ヘロデの虐殺、そしてエクソダス

 もしキリストが、ナチスドイツの時代に生まれていたら、間違いなく、ガス室に強制連行されそうになったであろう。キリストは生まれた時から、死に定められており、死の影の谷を歩かれた。ヘロデ王の手を逃れてエジプトに下った主イエスは、かつてのイスラエルのように、エジプトに下られ、エクソダス(出エジプト)を体験された。キリストは、真のイスラエル、真の人間として、この地上を歩まれた。マタイはユダヤ人のために、なぜキリストがナザレ人と呼ばれるようになったのか、そのいきさつを説明している。


3章

 ■バプテスマのヨハネによる道備えとバプテスマを受けられる主イエス

 「まむしのすえたち!…悔い改めにふさわしい実を結びなさい!」歯に衣着せぬバプテスマのヨハネは、ユダヤの荒野でストレートなメッセージを語り、来るべきキリストを指し示した。聖書が語る悔い改めとは、涙を流すことではない。それは罪に背を向けて神の方に方向転換をするということである。驚くべきことに、このバプテスマのヨハネから、主イエスは罪人が受けるべきバプテスマを受けて下さった。主がバプテスマを受けられた時、天が開け、神の御霊が鳩のように下った。そして「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ」との父なる神の声が天から響いた。


4章

 ■荒野における悪魔の試み

 公生涯の前に、主イエスは御霊に導かれて荒野に上って行かれた。悪魔の試みを受けるために。主イエスは私達と同じ肉体を持たれ、私達人間が受けるあらゆる誘惑を受けて下さった。そして主はみことばによってすべての誘惑に勝利された。十字架にかかっていのちを捨てるという方法で神の子であることを示す道から主イエスをそらすことが、悪魔の最も願ったことであった。

 ■異邦人の地ガリラヤで宣教を開始される主イエス

 ガリラヤとはイスラエル人から見れば、異邦人の地であり、死の地、死の影、暗やみの中にすわっていた人々の住む所であった。おそらくそこに住んでいた人々は、「どうせどうせ私なんか…」というようないじけた心で、むなしく生きていたはずである。しかし主イエスはそのガリラヤで、福音の第一声をあげられた。「悔い改めなさい!天の御国が近づいたから。」まさにキリストは、闇の中に輝く希望の光として、ガリラヤから福音宣教を開始された。

 ■弟子を召され、人々をいやされる主イエス

 「わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。」そのような招きを受けて、ガリラヤ湖で漁師をしていたシモン・ペテロ、アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネらが主イエスに従う弟子となった。主イエスはガリラヤ全土を巡られ、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病気、あらゆるわずらいを直された。主イエスのうわさはシリヤ全体に伝わっていき、大勢の群集が主イエスにつき従った。


5章〜7章

 ■山上の説教
  −祝福と天の御国の教え
  −キリスト教的生(ライフスタイル)そのものである主の祈り
  −揺るがない人生の秘訣−山上の説教の締め括り

 ガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダヤおよびヨルダンの向こう岸から大ぜいの群集が、イエスのもとに集まってきた。この群集を見て、主イエスは山に登り、すわって弟子たちに山上の説教と呼ばれるメッセージをお語りになった。このメッセージは神の国のライフスタイル、あるいはキリスト教的生について語っている。それは一言で言えば、神の国とその義とをます第一に求める生き方であり、中心に置かれている主の祈りを祈ることに凝縮されているライフスタイルである。心の中まで問われる主イエスの説教は、本当の自分がまぎれもない罪人であることをイヤというほどわからせてくれる。しかし同時にそのメッセージは、ただあわれみによって、そんな私たちが神に対して、「天の父よ!」と呼びかけることのできる神の子どもとして生きることができる恵みに招いて下さっている。


8章

 ■らい病人をきよめる権威

 主イエスが山から降りて来られると、多くの者が主イエスの後を追った。そんな中、ひとりのらい病人が来て主イエスをひれ伏し拝み、お心一つできよめることができるという信仰を告白した。らい病人は旧約聖書の律法においても汚れた者とされていた(レビ記13章参照)。また社会からは生けるしかばねとして完全に隔離され、人間として見られていなかった。しかし主イエスは手を伸ばして彼に触れ、「わたしの心だ。きよくなれ。」と言われた。するとすぐ、らい病はきよめられた。律法を越えた愛の行動に主イエスを駆り立てたものは、内臓が揺り動かされるほどの深いあわれみであった(マルコの福音書1:41参照)。

 ■百人隊長の主の権威に対する信仰

 異邦人である百人隊長は、主イエスの権威に対する素晴らしい信仰を持っていた。それは、主イエスのおことばを頂くことができたなら、そのことばどうりになるという信仰である。ユダヤ人のうちのだれにも、そのような信仰を見ることが出来なかった。

 ■ペテロのしゅうとめのいやし

 ■嵐を静められる主イエスの権威

 主イエスが風と湖をしかりつけると、嵐は止み、大なぎになった。実に主イエスは、大自然をも御手の中に治めておられる主であられた。

 ■悪霊を追い出す権威

 聖書は悪霊でさえ、主イエスが神の子であることを知っていると証言している。そして主イエスが命じられると、悪霊は人から出て行き、豚の群れに乗り移った。


9章

 ■中風の人のいやし、地上で罪を赦す権威
 ■マタイの主イエスとの出会い・主の招き、罪人を招くために来られた主イエス
 ■新しいぶどう酒は新しい皮袋に
 ■長血をわずらっている女のいやしと死んだ娘を生き返らせる主イエス
 ■二人の盲人のいやし、悪霊につかれたしゃべれなかった人のいやし

 ■羊飼いのいない羊のような人々を見て心の底から揺り動かされる主イエス
  −大収穫のための働き人を求めなさい!

 主イエスの瞳に映る多くの群集は、まるで羊飼いのいない羊のようであり、弱り果てて倒れていた。主イエスには、彼らは収穫されるのを待っているたくさんの穂のように見えた。抱えきれないほどの悩みとストレスを抱え、疲れ果てている多くの現代人を見て、内臓がわななくほどのあわれみに駆られている主イエスは、今もこう言われる。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい!」


10章

 ■12人の弟子を使徒として任命し派遣される主イエス、派遣説教

 ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、ピリポとバルトロマイ、トマスと取税人マタイ、アルパヨの子ヤコブとタダイ、熱心党員シモンとイエスを裏切ったイスカリオテ・ユダ。これが主イエスが呼び寄せられた十二使徒たちの名前である。
 主イエスは彼らに、大きな権威と使命、適切で具体的なアドバイスを与えられたが、同時に、自分の十字架を負って主について行くという大きな犠牲をも求められた。


11章

 ■バプテスマのヨハネの不安、きたるべきエリヤとしてのバプテスマのヨハネ

 「おいでになるはずの方は、あなたですか。それとも、私たちは別の方を待つべきでしょうか。」この獄中でのバプテスマのヨハネのことばと揺らぐ信仰は、私達に大きな慰めと励ましを与えてくれる。

 ■この世の者たちの拒否、ソドムよりも重いこの罪の時代に対する警告
 ■たましいのやすらぎへの招き

 「すべて疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。…」。イエス・キリストは、すべての疲れた人、押しつぶされそうなプレッシャーを背負って生きている人たちに対して、たましいのやすらぎのためにわたしのところに来なさいと招いておられる。


12章

 ■安息日の主であるイエス、片手の動かなかった人のいやし(安息日に)
 ■神の国の力によって悪霊を追い出される主イエス
 ■パリサイ人たちの拒絶、邪悪な時代に対する警告となぐさめ


13章

 ■天の御国のたとえ話
  (種蒔きのたとえ、毒麦のたとえ、からし種・パン種のたとえ、
   畑に隠された宝・良い真珠・地引き網のたとえ)

 ■郷里伝道


14章

 ■バプテスマのヨハネの死
 ■5つのパンと2匹の魚による5000人以上の給食
 ■一人で祈られる主イエス
 ■水の上を歩いて悩んでいる弟子たちに近づかれる主イエス、水の上を歩いたペテロ
 ■病人のいやし


15章

 ■パリサイ人・律法学者たちの神のことばの曲解に対して抗弁される主イエス
 ■悪霊につかれた娘の母・カナン人の女の素晴らしい信仰
 ■いやしを行なわれる主イエス
 ■7つのパンと魚による4000人以上の給食


16章

 ■天からのしるしを求めるパリサイ人・サドカイ人たち
 ■パリサイ人・サドカイ人たちの教え(パン種)に注意せよ!
 ■ピリポ・カイザリアにおけるペテロの信仰告白、主イエスの受難と復活の予告
 ■下がれサタン! 自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい!
 ■主イエスが再臨される時


17章

 ■山上の変貌と父なる神の声
 ■きたるべきエリヤとしてのバプテスマのヨハネ
 ■悪霊につかれた息子
 ■主イエスの受難と復活の予告
 ■釣った魚の口から出てくるお金で宮の納入金を納めなさい


18章

 ■悔い改めて子どもたちのようにならない限り、決して天の御国には入れない
 ■天の御国で一番偉い人は子どものように自分を低くする者である
 ■99匹の羊を残して迷った1匹の羊を捜しに出かける神
 ■小さい者たちのひとりが滅びることは天の父のみこころではない
 ■兄弟(キリスト者・教会員)が罪を犯したときの対処法
 ■キリスト者たちに委ねられている天の赦しの鍵
 ■心を一つにする祈りが聞かれることの確証
 ■イエス様の顔は7度を70倍するまで⇒だから、7度を70倍するまで赦しなさい


19章

 ■結婚について、離婚についての教え
 ■子どもたちのような者たちのための天の御国
 ■悲しみながら去った金持ちの青年と主イエスとの対話−永遠のいのちを得るためには?
 ■金持ちが神の国にはいるよりはらくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい
  −しかし神にはどんなことでも(金持ちを神の国に入れることさえも)出来る
 ■わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子、あるいは畑を捨てた者はすべて、
  その幾倍もを受け、また永遠のいのちを受け継ぎます
  ただ先のものがあとになり、あとの者が先になることが多い…


20章

 ■気前のよいぶどう園の主人のたとえ−先のものがあとになり、あとの者が先になる
 ■主イエスの受難と復活の予告
 ■聖書的リーダーシップとは?
   −あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい
 ■エリコにて2人の目の見えなかった人のいやし


21章

 ■主がお入用のリトルドンキー(ちいろば)
   −ロバの子に乗ってエルサレムに入城される主イエス
 ■宮きよめといやし
 ■幼子と乳飲み子たちの口に賛美を用意された神
 ■いちじくの木を枯らす主イエス
 ■宮で教えられる主イエスの権威
 ■二人の息子のたとえ、ぶどう園の主人の息子を殺すひどい農夫たちのたとえ
 ■家を建てる者たちの見捨てた石。それが礎の石になった。−主のなさった不思議なこと


22章

 ■王子のために結婚披露宴を設けた王のたとえ
 ■カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい!
 ■死人の復活を否定するサドカイ人に対する主イエスの答え
 ■一番たいせつな二つの戒め

 「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』これがたいせつな第一の戒めです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」

 ■ダビデの子であり、ダビデの主であるキリスト


23章

 ■モーセの座を占めている律法学者とパリサイ人たちに関する主イエスの教え
   −彼らが言うことはみな行い守りなさい。しかし彼らの有言不実行はまねてはいけない!
 ■忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち!
 ■エルサレムに対する主イエスの嘆きと裁きの宣告


24章

 ■主イエスの再び来られる時と世の終わりの前兆
 ■にせキリスト、にせ預言者の出現、戦争、ききんと地震、迫害
 ■この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、
   それから、終わりの日が来ます
 ■主イエス・キリストの再臨
 ■人の子は思いがけない時に盗人のように来るので目をさましていなさい!


25章

 ■賢い娘と愚かな娘のたとえ
 ■タラントのたとえ
 ■羊と山羊のたとえ(永遠の刑罰と永遠のいのちに分けられる)
  −あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、
    しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。


26章

 ■2日後の過越しの祭りで十字架につけられるために引き渡されることの予告
 ■祭司長、民の長老たちによるイエスを殺す相談
 ■高価な香油の入ったつぼをキリストのために割った女
 ■銀貨30枚で主イエスを売り渡すイスカリオテ・ユダ
 ■過越の食事(最後の晩餐)の席にて
  −わたしといっしょに鉢に手を浸した者が、わたしを裏切る
  −新しい契約のためのキリストのからだと血をあらわすパン裂きとぶどう酒の杯
 ■賛美してオリーブ山に向かわれる主イエスと弟子たち
 ■弟子たちが主イエスを見捨てることと、主がよみがえってガリラヤへ行くことの予告
 ■ゲツセマネの祈り
 ■主イエスの逮捕と主を見捨てて逃げる弟子たち
 ■たらい回しにされる主イエス−つばきをかけられ、殴りつけられ、からかわれる
 ■鶏が鳴く前に3度主を否み、激しく泣くペテロ


27章

 ■たらい回しにされ、総督ピラトに引き渡される主イエス
 ■イエスを売ったことを後悔して自殺するユダ
 ■ピラトの前での主イエス
 ■無罪のキリストを釈放しようとするピラトとキリストを十字架につけろと叫ぶ群集
 ■バラバを釈放し、イエスをむち打ってから十字架につけるために引き渡すピラト
 ■十字架への道、二人の強盗とともに十字架につけられる主イエス
 ■エリ、エリ、レマ、サバクタニ!−イエスの死と埋葬
 ■墓石に封印をし、墓の番をする番兵


28章

 ■墓でイエスの復活の知らせを告げる御使いに出会う女たち
 ■復活された主イエスに出会う女たち
 ■祭司長、長老たちによる、復活の出来事を否定しようとする小細工
 ■ガリラヤにて−復活した主イエスを礼拝する弟子たちと疑う弟子たち

 ■大宣教命令
 ■見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます
   −インマヌエルなる主イエス

 「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」

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野町 真理