それから神はこれらのことばを、ことごとく告げて仰せられた。
「わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。
上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、
どんな形をも造ってはならない。
それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。
あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神、
わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、
わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。
主は、御名をみだりに唱える者を、罰せずにはおかない。安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。
六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。
しかし七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。
・・あなたも、あなたの息子、娘、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、
また、あなたの町囲みの中にいる在留異国人も。・・
それは主が六日のうちに、天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを造り、
七日目に休まれたからである。
それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものと宣言された。あなたの父と母を敬え。
あなたの神、主が与えようとしておられる地で、あなたの齢が長くなるためである。殺してはならない。
姦淫してはならない。
盗んではならない。
あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。
あなたの隣人の家を欲しがってはならない。
すなわち隣人の妻、あるいは、その男奴隷、女奴隷、牛、ろば、
すべてあなたの隣人のものを、欲しがってはならない。」旧約聖書 出エジプト記 20:1−17より
キリスト教信仰の基本は、「主の祈り」と「使徒信条」と「十戒」にあります。
十戒の語られる大前提は救いです。
「わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。 …
と、まず語られているとおりです。
ですから、十戒を守れば救われると考えるのは大間違いです。
まず救いがあって、その次に十戒が与えられるのです。
つまり、十戒は救いを体験した者に対して語られているのです。
しかし十戒の中には、人間が人間として生きるための確かな指針、倫理があります。
十戒に対して多くの人が持っているイメージは、「不自由」ということではないでしょうか?
けれども十戒を味わえば味わうほど、
十戒は、人間に真の自由を与える言葉であることを知ることができます。
聖書は、旧約聖書と新約聖書に分かれています。
この旧約とか新約という言葉の中に使われている「約」という言葉は、
約束の「約」と考える人もいますが、契約の「約」です。
実は十戒は、契約の言葉として主なる神が人間に与えて下さったものです。
十戒は出エジプト記と申命記に記されていますが、今回は出エジプト記の方を見ていきたいと思います。
…
|
出エジプト記は旧約聖書の2番目に置かれている書物です。
英語ではExodus(エクソダス)と呼ばれています。
ドリームワークスによるアニメ映画「プリンス・オブ・エジプト」でも、
この出エジプト記のストーリーが映像化されました。
若干脚色されていますが、この映画は聖書のメッセージを生き生きと描いています。
かつて神によって選ばれたイスラエル民族は、エジプトで奴隷として苦しんでいました。
その苦しみをご覧になった神が、モーセという人物を導き手とし、
イスラエルをエジプトの苦しみから救い出されたことが出エジプト記の前半に記されています。
「わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。」
十戒が語られる直前に語られているこの言葉は、そのことを一言で要約しています。
この言葉は、驚くべき神の介入によって分かれた紅海を渡り、
救いを体験して解放された神の民に対して語られています。
それは、「奴隷の家から解放してくださったお方は、主なるわたしの神である」
ということを思い出させ、心に刻みつけるものでした。
今日のキリスト者に対しても、この言葉は語られています。
私たちキリスト者もかつて、
まことの神を神としなくなった故に、罪と欲望の奴隷となって、
死と永遠の滅びに向かってさまよっていた罪人でした。
しかし十字架を仰ぐキリスト者は、キリストの十字架の愛に捕らえられて、
罪と欲望から解放され、自由の中に生きることが出来るようにされたのです。
出エジプトの際、過ぎ越しの子羊の血が塗ってあった家は救われました。
同じように、過ぎ越しの子羊として十字架の上でほふられたイエス様の流された血によって、
私たちキリスト者は、信仰によってすでに救いの中に、
完全な罪の赦しの中に、永遠のいのちの中に入れられているのです。
ある時私は、結婚相手が浮気をしているのを知っても怒らない人がいるのを見て、
とても驚きました。
もし本当に相手を愛しているなら、相手が浮気をすれば当然怒るはずです。
相手が浮気をしても怒らないということは、相手を愛していない証拠です。
あなたを造られた神は、
神に背を向けた結果、罪と欲望の奴隷となって歩んでいたあなたを、
いのちがけで救い出してくださいました。
そして、こう言われるのです。
「わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。
(だから)あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。…
と。
出エジプトの時、イスラエルの民は羊をほふり、その血をかもいと門柱につけました。
羊の血によって、神の滅びが過ぎ越されたのです。
その時から、イスラエル民族は、過越の祭りという祭りを祝い続けています。
そしてイエス・キリストは、過越の祭りの子羊がほふられる時に、
十字架につけられて血を流されました。
出エジプトの時の羊の血は、
イエス・キリストの血による永遠の救いを指し示しているのです。
世の中には数え切れないほどの神々が、人間によって造られています。
しかし、人間が造り、祭り上げた神々は、
まことの神様に反逆している高慢な人間の投影でしかありません。
偽りの神々は、命がけで仕えられることを求めます。
偶像の神々は自らが崇められ、ほめたたえられることを求めます。
そして、偽りの神々は決して人間に仕えることができません。
まして私たち人間のために、いのちを捨てることなどとてもできません。
しかし、イエス・キリストによって明らかにされたあなたの神、
唯一まことの神は、あなたのために仕えてくださり、
そして最後にはいのちまでも捨ててくださる本当の神様なのです。
かつて現人神と呼ばれた天皇は、
わたしたちのためにいのちを捨てることができません。
人間宣言をしていてもしていなくても、
天皇は人間であって本当の神ではないからです。
しかし、あなたを造られたお方、天地万物を創造された唯一まことの神は、
あなたのためにいのちを捨てて下さり、よみがえって下さったのです。
わたしの他に、いのちを捨ててくれるような神々が他にいるのか?
わたしはあなたのために十字架でいのちも捨てた。
あなたはわたしを愛するか?
あなたはわたしを愛するか?
あなたはわたしを愛するか?
(しばらくお待ちください)
The Gospel of Jesus Christ(Shinri Nomachiのホームページ)へ
メールで感想、意見、質問などお寄せください。
野町 真理