被造物のすべてがともにうめいている 礼拝のご案内

被造物のすべてがともにうめいている

待降節・アドベント第三週を迎えます。日本同盟基督教団・杉戸キリスト教会の礼拝は12月17日(日)10時半からと20時からです。マスクをしてお集いください。後からホームページで配信も行います。

杉戸キリスト教会地図2023

映画『レ・ミゼラブル』を見て

映画『レ・ミゼラブル』を見て

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1月1日、新年礼拝を終えた夜、教会のメンバーと一緒にトム・フーパー監督の映画『レ・ミゼラブル』を鑑賞した。ミュージカルを撮影したような映画であるが、それぞれの役者が、役を演じながらその場で気持ちを込めて歌った声がライブ録音されている。それぞれの役者による感情が込められた歌声には、魂を揺さぶるものがあった。特にファンティーヌ役のアン・ハサウェイの歌う「夢破れて I Dreamed a Dream」は素晴らしかった。

映画を見終わった後、余韻にひたりながら、岩波文庫版と新潮文庫版で『レ・ミゼラブル』をじっくり味わっている。ヴィクトル・ユーゴーの『レ・ミゼラブル』は、岩波文庫版(豊島与志雄訳)だと全4巻、新潮文庫版(佐藤朔訳)だと全5巻にもなる。読めば読むほど内容が豊かであり、きめ細かい人物描写や伏線となる背景説明があるので、もし可能ならばロード・オブ・ザ・リングのように3部作映画にすると、なお素晴らしかったのではないかと私は思う。これほどの壮大な著作を1本の映画にまとめてしまうことには無理がある。どうしてもダイジェスト版のようになり、牧師がよくしてしまうように、あれもこれも詰め込みすぎて話がごちゃごちゃしてしまう。

私はキリスト教の牧師であるから、この映画をどうしても聖書が語る福音の視点から見る。例えば、ジャン・バルジャンが銀の食器を盗んで逃げたのに、憲兵に捕まえられ、司教のもとに連れて来られる場面。その時司教はジャン・バルジャンに、「それは盗んだのではなくてプレゼントしたのだ」と優しく語り、「二本の銀の燭台もあげたのにどうして置いていったのか」と言いながら、さらに燭台をプレゼントする。

ここには明らかに、聖書の語る福音が紹介されている。それは、悔い改める前に(罪の償いを自分でする前に)赦しが与えられるという福音、ふさわしくない者に祝福が与えられるという福音である。この映画ではジャン・バルジャン役をX-MENのヒュー・ジャックマンが好演している。指の間からジャキーンとあの武器が出て来そうな雰囲気が時にあり、笑えた。

ジャベール警官役はラッセル・クロウであった。ジャベールは聖書に登場して人間をみじめにする律法主義をキャラクターにしたような人物である。律法主義とは福音をひっくり返したものであり、ふさわしくない者には祝福が与えられず、悔い改めなければ(良い行いをし、罪の償いを自分でしなければ)赦しはないという考え方である。ネタバレになるがジャベールは愛の人に変えられたジャン・バルジャンと向き合った時に自殺してしまう。聖書的にはイエス・キリストが十字架の上で死なれた時に律法主義は死に、イエス・キリストが墓に葬られた時に律法主義も葬られたと言える。

この映画を見て、しばらく悩んでしまったことがある。それは新約聖書の中にあるローマ人への手紙で言うと、7章までの「みじめさ」で終わってしまい、罪や罪責感からの解放、自由、そして圧倒的勝利に満ちた8章が描かれなかったということである。

私たちキリスト信仰の道に招かれた者も、しばしばローマ人への手紙7章までのみじめさと罪責感に生きてしまうことが多いかもしれない。しかし主イエスよ、ぜひともこの地上においてローマ8章にたどり着き、解放、自由、勝利の人生を歩ませてください。

礼拝メッセージ「すべてのことの意味」ローマ19

礼拝メッセージ「すべてのことの意味」ローマ19(クリックで聴けます)

聖書箇所:ローマ人への手紙8章26ー30節

26 御霊も同じようにして、
  弱い私たちを助けてくださいます。
  私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、
  御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、
  私たちのためにとりなしてくださいます。
27 人間の心を探り窮める方は、
  御霊の思いが何かをよく知っておられます。
  なぜなら、御霊は、
  神のみこころに従って、
  聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。
28 神を愛する人々、
  すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、
  神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、
  私たちは知っています。
29 なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人々を、
  御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。
  それは、御子が多くの兄弟たちの中で
  長子となられるためです。
30 神はあらかじめ定めた人々をさらに召し、
  召した人々をさらに義と認め、
  義と認めた人々にはさらに栄光をお与えになりました。
ローマ人への手紙8章26-30節

すべてのことが益とされる。万事が益とされる。
そこにすべてのことの意味があります。

1、まずあなたが神を愛する者となるために、
  神はすべてのことを働かせて益としてくださいます。

2、次に召されたあなたを磨き上げ、
  キリストのような栄光の姿にあなたを変えるために、
  神はすべてのことを働かせて益としてくださいます。

礼拝メッセージ「苦しみの意味」ローマ18

礼拝メッセージ「苦しみの意味」ローマ18(クリックで聴けます)

聖書箇所:ローマ人への手紙8章18ー25節

18 今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに
 啓示されようとしている栄光に比べれば、
  取るに足りないものと私は考えます。
19 被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現れを
  待ち望んでいるのです。
20 それは、被造物が虚無に服したのが自分の意志ではなく、
 服従させた方によるのであって、望みがあるからです。
21 被造物自体も、滅びの束縛から解放され、
  神の子どもたちの栄光の自由の中に入れられます。
22 私たちは、被造物全体が今に至るまで、
  ともにうめきともに産みの苦しみをしていることを知っています。
23 そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、
  心の中でうめきながら、子にしていただくこと、
  すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます。
24 私たちは、この望みによって救われているのです。
  目に見える望みは、望みではありません。
  だれでも目で見ていることを、どうしてさらに望むでしょう。
25 もしまだ見ていないものを望んでいるのなら、
  私たちは、忍耐をもって熱心に待ちます。
  ローマ人への手紙8章18-25節

パウロは福音信仰の山頂で語ります。私たち人間だけでなく、神に造られた被造物全体、すなわち宇宙全体が苦しんでいる。今の時のいろいろな苦しみは、産みの苦しみである。苦しみがもたらすものに目を向けるなら、苦しみが取るに足らないものに見えてくる。苦しみがもたらすもの、それは、神の子どもとしての栄光と自由、私たちのからだの贖いである。

ペンテコステ礼拝メッセージ「聖霊とは何か」ローマ17

ペンテコステ礼拝メッセージ「聖霊とは何か」ローマ17(クリックで聴けます)

聖書箇所:ローマ人への手紙8章1ー17節

1 こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が
 罪に定められることは決してありません。
2 なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、
 罪と死の原理から、あなたを解放したからです。
3 肉によって無力になったため、律法にはできなくなっていることを、
 神はしてくださいました。神はご自分の御子を、罪のために、
 罪深い肉と同じような形でお遣わしになり、
 肉において罪を処罰されたのです。
4 それは、肉に従って歩まず、御霊に従って歩む私たちの中に、
 律法の要求が全うされるためなのです。
5 肉に従う者は肉的なことをもっぱら考えますが、
 御霊に従う者は御霊に属することをひたすら考えます。
6 肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。
7 というのは、肉の思いは神に対して反抗するものだからです。
 それは神の律法に服従しません。いや、服従できないのです。
8 肉にある者は神を喜ばせることができません。
9 けれども、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、
 あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。
 キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。
10 もしキリストがあなたがたのうちにおられるなら、
 からだは罪のゆえに死んでいても、霊が、義のゆえに生きています。
ローマ人への手紙8章1-10節