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礼拝メッセージ「土地のちりといのちの息」
礼拝メッセージ「土地のちりといのちの息」(クリックで聴けます)
聖書箇所:創世記2章4-7節
神である主は土地のちり(アダマー)で人(アダム)を形造り、その鼻にいのちの息(神の霊)を吹き込まれた。そこで人は生きものとなった。創世記2章7節
これまで見てきた創世記1章から2章3節には、天地万物の創造の中で、そのクライマックスとして、人間の創造が取り上げられていました。
創世記2章4節からは、創造の冠、最高傑作としての人間に改めてカメラが向けられ、人間がクローズアップされ、スローモーションで描写されています。
人間が神のかたちに基づいてデザインされているというのはどういう意味なのか。そのことが、3つのアングル・視点から紹介されていきます。最初のアングルは、いのちという視点から見た神のかたちです。
上記のみことばを原語で読むと、「人」と訳されていることばは「アダム」です。これは人間を意味する男性形の単語です。興味深いことに、「土地」と訳されていることばは「アダマー」となっており、これはアダムと同じ単語の女性形です。
人が土地のちりから形造られたとき、まだいのちを持つ生きものではありませんでした。いのちの源である主なる神が、その鼻にいのちの息(神の霊)を吹き込まれた時、人は生きものとなったのです。
礼拝メッセージ「聖霊による伝道」
聖書箇所:使徒の働き8章26ー40節
御霊がピリポに「近寄って、あの馬車といっしょに行きなさい」と言われた。そこでピリポが走って行くと、預言者イザヤの書を読んでいるのが聞こえたので、「あなたは、読んでいることが、わかりますか」と言った。使徒の働き8章29-30節
『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって。』(ゼカリヤ4章6節)と語られているように、教会の働きは、聖なる神の霊に導かれたキリスト者一人一人の働きです。
教会の働きが権力や能力によって進められようとするなら、そこから教会は誤った道にそれ、いのちの輝きと塩気を速やかに失います。
危機の時代の中で、教会が教会であるためには、静まって主の前にひれ伏し、祈りつつ心を開いて聖書のみことばに耳を傾け、聖なる神の霊に聞き従うことがどうしても必要です。
聖霊は、謙遜に道先案内をしてくださる最高の導き手であり、最高のコーチです。聖霊は、先導してくださいますが大切な働きを私たちに託してくださり、私たちを用いて神の働きを進めてくださるのです。
あなたもピリポのように、日常生活において聖霊のナビゲーションに素直に聞き従うならば、求めている方との出会いが与えられ、魂の救いという大切な働きのために、神に用いていただけます。
礼拝メッセージ「神の賜物・聖霊」
聖書箇所:使徒の働き8:14ー25
ペテロは彼に向かって言った。「あなたの金は、あなたとともに滅びるがよい。あなたは金で神の賜物を手に入れようと思っているからです。使徒の働き8章20節
魔術師であったけれども信じてバプテスマを受けたサマリヤのシモンは、使徒たちが手を置くと、御霊(聖なる神の霊なので聖霊とも呼ばれる)が人々に与えられるのを見て驚きました。
そしてシモンは、それが欲しいという思いに囚われ、使徒たちのところに金を持って来て、聖霊を授けることのできる権威を手に入れようとしました。上記のみことばは、その時に使徒ペテロがシモンに向かって語ったことばです。
聖霊は決して、人間が意のままに操ることのできるようなお方でも、買収できるようなお方でもありません。なぜなら聖霊は、三位一体の神御自身であられ、人間が自分勝手に利用できるようなエネルギーやパワーではないからです。
聖霊は、神の子どもであることの証印、霊のいのちの内住、御国を受け継ぐことの保証などをもたらす神の賜物です。聖霊は、値段がつけられないほど高価な賜物ですが、誰であっても求めるなら受けることができます。誰でも救いの福音を信じ、イエスをキリストとして心に受け入れるならば、聖霊が私たちの身体に内住してくださいます。
礼拝メッセージ「約束を待ちなさい」
聖書箇所:使徒の働き1章1ー14節
この人たちは、婦人たちやイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちとともに、みな心を合わせ、祈りに専念していた。使徒の働き1章14節
私たちのために苦しみを受け、十字架で死なれた主イエスは、3日目に復活されました。復活された主イエスは、『エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。』と使徒たちに命じられ、それから天に上げられていきました。
この主イエスの命令に使徒たちがどう応答したのか。それが上記のみことばです。彼らはエルサレムに留まり、自分たちだけではなく、婦人たちやイエスの母マリヤ、そしてイエスの兄弟たちとともに、みなで心を合わせて、祈りに専念したのです。
この書には、映画のエンドロールのように、数え切れない有名無名の人たちが紹介されています。使徒の働きという名前が付けられていますが、決して使徒たちだけの働きではありません。メンバー全員の働き、つまり「教会の働き」がこの書には記されています。
キリストに呼び集められた一人一人が十字架のもとに力を合わせ、協力することによって、働きは進められました。そしてこの働きは、世界中で現在進行形の働きです。私たちにもバトンが手渡されています。主イエスは今もあなたを必要とされています。
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礼拝メッセージ「来たれ神の国」
聖書箇所:ルカ福音書11:1-13
そこでイエスは、彼らに言われた。「祈るときには、こう言いなさい。『父よ。御名があがめられますように。御国が来ますように。ルカ福音書11章2節
キリスト者が「御国が来ますように」と祈る時、それは第一に、心の王座を主イエスに明け渡す祈りです。キリスト者であっても、イエス様以外のものを中心としてしまうことがあります。しかし、主イエスを心の中心に迎える時、そこにはすでに神の国、すなわち主イエスの愛の統治があり、喜びと平安があります。
第二にそれは、聖霊なる神を求める祈りです。祈りが応えられるまで、御霊に満たされるまで、忍耐深く祈るべきだと主は教えて下さっています。聖霊なる神こそ、この地上において、神の国がいますでにそこに来ている現実を、私たちに体験させて下さるお方です。
第三にそれは、神に背を向け続けて生きている故に、いまだ神の国の外にいる人たちのためのとりなしの祈りです。祈り、出て行って証しする働きを通して、御国の福音は全世界のすべての国民にあかしされ、それから世の終わりの日が来ます。収穫は多いのですが、働き人が少ないのです。主イエスは、神の国の働き人を今も求めておられます。
第四にそれは、いまだ到来していない神の国、すなわち再び来たり給う主イエスを待ち望む祈りです。王の王、主の主であるイエスが再臨される時、すべての争いは止み、新天新地にて神の国は完成に至ります。
礼拝メッセージ「まず祈るべきこと」
聖書箇所:ルカ福音書11:1-13
そこでイエスは、彼らに言われた。「祈るときには、こう言いなさい。『父よ。御名があがめられますように。ルカ福音書11章2節
人間の心の一番深い所から、密かに頭をもたげてくる願望は、「自分の名前が、自分自身があがめられますように」という願いである。そう言っても過言ではありません。心の王座からまことの神を追い出し、代りに自分が王座に座り、自分があがめられることを求めて生きること。これこそが、聖書の語る本物の罪です。
いのち、健康、能力、仕事、結婚相手、子供、食べ物、着る者、住む所。数え上げたらきりがありませんが、どれ一つとして、神から与えられたものでないものはありません。けれども、これらすべてのものを、あたかも自分で勝ち得たかのように、神を無視し、感謝もせずに生きる者はすべて、聖書が語っている罪人です。罪人は、他人はもちろん神様でさえも、自分のために利用します。まるで自分の召使であるかのように。
主の祈りの内容は、その一番最初から、人間が自分からは決して願えない祈りです。しかし聖霊に促されて、「父よ!私の名前ではなく、あなたの御名があがめられますように!」と本気で祈るなら、人はエゴイズムから解放されて、神の栄光を現す真の人間となることが出来ます。