父の日歓迎礼拝メッセージ「父として勝利する秘訣」

父の日歓迎礼拝メッセージ「父として勝利する秘訣」ローマ20(クリックで聴けます)

聖書箇所:ローマ人への手紙8章31ー39節

31 では、これらのことからどう言えるでしょう。
 神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに
 敵対できるでしょう。
32 私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ
 惜しまずに死に渡された方が、どうして、
 御子といっしょにすべてのものを、
 私たちに恵んでくださらないことがありましょう。
33 神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。
 神が義と認めてくださるのです。
34 罪に定めようとするのはだれですか。
 死んでくださった方、いや、
 よみがえられた方であるキリスト・イエスが、
 神の右の座に着き、
 私たちのためにとりなしていてくださるのです。
35 私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。
 患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、
 飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。
36 「あなたのために、私たちは一日中、死に定められている。
 私たちは、ほふられる羊とみなされた。」と書いてあるとおりです。
37 しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、
 これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。
38 私はこう確信しています。死も、いのちも、
 御使いも、権威ある者も、今あるものも、
 後に来るものも、力ある者も、
39 高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、
 私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、
 私たちを引き離すことはできません。
ローマ人への手紙8章31-39節

ローマ岳最高点に着きました。父として勝利し、圧倒的な勝利者となる秘訣が明らかにされます。

母の日歓迎礼拝メッセージ「永遠のいのちとは何か」ローマ15

母の日歓迎礼拝メッセージ「永遠のいのちとは何か」ローマ15(クリックで聴けます)

聖書箇所:ローマ人への手紙6章15ー23節

罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。ローマ人への手紙6章23節

草は枯れ、花はしぼむ。だが、私たちの神のことばは永遠に立つ。イザヤ書40章8節

草は枯れ、桜は散ります。確かにこの地上には永遠などありません。けれども死の向こうへと続く永遠が確かにある。永遠に変わらない神の言葉、聖書はそう語っています。

永遠のいのちとは、神の下さるプレゼントです。プレゼントですから、代金を支払わなくても感謝して受け取れば得ることができます。永遠のいのちは神のひとり子のいのちがかかっているほどに高価なものですから、代金を支払うような方法では、絶対に得ることができません。

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。ヨハネ福音書3章16節

『現代人の生き方に見られる最も有害な点は、その近視眼的な考え方にあります。人生を最大限に活用するためには、永遠の視点を持たなければなりません。』リック・ウォレン「人生を導く5つの目的」(The Purpose Driven Life)より

母の日歓迎礼拝のご案内

お母さん、産んで育ててくれてありがとう。
2012母の日歓迎礼拝ちらし

永遠のいのちとは何か

杉戸キリスト教会地図

敬老の日歓迎礼拝メッセージ「涙をぬぐってくださる方」

敬老の日歓迎礼拝メッセージ「涙をぬぐってくださる方」(クリックで聴けます)

聖書箇所:ヨハネの黙示録7章17節

彼らはもはや、飢えることもなく、渇くこともなく、太陽もどんな炎熱も彼らを打つことはありません。なぜなら、御座の正面におられる小羊が、彼らの牧者となり、いのちの水の泉に導いてくださるからです。また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです。」黙示録7章16-17節

この地上の人生において、長く生かされるということは、それだけ涙が多くなるということではないでしょうか。

けれども、「流したすべての涙が、無駄ではなかった」と言うことができるならば、どんなに涙の多い人生であっても、報われるのではないでしょうか。

聖書の神さまは、無意味なことを決してなさらないお方です。

ですからどんなにつらいことがあっても、その時には計り知ることのできない深いご計画のうちに涙があふれ出たとしても、その滴は一滴も無駄に流されることはないのです。

それだけではありません。あなたのために十字架でいのちさえ惜しまずに捨ててくださり、よみがえられて生きておられる小羊イエス様が、あなたの良い牧者となり、いのちの水の泉に導いてくださいます。

そしてイエス様が、あなたの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる日が近づいているのです。