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イースター召天者記念礼拝メッセージ「死は終わりではない」
イースター召天者記念礼拝メッセージ「死は終わりではない」(クリックで聴けます)
聖書箇所:ヨハネ福音書11章1ー46節
17 それで、イエスがおいでになってみると、ラザロは墓の中に入れられて四日もたっていた。 18 ベタニヤはエルサレムに近く、三キロメートルほど離れた所にあった。 19 大ぜいのユダヤ人がマルタとマリヤのところに来ていた。その兄弟のことについて慰めるためであった。 20 マルタは、イエスが来られたと聞いて迎えに行った。 マリヤは家ですわっていた。 21 マルタはイエスに向かって言った。 「主よ。もしここにいてくださったなら、 私の兄弟は死ななかったでしょうに。 22 今でも私は知っております。あなたが神にお求めになることは何でも、 神はあなたにお与えになります。」23 イエスは彼女に言われた。「あなたの兄弟はよみがえります。」 24 マルタはイエスに言った。「私は、終わりの日のよみがえりの時に、彼がよみがえることを知っております。」25 イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。26 また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」 27 彼女はイエスに言った。「はい。主よ。私は、あなたが世に来られる神の子キリストである、と信じております。」ヨハネ福音書11章17−27節
イースター召天者記念礼拝メッセージ「死者を生かす神」ローマ10
イースター召天者記念礼拝メッセージ「死者を生かす神」ローマ10(クリックで聴けます)
聖書箇所:ローマ人への手紙4章17ー25節
17 このことは、彼が信じた神、すなわち死者を生かし、無いものを有るもののようにお呼びになる方の御前で、そうなのです。18 彼は望みえないときに望みを抱いて信じました。それは、「あなたの子孫はこのようになる」と言われていたとおりに、彼があらゆる国の人々の父となるためでした。19 アブラハムは、およそ百歳になって、自分のからだが死んだも同然であることと、サラの胎の死んでいることとを認めても、その信仰は弱りませんでした。20 彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、21 神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。22 だからこそ、それが彼の義とみなされたのです。23 しかし、「彼の義とみなされた」と書いてあるのは、ただ彼のためだけでなく、24 また私たちのためです。すなわち、私たちの主イエスを死者の中からよみがえらせた方を信じる私たちも、その信仰を義とみなされるのです。25 主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。 ローマ4章17-25節
パウロがローマ人への手紙において語るアブラハムの姿は、罪や不信仰がおおわれたアブラハムの姿です。
おおわれる前のアブラハムの姿は、創世記17章17節に以下のように記録されています。
アブラハムはひれ伏し、そして笑ったが、心の中で言った。「百歳の者に子どもが生まれようか。サラにしても、九十歳の女が子を産むことができようか。」