礼拝メッセージ「希望は失望に終わらない」ローマ11

礼拝メッセージ「希望は失望に終わらない」ローマ11(クリックで聴けます)

聖書箇所:ローマ人への手紙5章1ー5節

ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。ローマ5章1-5節

主イエス・キリストにすべてを信託する信仰によって義と認められた時、3つのギフトがあなたに与えられます。

1、王なる神との平和:
 王なる神、絶対主権者である神との絆が回復する時、あらゆる不安や恐れが消え去り、神との平和を体験することができます。それは死にも打ち勝つ平安と守りです。

2、王なる神への自由なアクセスと面談:
 王の息子であられる主イエスの御腕に導かれるなら、王がおられる至聖所の中に自由にアクセスし、王なる神と面談することができます。

3、失望に終わらない希望:
 宝石だって磨かなければ光りません。原石のような私たちをカットし磨き上げ、誰も消せない希望の光を放つために、全能の神はあなたに患難と聖霊を与えます。

聖霊論ブックレポート

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礼拝メッセージ「初めの愛」

礼拝メッセージ「初めの愛」(クリックで聴けます)

聖書箇所:ヨハネの黙示録2章1−7節

あなたはよく忍耐して、わたしの名のために耐え忍び、疲れたことがなかった。しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。それで、あなたは、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行いをしなさい。もしそうでなく、悔い改めることをしないならば、わたしは、あなたのところに行って、あなたの燭台をその置かれた所から取りはずしてしまおう。黙示録2章3-5節

すべての中から、特に、何も良いものがないようにしか見えないものの中から、グレイスは美しいもの、キラリと光る宝石のようなものを見つけ出します。

グレイスは、まず美しいものを見つけ出してねぎらい、評価し、ほめてくれます。そのようにしてグレイスは、積年まとわりついたサビ、汚れ、シミ、傷、そして疲れを取り除き、ピカピカにします。

次にグレイスは、美しくない点を指摘しますが、「じゃあどうすればいいのか」も具体的に提示します。カーナビのように目的地周辺で無責任に案内を中止したりはしません。グレイスはかゆいところに手が届く最高のナビゲーターなのです。

これらがグレイスのパーソナリティ(人柄)であり、スキル(熟練技術)です。グレイスは、そのようにして世界を変えて来ました。これからもグレイスは、そのようにして世界を変え続けることでしょう。

Spirit Song MV – Maranatha Singers

O let the Son of God enfold You
With His Spirit and His love
Let Him fill your heart and satisfy your soul
O let Him have those things that hold You
And His Spirit like a dove
Will descend upon your life
And make you whole

(chorus)
Jesus, O Jesus, come and fill Your Lambs
Jesus, O Jesus, come and fill Your Lambs

O come and sing this song with gladness
As your hearts are filled with joy
Lift your hands in sweet surrender
To His name
O give Him all your tears and sadness
Give Him all your years of pain
And you’ll enter into life
In Jesus’ name

礼拝メッセージ「土地のちりといのちの息」

土地のちりと命の息

礼拝メッセージ「土地のちりといのちの息」(クリックで聴けます)

聖書箇所:創世記2章4-7節

神である主は土地のちり(アダマー)で人(アダム)を形造り、その鼻にいのちの息(神の霊)を吹き込まれた。そこで人は生きものとなった。創世記2章7節

これまで見てきた創世記1章から2章3節には、天地万物の創造の中で、そのクライマックスとして、人間の創造が取り上げられていました。

創世記2章4節からは、創造の冠、最高傑作としての人間に改めてカメラが向けられ、人間がクローズアップされ、スローモーションで描写されています。

人間が神のかたちに基づいてデザインされているというのはどういう意味なのか。そのことが、3つのアングル・視点から紹介されていきます。最初のアングルは、いのちという視点から見た神のかたちです。

上記のみことばを原語で読むと、「人」と訳されていることばは「アダム」です。これは人間を意味する男性形の単語です。興味深いことに、「土地」と訳されていることばは「アダマー」となっており、これはアダムと同じ単語の女性形です。

人が土地のちりから形造られたとき、まだいのちを持つ生きものではありませんでした。いのちの源である主なる神が、その鼻にいのちの息(神の霊)を吹き込まれた時、人は生きものとなったのです。