礼拝メッセージ「聖霊の守り人」

礼拝メッセージ「聖霊の守り人」(クリックで聴けます)

聖書箇所:1コリント6章12−20節

15あなたがたのからだはキリストのからだの一部であることを、知らないのですか。
 キリストのからだを取って遊女のからだとするのですか。そんなことは絶対に許されません。
16 遊女と交われば、一つからだになることを知らないのですか。
「ふたりは一体となる」と言われているからです。
17 しかし、主と交われば、一つ霊となるのです。
18 不品行を避けなさい。人が犯す罪はすべて、
 からだの外のものです。しかし、不品行を行う者は、自分のからだに対して罪を犯すのです。
19あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、
 あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。
20あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。
 ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。
1コリント6章15−20節

礼拝メッセージ「希望は失望に終わらない」ローマ11

礼拝メッセージ「希望は失望に終わらない」ローマ11(クリックで聴けます)

聖書箇所:ローマ人への手紙5章1ー5節

ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。ローマ5章1-5節

主イエス・キリストにすべてを信託する信仰によって義と認められた時、3つのギフトがあなたに与えられます。

1、王なる神との平和:
 王なる神、絶対主権者である神との絆が回復する時、あらゆる不安や恐れが消え去り、神との平和を体験することができます。それは死にも打ち勝つ平安と守りです。

2、王なる神への自由なアクセスと面談:
 王の息子であられる主イエスの御腕に導かれるなら、王がおられる至聖所の中に自由にアクセスし、王なる神と面談することができます。

3、失望に終わらない希望:
 宝石だって磨かなければ光りません。原石のような私たちをカットし磨き上げ、誰も消せない希望の光を放つために、全能の神はあなたに患難と聖霊を与えます。

聖霊論ブックレポート

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礼拝メッセージ「初めの愛」

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聖書箇所:ヨハネの黙示録2章1−7節

あなたはよく忍耐して、わたしの名のために耐え忍び、疲れたことがなかった。しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。それで、あなたは、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行いをしなさい。もしそうでなく、悔い改めることをしないならば、わたしは、あなたのところに行って、あなたの燭台をその置かれた所から取りはずしてしまおう。黙示録2章3-5節

すべての中から、特に、何も良いものがないようにしか見えないものの中から、グレイスは美しいもの、キラリと光る宝石のようなものを見つけ出します。

グレイスは、まず美しいものを見つけ出してねぎらい、評価し、ほめてくれます。そのようにしてグレイスは、積年まとわりついたサビ、汚れ、シミ、傷、そして疲れを取り除き、ピカピカにします。

次にグレイスは、美しくない点を指摘しますが、「じゃあどうすればいいのか」も具体的に提示します。カーナビのように目的地周辺で無責任に案内を中止したりはしません。グレイスはかゆいところに手が届く最高のナビゲーターなのです。

これらがグレイスのパーソナリティ(人柄)であり、スキル(熟練技術)です。グレイスは、そのようにして世界を変えて来ました。これからもグレイスは、そのようにして世界を変え続けることでしょう。

Spirit Song MV – Maranatha Singers

O let the Son of God enfold You
With His Spirit and His love
Let Him fill your heart and satisfy your soul
O let Him have those things that hold You
And His Spirit like a dove
Will descend upon your life
And make you whole

(chorus)
Jesus, O Jesus, come and fill Your Lambs
Jesus, O Jesus, come and fill Your Lambs

O come and sing this song with gladness
As your hearts are filled with joy
Lift your hands in sweet surrender
To His name
O give Him all your tears and sadness
Give Him all your years of pain
And you’ll enter into life
In Jesus’ name

U2 魂の歌を求めて WALK ON: THE SPIRITUAL JOURNEY OF U2

「普通の社会で通用しないなら、そりゃあダメでしょ!」

ぜひお勧めの本です!

霊肉二元論の克服のために

敬虔のための鍛錬(マタイ4:1-4)
河野勇一(緑キリスト教会牧師・現東海聖書神学塾塾長)
クリスチャン市民の会「アーモンド」No.3より引用

物質文明を謳歌している現代。その豊かさを楽しむ一方で、人間性や心の回復の必要を訴える声があちこちから聞こえてきます。そんな時に、クリスチャンならずともよく引用する聖書の言葉に、「人はパンだけで生きるのではない」があります。これを引用する人は、人間は物質的なものだけでは満たされない精神的・霊的な存在だから、パンによって肉体の必要が満たされるだけでなく、神の言葉によって心(霊)も満たされなければ生きることはできない、と言いたいようです。

しかし、このポピュラーなみ言葉の使い方は、誤った解釈に基づいています。ギリシャ的な霊肉二元論の影響を受けて、パン(物質的領域)と神の言葉(霊的領域)を別々の領域のものと考えているからです。物質も大切だが霊も大切だ、という考え方は、物質の問題は霊の問題とは関係ない、という考えに容易におちいってしまうのです。

荒野での誘惑において、サタンは空腹のイエス様に向かって、「あなたには人人を救うための大事な仕事がある。あなたは生きなければならないし、あなたは神の子で奇蹟を行う能力もある。いま、その力を使って石をパンに変え、そして神から託された仕事をしなさい」と語ったのでした。

それに対する答えとして、イエス様が引用されたのがこのみ言葉で、申命記8章からのものです。そこには、荒野での40年間、食べ物も水もままならない環境の中で、神が天からの食物(マナ)によってイスラエルの民を養われたのは、人は神に養われ、守られ、生かされている存在であるということをわからせるためであった、と書かれています。

ですから、イエス様がこのみ言葉を引用しておっしゃりたかったことは、「サタンよ、黙れ。人はパン自体で生きているのではなく、パンを創造し、それをご配慮によって与える神ご自身のみ言葉によってこそ生かされているのだ。だから、私は自分の力でパンを獲得することはしない。この父なる神のみ心に全てをゆだねて生きるのだ」ということです。ここにおいて二元論は克服され、パンをも含めた一元的な神の支配への信頼が語られています。

このように考えますと、飽食の時代に生きるクリスチャンにもサタンが同じように誘惑の手を伸ばしていることが見抜けてきます。あり余る食料に囲まれて自分のお金で自由に好きなものを選べる私たちの生活から、日毎のパンを主に求める祈りが消えます。また、日毎の糧が主から与えられているという感覚がマヒして、感謝がなくなるのです。

そんな中でのこのみ言葉の二元論的誤用は、物質的な事柄を信仰の範囲外のこととする考えを生み、浪費やぜいたくの是認につながりかねず、サタンの誘惑を助長しこそすれ、これに打ち勝つ力にはならない、と言えるのではないでしょうか。

クリスチャンのシンプルライフ指向が、単なる資源の節約や博愛精神ーそのこと自体、もちろん大切なことですがーに終わらないで、信仰生活に統合されるためには、霊肉二元論的な思考からくる、肉体的・物質的な生活と霊的・信仰的な生活との遊離という誤りを克服しなければなりません。

テモテへの手紙第一(4:1-11)において、パウロも二元論に基づく禁欲主義という悪霊の教えに警告をうながし、すべてのものに感謝する生き方を教えています。

ここでパウロが言う「敬虔のための鍛錬」(4:7)とは、まず、すべてのものが神の口から出たみ言葉によることを理解し、次にそれらを「神のことばと祈りとによって、聖めて」(4:5)用いる生き方のことです。すなわち、ひとつひとつのものを神の目的にしたがってふさわしく、適量、しかも楽しんで用いるところの「感謝の鍛錬」です。その意味で、シンプルライフとは、クリスチャンが「本当に霊的なライフスタイル」を確率するための鍛錬としてとらえるべき信仰のわざなのです。