お知らせ
10月31日(金)、19時半から福音喫茶OPENします。
YouTubeにて、これまでの試験配信を視聴できます。
LOVE SUGITO RADIOでも配信しています。
「ここに連れ出せ。彼らをよく知りたいのだ」October 30, 2025
その二人の御使いは、夕暮れにソドムに着いた。ロトはソドムの門のところに座っていた。ロトは彼らを見ると、立ち上がって彼らを迎え、顔を地に付けて伏し拝んだ。そして言った。「ご主人がた。どうか、このしもべの家に立ち寄り、足を洗って、お泊まりください。そして、朝早く旅を続けてください。」すると彼らは言った。「いや、私たちは広場に泊まろう。」しかし、ロトがしきりに勧めたので、彼らは彼のところに立ち寄り、家の中に入った。ロトは種なしパンを焼き、彼らのためにごちそうを作った。こうして彼らは食事をした。彼らが床につかないうちに、その町の男たち、ソドムの男たちが若い者から年寄りまで、その家を取り囲んだ。すべての人が町の隅々からやって来た。そして、ロトに向かって叫んだ。「今夜おまえのところにやって来た、あの男たちはどこにいるのか。ここに連れ出せ。彼らをよく知りたいのだ。」創世記19章1ー5節
二人の御使いは、夕暮れにソドムに着きました。門に座っていたロトは、立ち上がって彼らを迎え、顔を地に付けて伏し拝みます。町の現状を知っているロトは、自分の家で一泊し、翌朝旅を続けるようにしきりに勧め、食事を作ってもてなします。
床につかないうちに、町の男たちが若者から年寄りまで家を取り囲み、すべての人が町の隅々から集まって来ました。そしてロトに向かって叫びます。「今夜おまえのところにやって来た、あの男たちはどこにいるのか。ここに連れ出せ。彼らをよく知りたいのだ。」「よく知りたい」とは、「肉体関係を持ちたい」という意味です。
神の愛から離れた人間は、何かの依存症になり、依存症はより強い刺激を求めてエスカレートします。ソドムの町に住む人々は、重度のセックス依存症でした。ソドムから、不自然な肉欲を意味するソドミーという言葉が生まれました。
新約聖書ユダの手紙7節には以下のように記されています。「その御使いたちと同じように、ソドムやゴモラ、および周辺の町々も、淫行にふけって不自然な肉欲を追い求めたため、永遠の火の刑罰を受けて見せしめにされています。」
「サラは心の中で笑って、こう言った」October 26, 2025
彼らはアブラハムに言った。「あなたの妻サラはどこにいますか。」彼は答えた。「天幕の中におります。」すると、そのうちの一人が言った。「わたしは来年の今ごろ、必ずあなたのところに戻って来ます。そのとき、あなたの妻サラには男の子が生まれています。」サラは、その人のうしろの、天幕の入り口で聞いていた。アブラハムとサラは年を重ねて老人になっていて、サラには女の月のものがもう止まっていた。サラは心の中で笑って、こう言った。「年老いてしまったこの私に、何の楽しみがあるでしょう。それに主人も年寄りで。」主はアブラハムに言われた。「なぜサラは笑って、『私は本当に子を産めるだろうか。こんなに年をとっているのに』と言うのか。主にとって不可能なことがあるだろうか。わたしは来年の今ごろ、定めた時に、あなたのところに戻って来る。そのとき、サラには男の子が生まれている。」サラは打ち消して言った。「私は笑っていません。」恐ろしかったのである。しかし、主は言われた。「いや、確かにあなたは笑った。」創世記18章9ー15節
主の一行はアブラハムに問います。「あなたの妻サラはどこにいますか。」彼は答えます。「天幕の中におります。」一行の一人が一年後を語ります。「わたしは来年の今ごろ、必ずあなたのところに戻って来ます。そのとき、あなたの妻サラには男の子が生まれています。」
実はこのとき、サラは天幕の入り口で聞き耳を立てていました。夫婦は高齢になり、サラは閉経を迎えていました。サラは心の中で笑って言います。「年老いてしまったこの私に、何の楽しみがあるでしょう。それに主人も年寄りで。」祈りが応えられない中で重ねた年月が、ニヒルな笑いを生みました。
サラの心の声を聞かれた主はアブラハムに言われます。「なぜサラは笑って、『私は本当に子を産めるだろうか。こんなに年をとっているのに』と言うのか。主にとって不可能なことがあるだろうか。わたしは来年の今ごろ、定めた時に、あなたのところに戻って来る。そのとき、サラには男の子が生まれている。」
「サレムの王メルキゼデク」October 14, 2025
アブラムが、ケドルラオメルと彼に味方する王たちを打ち破って戻って来たとき、ソドムの王は、シャベの谷すなわち王の谷まで、彼を迎えに出て来た。また、サレムの王メルキゼデクは、パンとぶどう酒を持って来た。彼はいと高き神の祭司であった。彼はアブラムを祝福して言った。「アブラムに祝福あれ。いと高き神、天と地を造られた方より。いと高き神に誉れあれ。あなたの敵をあなたの手に渡された方に。」 アブラムはすべての物の十分の一を彼に与えた。創世記14章17ー20節
アブラムが戻って来た時、二人の王がアブラムを迎えました。サレムの王とソドムの王です。サレムの王メルキゼデクは、いと高き神の祭司としてパンとぶどう酒を持ってアブラムを迎え、祝福の言葉を語りました。「アブラムに祝福あれ。いと高き神、天と地を造られた方より。いと高き神に誉れあれ。あなたの敵をあなたの手に渡された方に。」メルキゼデクについて、ヘブル人への手紙7章1ー4節では以下のように語られています。
このメルキゼデクはサレムの王で、いと高き神の祭司でしたが、アブラハムが王たちを打ち破って帰るのを出迎えて祝福しました。アブラハムは彼に、すべての物の十分の一を分け与えました。彼の名は訳すと、まず「義の王」、次に「サレムの王」、すなわち「平和の王」です。父もなく、母もなく、系図もなく、生涯の初めもなく、いのちの終わりもなく、神の子に似た者とされて、いつまでも祭司としてとどまっているのです。さて、その人がどんなに偉大であったかを考えてみなさい。族長であるアブラハムでさえ、彼に一番良い戦利品の十分の一を与えました。
実にメルキゼデクは、受肉前にパンとぶどう酒を持って現れてくださったJESUSなのです。アブラムは自発的に、喜んで、すべての物の十分の一をメルキゼデク(JESUS)に与えました。ここに十分の一献金の起源があります。
「箱舟に入れば救われ、入らなければ滅びる」September 23, 2025
主はノアに言われた。「あなたとあなたの全家は、箱舟に入りなさい。この世代の中にあって、あなたがわたしの前に正しいことが分かったからである。あなたは、すべてのきよい動物の中から雄と雌を七つがいずつ、きよくない動物の中から雄と雌を一つがいずつ、また空の鳥の中からも雄と雌を七つがいずつ取りなさい。それらの種類が全地の面で生き残るためである。あと七日たつと、わたしは、地の上に四十日四十夜、雨を降らせ、わたしが造ったすべての生けるものを大地の面から消し去る。」ノアは、すべて主が彼に命じられたとおりにした。ノアは六百歳であったが、そのときに大洪水が起こり、大水は地の上にあった。ノアは息子たちや自分の妻、それに息子たちの妻とともに、大洪水の大水を避けるために箱舟に入った。きよい動物、きよくない動物、鳥、地面を這うすべてのものの中から、雄と雌がつがいになって箱舟の中のノアのところにやって来た。神がノアに命じられたとおりであった。七日たつと、大洪水の大水が地の上に生じた。 創世記7章1−10節
その霊においてキリストは、捕らわれている霊たちのところに行って宣言されました。かつてノアの時代に、箱舟が造られていた間、神が忍耐して待っておられたときに従わなかった霊たちにです。その箱舟に入ったわずかの人たち、すなわち八人は、水を通って救われました。ペテロの手紙第一3章19−20節
新約聖書ペテロの手紙第一3章19−20節は、以下のことを明らかにします。ノアの時代、箱舟が造られていた間、神は忍耐して待っておられました。ノア家族を通して、一人でも多くの人を箱舟の中に招き、救いたかったからです。3階建てのタンカーのような箱舟には、そのためのスペースが十分用意されていました。
その時、従わなかった霊たちのところに、受肉前のJESUSが行って福音を宣言されました。箱舟に入れば救われ、入らなければ滅びることを。箱舟に入ったわずかの人たち、すなわちノア家族八人は、水を通って救われました。しかし最後まで従わなかった多くの人たちは、大洪水で滅びてしまいました。受肉されたJESUSは言われます。わたしを信じれば救われ、信じなければ滅びると。





