聖書と祈り会のご案内

水曜14時からと20時から、聖書と祈り会が持たれます。
今はエゼキエル書を読み進めつつ、祈りの時を持っています。

2025年9月10日の聖書と祈り会メッセージ。だから立ち返って、生きよ。
聖書はエゼキエル書18章1−32節。
ともに聞く聖書はこちら⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠http://graceandmercy.or.jp⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠。

エゼキエル18

杉戸キリスト教会地図2014

主の御顔を避けて September 10, 2025

「主の御顔を避けて」September 10, 2025

こうして、ふたりの目は開かれ、自分たちが裸であることを知った。そこで彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちのために腰の覆いを作った。そよ風の吹くころ、彼らは、神である主が園を歩き回られる音を聞いた。それで人とその妻は、神である主の御顔を避けて、園の木の間に身を隠した。神である主は、人に呼びかけ、彼に言われた。「あなたはどこにいるのか。」彼は言った。「私は、あなたの足音を園の中で聞いたので、自分が裸であるのを恐れて、身を隠しています。」主は言われた。「あなたが裸であることを、だれがあなたに告げたのか。あなたは、食べてはならない、とわたしが命じた木から食べたのか。」人は言った。「私のそばにいるようにとあなたが与えてくださったこの女が、あの木から取って私にくれたので、私は食べたのです。」神である主は女に言われた。「あなたは何ということをしたのか。」女は言った。「蛇が私を惑わしたのです。それで私は食べました。」創世記3章7ー13節

狡猾な悪魔の誘惑に負けたふたりは、食べてはならないと神が命じた善悪の知識の木から食べました。目が開かれたふたりは、自分たちが裸であることを知り、腰の覆いを作ります。そして人とその妻は、神である主の御顔を避けて、身を隠します。

神に呼びかけられ、問いかけられると、人は反射的に言い訳します。「私のそばにいるようにとあなたが与えてくださったこの女が、あの木から取って私にくれたので、私は食べたのです。」妻に責任転嫁しているように聞こえます。

しかし、「私のそばにいるようにとあなたが与えてくださったこの女が!」と語っています。人は神である主に、すべての責任をなすりつけ、自己正当化を試みました。女も「蛇が私を惑わしたのです。それで私は食べました。」と言い張ります。ふたりの姿は、本当の姿を映し出す鏡・The Bibleに映った私たちの姿です。

悪魔の悪賢さ September 9, 2025

「悪魔の悪賢さ」September 9, 2025

さて蛇は、神である主が造られた野の生き物のうちで、ほかのどれよりも賢かった。蛇は女に言った。「園の木のどれからも食べてはならないと、神は本当に言われたのですか。」女は蛇に言った。「私たちは園の木の実を食べてもよいのです。しかし、園の中央にある木の実については、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ』と神は仰せられました。」すると、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。それを食べるそのとき、目が開かれて、あなたがたが神のようになって善悪を知る者となることを、神は知っているのです。」そこで、女が見ると、その木は食べるのに良さそうで、目に慕わしく、またその木は賢くしてくれそうで好ましかった。それで、女はその実を取って食べ、ともにいた夫にも与えたので、夫も食べた。創世記3章1ー6節

創世記3章は、悪魔の悪賢さを語ります。蛇の姿で現れた悪魔は、まず誘導尋問によって、神に対する悪いイメージを女に植え付けます。つられて女が隙を見せると、悪魔はすかさず真っ赤な嘘を吐いて女に噛みつき、心に猛毒を注入します。

2章16−17節で神である主が語られたみことば、「あなたは園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは、食べてはならない。その木から食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」と比較してください。主は最高に良いお方なのに、悪魔は、主を最悪な存在へとおとしめるのです。

ふさわしい助け手 September 8, 2025

「ふさわしい助け手」September 8, 2025

また、神である主は言われた。「人がひとりでいるのは良くない。わたしは人のために、ふさわしい助け手を造ろう。」神である主は、その土地の土で、あらゆる野の獣とあらゆる空の鳥を形造って、人のところに連れて来られた。人がそれを何と呼ぶかをご覧になるためであった。人がそれを呼ぶと、何であれ、それがその生き物の名となった。人はすべての家畜、空の鳥、すべての野の獣に名をつけた。しかし、アダムには、ふさわしい助け手が見つからなかった。神である主は、深い眠りを人に下された。それで、人は眠った。主は彼のあばら骨の一つを取り、そのところを肉でふさがれた。神である主は、人から取ったあばら骨を一人の女に造り上げ、人のところに連れて来られた。人は言った。「これこそ、ついに私の骨からの骨、私の肉からの肉。これを女と名づけよう。男から取られたのだから。」それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである。そのとき、人とその妻はふたりとも裸であったが、恥ずかしいとは思わなかった。創世記2章18ー25節

The Bibleは、男性のあばら骨から、女性が造られたと教えます。
もし男性の頭の骨から女性が造られたら、男性は女性に頭が上がらないでしょう。
もし男性の足の骨から女性が造られたら、女性は男性に頭が上がらないでしょう。
しかし造り主なる神は、男性のあばら骨を一人の女に造り上げたのです。

あばら骨・肋骨とはどういう骨でしょうか。
あばら骨は、心臓・ハートや大切な内臓を、優しく包み込む繊細な骨です。
最高のデザイナーである神は、
男性のハートを優しく包み込む繊細な存在として、女性を創造されたのです。

デリケートな女性に男性が優しく接する時、
女性は最高にふさわしい助け手になれます。
そうでなければ、肋骨は簡単に折れてしまい、内臓に刺さってしまいます。

支配せよ=そこを耕させ、また守らせた September 6, 2025

「支配せよ=そこを耕させ、また守らせた」September 6, 2025

神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。
「生めよ。増えよ。地に満ちよ。地を従えよ。
海の魚、空の鳥、地の上を這うすべての生き物を支配せよ。」
創世記1章28節

神である主は人を連れて来て、エデンの園に置き、
そこを耕させ、また守らせた。創世記2章15節

上記のみことばから、
神のかたちに造られた人間の、目的論的側面を覚えましょう。
「支配せよ」という言葉が、
「耕すこと」と「守ること」に言い換えられています。

「支配せよ」とは、「自己中心に搾取せよ」ではありません。
「支配せよ」とは、神のしもべとして耕し守ること、仕えてケアすることです。
神のかたちに造られた人間には、そのような目的・使命が与えられています。
地球規模の環境問題に対する答えが、ここにあります。

The Bibleは語る。休むことは罪じゃない! September 3, 2025

「The Bibleは語る。休むことは罪じゃない!」September 3, 2025

こうして天と地とその万象が完成した。
神は第七日に、なさっていたわざを完成し、
第七日に、なさっていたすべてのわざをやめられた。
神は第七日を祝福し、この日を聖なるものとされた。
その日に神が、なさっていたすべての創造のわざをやめられたからである。
創世記2章1−3節

The Bibleは語る。休むことは罪じゃない!
The Bibleは語る。一週間に1日も休まないことが罪!
神は率先して、6日間働いた後、第七日にすべてのわざをやめられた。
The Bibleは語る。休むことは罪じゃない!

さあ、人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう September 2, 2025

「さあ、人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう」September 2, 2025

神は仰せられた。「さあ、人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう。こうして彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地の上を這うすべてのものを支配するようにしよう。」神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして人を創造し、男と女に彼らを創造された。神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。「生めよ。増えよ。地に満ちよ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地の上を這うすべての生き物を支配せよ。」

神は仰せられた。「見よ。わたしは、地の全面にある、種のできるすべての草と、種の入った実のあるすべての木を、今あなたがたに与える。あなたがたにとってそれは食物となる。また、生きるいのちのある、地のすべての獣、空のすべての鳥、地の上を這うすべてのもののために、すべての緑の草を食物として与える。」すると、そのようになった。神はご自分が造ったすべてのものを見られた。見よ、それは非常に良かった。夕があり、朝があった。第六日。 創世記1章26−31節

第六日の後半、最後に神は、私たち人間を創造されます。
これまでのすべては、私たち人間を創造するための準備期間でした。

人間だけが特別に、神のかたちとして創造されました。
神からいのちと身体、時間と空間を預かり、
神と隣人との関係の中で、共に生きるように造られ、
神から目的と使命、そして存在価値が与えられました。

あなたは偶然の産物ではありません。
あなたは唯一無二の神の作品です。
神はあなたを「大切なきみ」として愛しておられます。