礼拝メッセージ「福音を伝える足」ローマ25

礼拝メッセージ「福音を伝える足」ローマ25(クリックで聴けます)

聖書箇所:ローマ人への手紙10章1ー15節

9 なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。10 人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。11 聖書はこう言っています。「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」12 ユダヤ人とギリシヤ人との区別はありません。同じ主が、すべての人の主であり、主を呼び求めるすべての人に対して恵み深くあられるからです。13 「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる」のです。14 しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。15 遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。次のように書かれているとおりです。「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。」ローマ人への手紙10章9−15節

福音が語られています。もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で、神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われる。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるという福音です。

この福音において、ユダヤ人と異邦人、韓国人と日本人との区別はありません。主の御名を呼び求める者は、だれでも救われます。けれども、福音を伝える足として神が誰かを派遣しなければ、聞くことも、信じることも、呼び求めることもできません。

SUGITO GOSPEL CAFE(青年福音喫茶)のご案内

今日は夜7時半からSUGITO GOSPEL CAFE(青年福音喫茶)OPENします。今日はゲストとして韓国からの青年たち7人(9条平安チーム)も参加します。ぜひお気軽にお集いください。

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礼拝メッセージ「捨て身の願い」ローマ21

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聖書箇所:ローマ人への手紙9章1ー5節

1 私はキリストにあって真実を言い、偽りを
 言いません。次のことは、私の良心も、
 聖霊によってあかししています。
2 私には大きな悲しみがあり、私の心には
 絶えず痛みがあります。
3 もしできることなら、私の同胞、肉による
 同国人のために、この私がキリストから引き
 離されて、のろわれた者となることさえ願い
 たいのです。
4 彼らはイスラエル人です。 子とされることも、
 栄光も、契約も、律法を与えられることも、
 礼拝も、約束も彼らのものです。
5 父祖たちも彼らのものです。またキリストも、
 人としては彼らから出られたのです。
 このキリストは万物の上にあり、とこしえに
 ほめたたえられる神です。 アーメン。
       ローマ人への手紙9章1-5節

「何者も何事も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」パウロはそう宣言しました。

そのパウロが語ります。「もしできることなら、私の同胞、肉による同国人のために、この私がキリストから引き離されて、のろわれた者となることさえ願いたい。」

捨て身であなたを愛しておられる主イエスの愛に触れられる時、あなたもパウロのように捨て身で願う者に変えられることでしょう。捨て身で神と隣人のために生きる者とされる。これがキリストのように変えられるという益です。

礼拝メッセージ「苦しみの意味」ローマ18

礼拝メッセージ「苦しみの意味」ローマ18(クリックで聴けます)

聖書箇所:ローマ人への手紙8章18ー25節

18 今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに
 啓示されようとしている栄光に比べれば、
  取るに足りないものと私は考えます。
19 被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現れを
  待ち望んでいるのです。
20 それは、被造物が虚無に服したのが自分の意志ではなく、
 服従させた方によるのであって、望みがあるからです。
21 被造物自体も、滅びの束縛から解放され、
  神の子どもたちの栄光の自由の中に入れられます。
22 私たちは、被造物全体が今に至るまで、
  ともにうめきともに産みの苦しみをしていることを知っています。
23 そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、
  心の中でうめきながら、子にしていただくこと、
  すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます。
24 私たちは、この望みによって救われているのです。
  目に見える望みは、望みではありません。
  だれでも目で見ていることを、どうしてさらに望むでしょう。
25 もしまだ見ていないものを望んでいるのなら、
  私たちは、忍耐をもって熱心に待ちます。
  ローマ人への手紙8章18-25節

パウロは福音信仰の山頂で語ります。私たち人間だけでなく、神に造られた被造物全体、すなわち宇宙全体が苦しんでいる。今の時のいろいろな苦しみは、産みの苦しみである。苦しみがもたらすものに目を向けるなら、苦しみが取るに足らないものに見えてくる。苦しみがもたらすもの、それは、神の子どもとしての栄光と自由、私たちのからだの贖いである。

ペンテコステ礼拝メッセージ「聖霊とは何か」ローマ17

ペンテコステ礼拝メッセージ「聖霊とは何か」ローマ17(クリックで聴けます)

聖書箇所:ローマ人への手紙8章1ー17節

1 こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が
 罪に定められることは決してありません。
2 なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、
 罪と死の原理から、あなたを解放したからです。
3 肉によって無力になったため、律法にはできなくなっていることを、
 神はしてくださいました。神はご自分の御子を、罪のために、
 罪深い肉と同じような形でお遣わしになり、
 肉において罪を処罰されたのです。
4 それは、肉に従って歩まず、御霊に従って歩む私たちの中に、
 律法の要求が全うされるためなのです。
5 肉に従う者は肉的なことをもっぱら考えますが、
 御霊に従う者は御霊に属することをひたすら考えます。
6 肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。
7 というのは、肉の思いは神に対して反抗するものだからです。
 それは神の律法に服従しません。いや、服従できないのです。
8 肉にある者は神を喜ばせることができません。
9 けれども、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、
 あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。
 キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。
10 もしキリストがあなたがたのうちにおられるなら、
 からだは罪のゆえに死んでいても、霊が、義のゆえに生きています。
ローマ人への手紙8章1-10節