「神へのいけにえは 砕かれた霊」June 18, 2025

「神へのいけにえは 砕かれた霊」June 18, 2025

詩篇51篇はダビデの賛歌。
ダビデがバテ・シェバと通じた後、
預言者ナタンが彼のもとに来たときに。
神へのいけにえは 砕かれた霊。
打たれ 砕かれた心。
神よ あなたはそれを蔑まれません。

神よ 私をあわれんでください。
あなたの恵みにしたがって。
私の背きをぬぐい去ってください。
あなたの豊かなあわれみによって。
私の咎を 私からすっかり洗い去り
私の罪から 私をきよめてください。

まことに 私は自分の背きを知っています。
私の罪は いつも私の目の前にあります。
私はあなたに ただあなたの前に罪ある者です。
私はあなたの目に 悪であることを行いました。
ですから あなたが宣告するとき あなたは正しく
さばくとき あなたは清くあられます。
ご覧ください。私は咎ある者として生まれ
罪ある者として 母は私を身ごもりました。
確かに あなたは心のうちの真実を喜ばれます。
どうか私の心の奥に 知恵を教えてください。

ヒソプで私の罪を除いてください。
そうすれば私はきよくなります。
私を洗ってください。
そうすれば 私は雪よりも白くなります。
楽しみと喜びの声を聞かせてください。
そうすれば あなたが砕かれた骨が喜びます。
御顔を私の罪から隠し
私の咎をすべてぬぐい去ってください。

神よ 私にきよい心を造り
揺るがない霊を 私のうちに新しくしてください。
私を あなたの御前から投げ捨てず
あなたの聖なる御霊を
私から取り去らないでください。
あなたの救いの喜びを私に戻し
仕えることを喜ぶ霊で 私を支えてください。
私は背く者たちに あなたの道を教えます。
罪人たちは あなたのもとに帰るでしょう。

神よ 私の救いの神よ
血の罪から私を救い出してください。
私の舌は あなたの義を高らかに歌います。
主よ 私の唇を開いてください。
私の口は あなたの誉れを告げ知らせます。
まことに 私が供えても
あなたはいけにえを喜ばれず
全焼のささげ物を望まれません。
神へのいけにえは 砕かれた霊。
打たれ 砕かれた心。
神よ あなたはそれを蔑まれません。

どうかご恩寵により シオンにいつくしみを施し
エルサレムの城壁を築き直してください。
そのとき あなたは 義のいけにえを
焼き尽くされる全焼のささげ物を喜ばれます。
そのとき 雄牛があなたの祭壇に献げられます。

ダビデとウリヤの妻 礼拝のご案内

ダビデとウリヤの妻 礼拝のご案内

杉戸キリスト教会では、8月15日(日)、10時半からと20時から、礼拝を行います。マスクをしてお集いください。午後からは音声と動画で礼拝を配信します。

これまでのメッセージはこちら。

杉戸キリスト教会地図2016

http://gospel.sakura.ne.jp/sugito/

礼拝メッセージ「陽のあたる場所」

礼拝メッセージ「陽のあたる場所」(クリックで聴けます)

聖書箇所:ヨハネ福音書8章1ー12節

1イエスはオリーブ山に行かれた。2 そして、朝早く、イエスはもう一度宮に入られた。民衆はみな、みもとに寄って来た。イエスはすわって、彼らに教え始められた。3 すると、律法学者とパリサイ人が、姦淫の場で捕らえられたひとりの女を連れて来て、真ん中に置いてから、4 イエスに言った。「先生。この女は姦淫の現場でつかまえられたのです。5 モーセは律法の中で、こういう女を石打ちにするように命じています。ところで、あなたは何と言われますか。」6 彼らはイエスをためしてこう言ったのである。それは、イエスを告発する理由を得るためであった。しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に書いておられた。7 けれども、彼らが問い続けてやめなかったので、イエスは身を起こして言われた。「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」8 そしてイエスは、もう一度身をかがめて、 地面に書かれた。9 彼らはそれを聞くと、年長者たちから始めて、ひとりひとり出て行き、イエスがひとり残された。女はそのままそこにいた。10 イエスは身を起こして、その女に言われた。「婦人よ。あの人たちは今どこにいますか。あなたを罪に定める者はなかったのですか。」11 彼女は言った。「だれもいません。」そこで、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」〕12 イエスはまた彼らに語って言われた。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」ヨハネ福音書8章1−12節

礼拝メッセージ「姦淫してはならない」

礼拝メッセージ「姦淫してはならない」

聖書箇所:出エジプト記20章1-17節

姦淫してはならない。出エジプト記20章14節

姦淫について、主イエスは以下のように言われます。

「『姦淫してはならない。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです。もし、右の目が、あなたをつまずかせるなら、えぐり出して、捨ててしまいなさい。からだの一部を失っても、からだ全体ゲヘナに投げ込まれるよりは、よいからです。もし、右の手があなたをつまずかせるなら、切って、捨ててしまいなさい。からだの一部を失っても、からだ全体ゲヘナに落ちるよりは、よいからです。」マタイ福音書5章27-30節

情欲をいだいて女または男を見ることは、すでに姦淫の罪だと主イエスは言われます。自分の欲望を満たすための道具・モノとして人間を見るということは、人格やいのちを踏みにじって奴隷とする、恐ろしい罪です。そのような姦淫の罪は、相手とその家族を不幸に落とし入れ、あなたのからだ全体をゲヘナ、つまり地獄、永遠の滅びに至らせる恐ろしい罪であると、主イエス様は警告しておられます。

主イエスは、姦淫の罪を犯している私たちを救い、神と隣人を愛する自由に生かすために、私たちの身代わりに十字架で死なれました。主イエスは、夕に葬られましたが、三日目の朝に復活されました。

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