はい、行きます November 21, 2025

「はい、行きます」November 21, 2025

アブラハムのしもべは、彼らのことばを聞くやいなや、地にひれ伏して主を礼拝した。そして、このしもべは銀や金の品物や衣装を取り出して、リベカに与えた。また、彼女の兄や母にも貴重な品々を贈った。このしもべと、ともにいた従者たちは、食べたり飲んだりして、そこに泊まった。朝になって彼らが起きると、そのしもべは「私の主人のところへ帰らせてください」と言った。彼女の兄と母は、「娘をしばらく、十日間ほど私たちのもとにとどまらせて、その後で行かせるようにしたいのですが」と言った。しもべは彼らに、「私が遅れないようにしてください。主が私の旅を成功させてくださったのですから。主人のところへ行けるように、私を帰らせてください」と言った。彼らは答えた。「娘を呼び寄せて、娘の言うことを聞いてみましょう。」彼らはリベカを呼び寄せて、「この人と一緒に行くか」と尋ねた。すると彼女は「はい、行きます」と答えた。そこで彼らは、妹リベカとその乳母を、アブラハムのしもべとその従者たちと一緒に送り出した。彼らはリベカを祝福して言った。「われらの妹よ、あなたは幾千万にも増えるように。あなたの子孫は敵の門を勝ち取るように。」リベカとその侍女たちは立ち上がり、らくだに乗って、その人の後について行った。こうして、しもべはリベカを連れ帰った。一方イサクは、ベエル・ラハイ・ロイ地方から帰って来ていた。彼はネゲブの地に住んでいたのであった。イサクは夕暮れ近く、野に散歩に出かけた。彼が目を上げて見ると、ちょうど、らくだが近づいて来ていた。リベカも目を上げ、イサクを見ると、らくだから降り、しもべに尋ねた。「野を歩いて私たちを迎えに来る、あの方はどなたですか。」しもべは答えた。「あの方が私の主人です。」そこで、リベカはベールを手に取って、身をおおった。しもべは、自分がしてきたことを残らずイサクに話した。イサクは、その母サラの天幕にリベカを連れて行き、リベカを迎えて妻とし、彼女を愛した。イサクは、母の亡き後、慰めを得た。創世記24章52−67節

父ベトエルと兄ラバンの快諾を得たアブラハムのしもべは、地にひれ伏して主を礼拝します。品物や衣装を取り出してリベカに与え、兄や母にも贈り物をします。そして彼らは食事をし、そこに泊まります。

朝起きると、しもべは「私の主人のところへ帰らせてください」と願います。彼女の兄と母は、「娘をしばらく、十日間ほどとどまらせ、その後で行かせるようにしたい」と言います。しもべは、「私が遅れないようにしてください。主が私の旅を成功させてくださったのですから。」と願います。彼らがリベカを呼び寄せ、「この人と一緒に行くか」と尋ねると、彼女は「はい、行きます」と即答しました。

そこで彼らは、妹リベカとその乳母を、アブラハムのしもべとその従者たちと一緒に送り出します。彼らはリベカを祝福して言いました。「われらの妹よ、あなたは幾千万にも増えるように。あなたの子孫は敵の門を勝ち取るように。」

あなたの子孫を、空の星、海辺の砂のように November 13, 2025

「あなたの子孫を、空の星、海辺の砂のように」November 13, 2025

2025-11-13

主の使いは再び天からアブラハムを呼んで、こう言われた。「わたしは自分にかけて誓う──主のことば──。あなたがこれを行い、自分の子、自分のひとり子を惜しまなかったので、確かにわたしは、あなたを大いに祝福し、あなたの子孫を、空の星、海辺の砂のように大いに増やす。あなたの子孫は敵の門を勝ち取る。あなたの子孫によって、地のすべての国々は祝福を受けるようになる。あなたが、わたしの声に聞き従ったからである。」アブラハムは若い者たちのところに戻った。彼らは立って、一緒にベエル・シェバに行った。こうしてアブラハムはベエル・シェバに住んだ。これらの出来事の後、アブラハムに次のことが伝えられた。「ミルカもまた、あなたの兄弟ナホルに子を産みました。長男ウツ、その弟ブズ、アラムの父ケムエル、ケセデ、ハゾ、ピルダシュ、イデラフ、それにベトエルです。」このベトエルはリベカを生んだ。ミルカはこれら八人を、アブラハムの兄弟ナホルに産んだのである。レウマというナホルの側女もまた、テバフ、ガハム、タハシュ、マアカを産んだ。創世記22章15ー24節

アブラハムの神は、ふさわしくない者を選んで訓練し、ふさわしい者・信仰の父へと変えてくださる恵みの神です。主を信頼して服従する信仰によって、アブラハムは信仰の最終試験に見事合格しました。それで主の使いは、再び天からアブラハムを呼んで、こう言われました。

「わたしは自分にかけて誓う──主のことば──。あなたがこれを行い、自分の子、自分のひとり子を惜しまなかったので、確かにわたしは、あなたを大いに祝福し、あなたの子孫を、空の星、海辺の砂のように大いに増やす。あなたの子孫は敵の門を勝ち取る。あなたの子孫によって、地のすべての国々は祝福を受けるようになる。あなたが、わたしの声に聞き従ったからである。」

一難去ってまた一難 November 8, 2025

「一難去ってまた一難」November 8, 2025

その子は育って乳離れした。アブラハムはイサクの乳離れの日に、盛大な宴会を催した。サラは、エジプトの女ハガルがアブラハムに産んだ子が、イサクをからかっているのを見た。それで、アブラハムに言った。「この女奴隷とその子を追い出してください。この女奴隷の子は、私の子イサクとともに跡取りになるべきではないのですから。」このことで、アブラハムは非常に苦しんだ。それが自分の子に関わることだったからである。神はアブラハムに仰せられた。「その少年とあなたの女奴隷のことで苦しんではならない。サラがあなたに言うことはみな、言うとおりに聞き入れなさい。というのは、イサクにあって、あなたの子孫が起こされるからだ。しかし、あの女奴隷の子も、わたしは一つの国民とする。彼も、あなたの子孫なのだから。」創世記21章8ー13節

聖書の神を信じていても、いなくても、人生は「一難去ってまた一難」です。いずれの人生にも、「一難去らないうちにまた一難」という厳しい状況も起こり得ます。けれども、聖書の神を信じている人生と、信じていない人生には、明確な違いがあります。

聖書の神、アブラハムの神を信じている人生には、私たちの苦しみをご覧になり、その時必要なことを語りかけてくださる神の優しい導きがあり、そこが陽のあたる場所、メインストリートになります。アブラハムの神を信じていない人生では、それに気づくことも体験することもできず、その結果、自助努力と自己責任の果てに、行き止まりの路地裏になります。

ご覧ください。私はちりや灰にすぎませんが October 29, 2025

「ご覧ください。私はちりや灰にすぎませんが」October 29, 2025

アブラハムは答えた。「ご覧ください。私はちりや灰にすぎませんが、あえて、わが主に申し上げます。もしかすると、五十人の正しい者に五人不足しているかもしれません。その五人のために、あなたは町のすべてを滅ぼされるのでしょうか。」主は言われた。「いや、滅ぼしはしない。もし、そこに四十五人を見つけたら。」彼は再び尋ねて言った。「もしかすると、そこに見つかるのは四十人かもしれません。」すると言われた。「そうはしない。その四十人のゆえに。」また彼は言った。「わが主よ。どうかお怒りにならないで、私に言わせてください。もしかすると、そこに見つかるのは三十人かもしれません。」すると言われた。「そうはしない。もし、そこに三十人を見つけたら。」彼は言った。「あえて、わが主に申し上げます。もしかすると、そこに見つかるのは二十人かもしれません。」すると言われた。「滅ぼしはしない。その二十人のゆえに。」また彼は言った。「わが主よ。どうかお怒りにならないで、もう一度だけ私に言わせてください。もしかすると、そこに見つかるのは十人かもしれません。」すると言われた。「滅ぼしはしない。その十人のゆえに。」主は、アブラハムと語り終えると、去って行かれた。アブラハムも自分の家へ帰って行った。創世記18章27ー33節

破れ口に立ち続けるアブラハムは、粘り強くとりなしの祈りを続けます。「もしかすると、五十人の正しい者に五人不足しているかもしれません。その五人のために、あなたは町のすべてを滅ぼされるのでしょうか。」とアブラハムが申し上げると、主は言われます。「いや、滅ぼしはしない。もし、そこに四十五人を見つけたら。」

五十人から四十五人、四十五人から四十人、四十人から三十人、三十人から二十人、二十人から十人。何としてもソドムが滅ぼされないように、アブラハムは粘りに粘って主にとりなし続けます。なぜアブラハムは、そこまで真剣に祈ることが出来たのでしょうか。なぜならソドムには、アブラムの甥のロトが住んでいたからです。

割礼・信仰によって義と認められたことの証印 October 22, 2025

「割礼・信仰によって義と認められたことの証印」October 22, 2025

また神はアブラハムに仰せられた。「あなたは、わたしの契約を守らなければならない。あなたも、あなたの後の子孫も、代々にわたって。次のことが、わたしとあなたがたとの間で、またあなたの後の子孫との間で、あなたがたが守るべきわたしの契約である。あなたがたの中の男子はみな、割礼を受けなさい。あなたがたは自分の包皮の肉を切り捨てなさい。それが、わたしとあなたがたとの間の契約のしるしとなる。 あなたがたの中の男子はみな、代々にわたり、生まれて八日目に割礼を受けなければならない。家で生まれたしもべも、異国人から金で買い取られた、あなたの子孫ではない者もそうである。あなたの家で生まれたしもべも、金で買い取った者も、必ず割礼を受けなければならない。わたしの契約は、永遠の契約として、あなたがたの肉に記されなければならない。包皮の肉を切り捨てられていない無割礼の男、そのような者は、自分の民から断ち切られなければならない。わたしの契約を破ったからである。」 創世記17章9ー14節

神はアブラハムに、神との契約を守るしるしとして割礼を求められました。割礼とは、男子の包皮の肉を切り捨てることです。「男子はみな、代々にわたり、生まれて八日目に割礼を受けなければならない」と神は命じられました。新約聖書ローマ人への手紙4章には、「アブラハムは信仰によって義と認められたことの証印として割礼を受けた」と教えられています。新約時代に、割礼は洗礼にとって代わりました。

それでは、この幸いは、割礼のある者にだけ与えられるのでしょうか。それとも、割礼のない者にも与えられるのでしょうか。私たちは、「アブラハムには、その信仰が義と認められた」と言っていますが、どのようにして、その信仰が義と認められたのでしょうか。割礼を受けてからですか。割礼を受けていないときですか。割礼を受けてからではなく、割礼を受けていないときです。彼は、割礼を受けていないときに信仰によって義と認められたことの証印として、割礼というしるしを受けたのです。それは、彼が、割礼を受けないままで信じるすべての人の父となり、彼らも義と認められるためであり、また、単に割礼を受けているだけではなく、私たちの父アブラハムが割礼を受けていなかったときの信仰の足跡にしたがって歩む者たちにとって、割礼の父となるためでした。ローマ人への手紙4章9ー12節

お互い所有するものが多すぎて October 10, 2025

「お互い所有するものが多すぎて」October 10, 2025

そこで、アブラムはエジプトを出て、ネゲブに上った。妻と、所有するすべてのものと、ロトも一緒であった。アブラムは家畜と銀と金を非常に豊かに持っていた。彼はネゲブからベテルまで旅を続けて、ベテルとアイの間にある、最初に天幕を張った場所まで来た。そこは、彼が以前に築いた祭壇の場所であった。アブラムはそこで主の御名を呼び求めた。アブラムと一緒に来たロトも、羊の群れや牛の群れ、天幕を所有していた。その地は、彼らが一緒に住むのに十分ではなかった。所有するものが多すぎて、一緒に住めなかったのである。そのため、争いが、アブラムの家畜の牧者たちと、ロトの家畜の牧者たちの間に起こった。そのころ、その地にはカナン人とペリジ人が住んでいた。アブラムはロトに言った。「私とあなたの間、また私の牧者たちとあなたの牧者たちの間に、争いがないようにしよう。私たちは親類同士なのだから。全地はあなたの前にあるではないか。私から別れて行ってくれないか。あなたが左なら、私は右に行こう。あなたが右なら、私は左に行こう。」ロトが目を上げてヨルダンの低地全体を見渡すと、主がソドムとゴモラを滅ぼされる前であったので、その地はツォアルに至るまで、主の園のように、またエジプトの地のように、どこもよく潤っていた。ロトは、自分のためにヨルダンの低地全体を選んだ。そしてロトは東へ移動した。こうして彼らは互いに別れた。アブラムはカナンの地に住んだ。一方、ロトは低地の町々に住み、ソドムに天幕を移した。創世記13章1ー12節

ただ主の恵みによって、妻サライと共にエジプトを後にしたアブラムは、家畜と銀と金を非常に豊かに持っていました。アブラムはベテルまで旅を続けて、ベテルとアイの間にある、最初に天幕を張った場所まで戻って来ました。彼が以前に築いた祭壇の場所です。信仰の原点に戻ったアブラムは、そこで主の御名を呼び求めました。

ロトもまた、多くの羊の群れや牛の群れ、天幕を所有するようになりました。お互い所有するものが多すぎて、一緒に住めなくなったアブラムは、ロトに提言します。「私とあなたの間、また私の牧者たちとあなたの牧者たちの間に、争いがないようにしよう。私たちは親類同士なのだから。全地はあなたの前にあるではないか。私から別れて行ってくれないか。あなたが左なら、私は右に行こう。あなたが右なら、私は左に行こう。」

ロトは、自分のためにヨルダンの低地全体を選び、東へ移動しました。さらにロトは低地の町々に住み、ついにソドムに天幕を移します。アブラムはカナンの地に別れて住みました。

絶望の中からの信仰継承 September 16, 2025

「絶望の中からの信仰継承」September 16, 2025

アダムは再び妻を知った。彼女は男の子を産み、その子をセツと名づけた。カインがアベルを殺したので、彼女は「神が、アベルの代わりに別の子孫を私に授けてくださいました」と言った。セツにもまた、男の子が生まれた。セツは彼の名をエノシュと呼んだ。そのころ、人々は主の名を呼ぶことを始めた。創世記4章25−26節

絶望の中にいたアダムとエバ夫妻に、再びスポットライトが当たります。長男のカインが次男のアベルを殺し、カインも両親の元から遠く離れ去り、家の中は二人だけになっていました。次世代への信仰継承を考えるなら、本当に絶望的な状況でした。

けれども、どんな時にも希望はあります。希望を失望に終わらせない神が、アベルの代わりに三男のセツを、アダムとエバ夫妻に授けてくださったのです。そしてセツにもまた、男の子が生まれ、かわいい孫の名はエノシュと呼ばれました。

そのころ、人々は主の名を呼ぶことを始めた、と聖書は語ります。神は、人間の閉塞感という名の絶望を突き破って、信仰を次世代へと継承してくださるのです。