私たちの信仰
<標語聖句>
『さあ、天を見上げなさい。
星を数えることができるなら、
それを数えなさい。
・・・あなたの子孫はこのようになる。』
旧約聖書 創世記15章5節
主の祈り(マタイ福音書6章、ルカ福音書11章参照)
天にましますわれらの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国をきたらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
われらの日用の糧を、今日も与えたまえ。
われらに罪を犯す者を、われらが赦すごとく、
われらの罪をも赦したまえ。
われらを試みにあわせず、
悪より救いいだしたまえ。
国と力と栄えとは、
限りなくなんじのものなればなり。アーメン
十戒(出エジプト記20章、申命記5章参照)
わたしは、あなたをエジプトの国、
奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。
(だから)
1、あなたには、わたしのほかに、
ほかの神々があってはならない。
2、あなたは、自分のために、
偶像を造ってはならない。
3、あなたはあなたの神、
主の御名を、みだりに唱えてはならない。
4、安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。
5、あなたの父と母を敬え。
6、殺してはならない。
7、姦淫してはならない。
8、盗んではならない。
9、あなたの隣人(となりびと)に対し、
偽りの証言をしてはならない。
10、あなたの隣人の家を欲しがってはならない。
使徒信条
われは天地の造り主、全能の父なる神を信ず。
われはそのひとり子、われらの主、
イエス・キリストを信ず。
主は聖霊によりてやどり、おとめマリヤより
生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、
十字架につけられ、死にて葬られ、よみにくだり、
三日目に死人の内よりよみがえり、天にのぼり、
全能の父なる神の右に座したまえり。かしこより
来たりて生ける者と死ねる者とを裁きたまわん。
われは聖霊を信ず。聖なる公同の教会、
聖徒の交わり、罪のゆるし、からだのよみがえり、
とこしえの命を信ず。アーメン
日本同盟基督教団 教憲前文、信仰告白(教憲第1条)
前文
日本同盟基督教団の歴史は、15名の宣教師が横浜に上陸した1891年11月22日に始まる。彼らを派遣したのは、フレデリック・フランソンが設立した北米スカンヂナビアン・アライアンス・ミッションであった。
宣教師と牧師、信徒の協力によって生み出された諸教会は、1922年10月に日本同盟基督協会を組織し、宣教に情熱を注いだ。戦時体制下、宗教団体法施行にともない1941年に日本基督教団第八部に所属したが、戦後同教団を離脱し1948年10月に日本同盟基督教団として新たに出発し今日に至っている。
本教団の存立の目的は「聖書信仰、宣教協力、合議制」における一致のもと、聖霊の力によりキリストの宣教命令に応えて、神の栄光を現すことにある。この目的のために、本教団は、犠牲を惜しまず、積極的な開拓伝道と堅実な教会形成による国内宣教および「日本とアジアと世界」を視野に入れた国外宣教を推進して、地の果てまで福音を宣べ伝える。また、過去の戦争協力と偶像礼拝の罪を悔い改め、世の終わりまでキリストへの信仰を堅持する。
第 1 条 本教団は、聖書の啓示するイエス・キリストを主とする公同教会の一員であり、聖書信仰に立って次の信仰を告白する。
「我らは、聖書において啓示され、使徒信条をはじめとする公同の信条が言い表し、宗教改革において鮮明にされた信仰にもとづいて、次のように信じ、告白する。
1.旧、新約聖書66巻は、すべて神の霊感によって記された誤りのない神のことばであって、神の救いのご計画の全体を啓示し、救い主イエス・キリストを顕し、救いの道を教える信仰と生活の唯一絶対の規範である。
2.神は霊であり、唯一全能の主である。神は永遠に父と子と聖霊の三位一体であって、その本質において同一であり、力と栄光とを等しくする。
3.神は、永遠の御旨により万物を創造し、造られたものを摂理によって統べ治める絶対主権者である。
4.はじめに人は、神のかたちに創造され、神と正しい関係にあった。しかしサタンに誘惑され、神のいましめに背いて罪を犯し、神のかたちを毀損した。それゆえ、すべての人は生まれながら罪と悲惨、死の支配のもとにあり、思いと言葉と行為とにおいて罪ある者である。自分の努力によっては神に立ち返ることができず、永遠の滅びに至る。
5.主イエス・キリストは、父なる神のひとり子であって、聖霊によって宿り、処女マリヤより生まれたまことの神にしてまことの人である。主は我らに代わって十字架にかかり、死んで葬られ、よみにくだり、三日目に死者の中からよみがえり、我らのために贖いを成し遂げ、我らに永遠のいのちを与えた。主は天に昇り、父なる神の右の座に着き、大祭司として今も我らのために執り成している。
6.聖霊は、我らに父と子を示し、罪を認めさせ、赦しを与え、我らを新たに生まれさせ、神の子とする。人は、自分の行いによらず神の恵みにより、主イエス・キリストの贖いのゆえに、キリストを信じるただその信仰によって義と認められる。さらに、聖霊は、助け主、慰め主として我らの中に住み、我らを主と同じかたちに造りかえ、我らに御旨を行わせ、世の終わりまで我らとともにあり、我らをキリストとの共同相続人とする。
7.教会は、聖霊によって召し出された神の民、主イエス・キリストをかしらとするからだであり、羊飼いなる主の御声にのみ聴き従う羊の群れである。地上の教会は、再び来られる主を待ち望みつつ礼拝し、みことばを説教し、聖礼典を執行し、戒規を重んじ、聖霊の力によって全世界に福音を宣べ伝える。
8.終わりの時に、主イエス・キリストはみからだをもって再臨し、生ける者と死せる者とを審判する。主は我らをからだをもってよみがえらせ、我らをご自身の栄光と同じ姿に造りかえ、万物を新たにし、神の国を完成する。アーメン。」
日本同盟基督教団105周年記念大会―横浜宣言―
私たちは、日本同盟基督教団に連なる全ての聖徒たちと共に、宣教105周年のこの記念すべき時に、初期の宣教師たちの霊的遺産を受けとめ、神のみ許しの中で刻んできた教団の宣教の「きのう」、「きょう」、「あす」を見つめ直し、21世紀にむかい、神のみ前に以下の宣言をします。
1.日本同盟基督教団の歩みは、フレデリック・フランソンとその仲間たちによって米国シカゴに設立された「北米 スカンジナビアン・アライアンス・ミッション」から日本に派遣された、スカンジナビア出身の男女15名の宣教師たちの横浜上陸(1891年・明治24年11月23日)をもって開始されました。
2.宣教師たちの来日した時代は、福音宣教にとって、必ずしも好機とは言えませんでした。「大日本帝国憲法」発布(1889年・明治22年)、「教育勅語」発令(1890年・明治23年)など、明治国家の基軸がすえられ、西洋思想排斥や民族回帰思想の強まる時代でした。それでも、宣教の熱意に燃えた宣教師たちは、それまで他教派の踏み込まない「伊豆半島」、「房総半島」、「伊豆七島」、「飛騨」、「アイヌ人地域 」など、日本各地の福音未伝地に向かいました。当時の未伝地伝道は、多大の困難と迫害の伴う生死をかけた宣教であり、強い信仰と忍耐を要し、宣教の基盤をすえるまでには長い年月を必要としました。しかし、宣教師たちは幾多の試練を乗り越え、困難によく耐え、伝道と奉仕の業に努め、各地に教会の基礎を築きました。「日本同盟基督教団」は、こうした霊的遺産と宣教の基盤を受け継いで、今日に至っています。
3.その後、宣教師たちとの間に「日瑞(にっすい)同盟基督協会」の誕生を見、「日本同盟基督協会」(1922年・大正11年)が形成されました。戦時下には、「宗教団体法」の実施に伴い、「日本基督教団」(1941年・昭和16年)設立時に、第八部に合同しました。戦後、その一部の教会は日本基督教団離脱を決意し、新たに「日本同盟基督教団」(1949年・昭和24年)を結成しました。
4.かえりみて、戦時下、特に「昭和15年戦争(1931-1945年)」の間、私たちの教団 は、天皇を現人神(あらひとがみ)とする国家神道を偶像問題として拒否できず、かえって国民儀礼として受け入れ、「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない」・「あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではなら ない。それらに仕えてはならない」との十戒の第一戒と第二戒を守り抜くことができませんでした。さらに近隣諸国の諸教会と積極的に平和をつくり出す者として生きることができず、国家が推進した植民地支配や侵略戦争に加担し、アジア地域の侵略に協力しました。こうして神と隣人の前に、とりわけアジアの人々に、偶像礼拝の強要と侵略の罪を犯し、しかも戦後、この事実に気付かず、悔い改めに至ることもなく、無自覚なままその大半を過ごしました。
近代日本の100年余の歴史に重なる私たちの教団の歴史をかえりみ、私たち教職・信徒は、「信仰と生活の唯一絶対の規範」である神のみことばに、十分聞き従い続けることができなかったことを主のみ前に告白し、悔い改め、神と隣人とに心から赦しをこい求めます。私たちは、今、あらためて、堅く聖書信仰の原理に立ち、聖霊の助けにより、福音にふさわしい内実を伴ったキリストの教会へと変革されることを心から願います。
5.私たちは、21世紀を目前にした歴史的節目にあたり、戦前・戦後の宣教師たちの 「世界的視野に立った宣教」、「犠牲をおしまない救霊の情熱」、「教派形成にとらわれない宣教協力」という優れた霊的遺産を受け継いできた光栄を覚えます。その背後にあったフランソン宣教師のモットー「キリストとの恒常的、自覚的、親密な交わり」 (Constant,Conscious,Communion with JESUS CHRIST)に示される敬虔な信仰姿勢を深く心に刻みます。さらに、初期宣教師たちが、この困難な異教の地盤に鍬をおろし、あえて福音未伝地を目指した宣教精神を受け継ぐことを決意します。
6.宣教105年をかえりみて、私たちの教団の使命とそのあり方は、福音宣教に果敢に生きることにあります。さらに、すべての教会が一致・協力して、キリスト再臨の待望に生き、聖霊の力を頂き、潔い生活を目指し、世の終わりまで、全世界に出て行ってすべての造られた者に福音を宣べ伝えることです。 国内宣教においては、国家が再び危険な道を歩み始めている今日、主から託された見張りの使命を自覚しつつ「1億2千万宣教」に励み、国外宣教においては、全世界の諸国・諸民族間の分裂と混迷と困窮の時代にあって、「マケドニアの叫び」を聞きつつ、 世界宣教の使命を果たします。そのために、教団内の組織と機関を再点検し、活性化させ、個人、家庭、教会、教団の宣教体制をさらに整えてゆきます。
私たちの、21世紀の宣教にむかう祈りは、日本と、アジアと、世界に目をむけ、全世界の神の民と福音を共有できることを喜び、犠牲をいとわず、福音宣教に燃えて輝く群れとなることにあります。ここに、私たち日本同盟基督教団の教職・信徒は、父なる神と、み子イエスと、聖霊のみ前にあって、新たなる前進を図ることを決意し、表明します。
『この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。』(マタイ 24:14)
1996.11.19 MISSION 21 Yokohama
『神の痛みの神学』のキリスト中心的理解ーキリスト者の生活における苦難の積極的意味を求めて-
杉戸キリスト教会
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