杉戸キリスト教会では、日曜朝10時過ぎから賛美と祈りを始めます。
10時半から朝の礼拝(ワーシップ)の時を持っています。
夕礼拝は夜8時から9時です。
どなたでもお集いください。
「BIBLE」カテゴリーアーカイブ
「偏在する神」November 17, 2024
「偏在する神」November 17, 2024
以前、遍在と偏在を書き間違えて、「聖書の神さまは、偏在ではなく遍在です」と、指摘されたことがあった。
どこにでも遍く(あまねく)存在するという遍在(へんざい)と、偏って(かたよって)存在するという偏在(へんざい)。日本語ではどちらも「へんざい」と読むが、意味が反対になる。
これまで私も「聖書の神さまは、偏在ではなく遍在。聖書の神さまは、かたよっておられるのではなく、どこにでもあまねくおられる」と考えていた。ところが、先日読んだ本には正反対のことが書かれてあり、その認識がひっくり返った。
それで今日の礼拝メッセージの題は「偏在する神への賛歌」になっている。朝10時半からと夕8時から、マリアの賛歌と呼ばれる歌が、実は偏在する神への賛歌であることをお話しする予定だ。
マリアは言った。
「私のたましいは主をあがめ、私の霊は私の救い主である神をたたえます。
この卑しいはしために目を留めてくださったからです。
ご覧ください。
今から後、どの時代の人々も私を幸いな者と呼ぶでしょう。
力ある方が、私に大きなことをしてくださったからです。
その御名は聖なるもの、
主のあわれみは、代々にわたって主を恐れる者に及びます。
主はその御腕で力強いわざを行い、
心の思いの高ぶる者を追い散らされました。
権力のある者を王位から引き降ろし、
低い者を高く引き上げられました。
飢えた者を良いもので満ち足らせ、
富む者を何も持たせずに追い返されました。
主はあわれみを忘れずに、
そのしもべイスラエルを助けてくださいました。
私たちの父祖たちに語られたとおり、
アブラハムとその子孫に対するあわれみをいつまでも忘れずに。」
「骨壷は重かった」November 16, 2024
「骨壷は重かった」November 16, 2024
牧師として、多くの方のお葬式の司式をしている。今日は今年6回目の教会でのお葬式。
奥様がクリスチャンとして歩まれていたが、50年間ずっと教会に来られなかったご主人。
けれども、50年目の昨年、ついに祈りが聞かれ、神のことばが出来事になり、奇跡が起きた。
奥様、娘さん、お孫さんと一緒に、3回も教会の礼拝に来られたのだ。
そして年末には信仰告白され、洗礼を受けられた。
今年、私の母方のばあちゃんと私の父も天に召された。
何度もお葬式を司式しているが、父のお葬式の時、おそらく初めて骨壷を持つことになった。
初めて持った骨壷はズッシリと重かった。
The Bible、聖書は語る。
「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」(新約聖書 使徒の働き16章31節)
SUGITO GOSPEL CAFE(青年福音喫茶)のご案内
https://spotifycreators-web.app.link/e/JLuNzM6TxOb
お知らせ
青年福音喫茶、11月15日(金)は19時半からOPENします。
YouTubeにて、これまでの試験配信を視聴できます。
LOVE SUGITO RADIOでも配信しています。
「山登りバイブル」November 15, 2024
「山登りバイブル」November 15, 2024
私は父から山登りの素晴らしさを教えてもらった。それを一言で言うと、「しんどいけど素晴らしい!」。「しんどいけど素晴らしい!」それは人生そのものでもある。
山登りはほんとにしんどい。なんでこんなしんどいことをしているのか、自分で呆れるほどだ。けれども、忍耐強く一歩一歩登っていくと、やがて見晴らしのよい稜線などに出る。さらに進み続けると、ついに頂上にたどり着く。その達成感は、すべてのしんどさを、跡形もなく吹き飛ばす素晴らしさだ。
The Bibleは語る。
「私は山に向かって目を上げる。私の助けは どこから来るのか。私の助けは主から来る。天地を造られたお方から。」(旧約聖書 詩篇121篇1−2節)
山登りにも人生にも、助けがなければたどり着けない高みがある。そびえ立つ山を造り天地を造られたJESUSは、あきらめたくなるほどしんどい上り坂において、その時必要な助けを必ず与えてくださる。
谷川の流れ、鳥のさえずり、その時々に咲く綺麗な花や木々、蝶や虫たち、不思議な形をした岩、吹き渡る風、紺碧の空と湧き上がる白い雲、満天の星空、旅の仲間と神の家族、そして何よりも天地を造られた主に感謝します!
杉戸キリスト教会牧師 野町真理
「死は終わりではない」November 14, 2024
「死は終わりではない」November 14, 2024
この世が楽しければ、生きているうちが花であり、まだ死にたくないと願う。
この世が生き地獄なら、死んだら楽になれると考え、早く死にたいと願う。
いずれにせよ、ある日突然、自分のお葬式の日が来る。
いつか必ず、すべての生きとし生けるものは、死を迎える。
病気で、事故で、怪我で、災害で、戦争で、老衰で、今日も誰かが死を迎えている。
しかしThe Bibleは、「死は終わりではない!」と宣言する。
聖書は、永遠の苦しみではなく永遠のいのちを、あなたが得るために書かれている。
神は、実に、そのひとり子(イエス・キリスト)をお与えになったほどに世(あなた)を愛された。それは御子(JESUS CHRIST)を信じる者(あなた)が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(新約聖書 ヨハネの福音書3章16節)
あなたの上に、あなたを愛してやまない神が、生きる力と生きる希望、そして永遠のいのちを豊かに注いでくださいますように。
杉戸キリスト教会牧師 野町真理
聖書と祈り会2024-11-13 ゼカリヤ書を読む①わたしに帰れ
2024年11月13日の聖書と祈り会メッセージ。ゼカリヤ書を読む①わたしに帰れ。
聖書はゼカリヤ書1章1−21節。
聞くドラマ聖書はこちらhttp://graceandmercy.or.jp。
資料はこちらhttps://flic.kr/p/2qtSmFE