The Bibleとユダヤ人の奥義 January 5, 2025

「The Bibleとユダヤ人の奥義」January 5, 2025

The Bibleには、旧約聖書と新約聖書があるが、
旧約聖書がなければ、新約聖書はない。

理由は、The Bibleを富士山に例えるとわかりやすい。
旧約聖書は、雄大な裾野から五合目までの下半分で、
新約聖書は、五合目から頂上までの上半分だから。

そして、実はユダヤ人がいなければ、
旧約聖書も新約聖書もなくなってしまう。

なぜなら、
旧約聖書はユダヤ人の言葉(ヘブル語)で書かれており、
それを書くように啓示と霊感を受けたのはユダヤ人だから。

そして、
新約聖書でメシアとして来られたJESUSもユダヤ人、
JESUSはユダヤ人の祖アブラハムの子孫、ダビデの子孫だから。

さらに、
JESUSの12弟子もユダヤ人、
ペンテコステ(聖霊降臨祭)によって、
最初のセンターチャーチとされたエルサレム教会も、
JESUSを信じたユダヤ人(メシアニック・ジュー)が核となっていたから。

そして新約聖書のほとんどの手紙を書いたのは生粋のユダヤ人パウロ。

反ユダヤ主義や置換神学が、
いかに反聖書的か、
あなたにもぜひ理解していただきたいと切に祈りつつ。

主はアブラム(ユダヤ人の祖、後のアブラハム)に言われた。
「あなたは、あなたの土地、あなたの親族、あなたの父の家を離れて、
わたしが示す地へ行きなさい。
そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、
あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとする。
あなたは祝福となりなさい。
わたしは、あなたを祝福する者を祝福し、
あなたを呪う者をのろう。
地のすべての部族は、あなたによって祝福される。」
(旧約聖書創世記12章1ー3節)

聖書=聖なる神の書 (HOLY BIBLE) January 4, 2025

「聖書=聖なる神の書 (HOLY BIBLE) 」January 4, 2025

The Bibleは、全部で六十六巻。
旧約聖書三十九巻がヘブル語で書き記され、
新約聖書二十七巻はギリシア語で書き記されている。
(3x9=27と覚えると思い出しやすい)

実はヘブル語には句読点(, . ? !など)がない。
びっくりマーク・エクスクラメーションマーク(!)もない。
だから強調したい時は、
アーメン、アーメン(まことに、まことに)
のように2回繰り返す。
 
最も強調したい時は、3回繰り返す。
これは超レアなケースで、
旧約と新約に1回ずつしか使われていない。
旧約と新約に1回ずつしか使われていない。
旧約と新約に1回ずつしか使われていない。
それは以下のみことば。

「聖なる、聖なる、聖なる、万軍の主。
 その栄光は全地に満ちる。」
(旧約聖書イザヤ書6章3節)

「聖なる、聖なる、聖なる、主なる神、全能者。
 昔おられ、今もおられ、やがて来られる方。」
(新約聖書ヨハネの黙示録4章8節)

3回繰り返されて最も強調されているのは、
いずれも The Bibleの神が、
聖なる、聖なる、聖なる神であるということ。

「聖なる」とは、「比類なき」という意味だ。
比類なき、比類なき、比類なき、主なる神。
あなたのような神はどこにもいない。
あなたこそ最高の神、最善の神、王の王、主の主。
私たちのための聖なる神、
私たちとともにおられる聖なる神、
私たちのために命をかけて、愛しておられる聖なる神。

実に聖書は、そのような聖なる神の書である。
The Bibleを聖書と訳してくださった方に、
心から感謝する。

天地創造は驚くほど科学的 January 2, 2025

「天地創造は驚くほど科学的」January 2, 2025

The Bibleの最初のページには、
地球表面から天地を眺めるという視点から、
壮大な天地創造における地球の原風景が描かれている。

はじめに神が天と地を創造された。
地は茫漠として何もなく、
闇が大水の面の上にあり、
神の霊がその水の面を動いていた。

(旧約聖書 創世記1章1−2節)

宇宙(大気圏外)から地球を眺める視点ではなく、
地球表面から眺めるその視点(パースペクティブ)で見ると、
The Bibleが語る天地創造は、驚くほど科学的だ。

闇を突き破って光が差し込み、夜明けを迎える地球表面。
光によって水が暖められ、水蒸気が大空の上に立ち上る。
地と海が分けられ、地の上に種類ごとに植物が創造される。
植物などによって大気が澄み、地上から天体観測が可能に。
水中生物と空の鳥たちが、種類ごとに創造され、祝福される。
地上の生き物が種類ごとに創造され、
人間が神のかたちとして創造され、祝福される。
6日間の天地創造後、7日目に創造のわざをやめられる。

2025新年礼拝のご案内

2025新年礼拝のご案内

この一年をふり返る December 31, 2024

「この一年をふり返る」December 31, 2024

主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
(旧約聖書詩篇103篇2節)

今日が2024年最後の日。
どのような1年だっただろうか。
今日だけは少し立ち止まって、この一年をふり返り、
主が良くしてくださったことを思い出そう。

以下、私のふり返り。
杉戸キリスト教会では、
6名の方が天に召され、6回お葬式をした。
ペンテコステに宮本俊一宣教師夫妻をお招きできた。
堀井ローレン&アーサー・ホーランド牧師も来てくださった。
5名の洗礼者と2名の転入会者が与えられた。

個人的には、母方のおばあちゃんと私の父が天に召され、
葬儀のために、二度高知へ帰省した。

「牧師になるなら二度と家に帰って来るな!」と勘当され、
婚約者を紹介するために帰っても門前払い、
結婚式にも来てもらえなかった父。

2014年の夏、3歳になった孫を連れて高知に帰った時、
約18年ぶりに父に再会できた。孫の力はすごい。
家族で一緒に、四国の山や海を何度かドライブし、
とても良い時が与えられた。

コロナが始まった頃、父は脳梗塞で入院した。
一度だけ面会出来た時、「お前の神に祈ってくれ」
と父が言った。それが頑固な父の信仰告白。

その後意識障害となり、コロナでずっと面会謝絶。
「主イエスを信じなさい。
そうすればあなたもあなたの家族も救われます。」
の約束を覚えつつ葬儀の時を迎えた。
THANK YOU JESUS!

あなたの上に、主の御霊が豊かに臨まれ、
これまで体験したことのない信仰のステージに導かれますように。

杉戸キリスト教会牧師 野町真理

ボクシングバイブル December 26, 2024

「ボクシングバイブル」December 26, 2024

The Bibleには、ボクシング・拳闘が出てくる箇所がある。

競技をする人は、あらゆることについて節制します。
彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、
私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです。
ですから、
私は目標がはっきりしないような走り方はしません。
空を打つような拳闘もしません。
むしろ、
私は自分のからだを打ちたたいて服従させます。
ほかの人に宣べ伝えておきながら、
自分自身が失格者にならないようにするためです。
(新約聖書コリント人への手紙第一9章25ー27節)

朽ちない冠を受けるために節制する。
目標がはっきりしないような走り方はしない。
自分自身が失格者にならないように、
自分のからだを打ちたたいて服従させる。

ボクサーのようなライフスタイルが語られる中、
「空を打つような拳闘もしません。」と語られる。

空を打つような拳闘。
それは、相手がいるものと仮想して一人で打ち合いの練習をする
シャドーボクシングではない。
試合で相手に当たらないパンチを打つようなボクシングのことだ。
当たらないパンチを打つほど、疲れるだけで相手を倒すことはできない。
カウンターパンチをくらってノックアウトされるのが落ちだ。

実は信仰生活において、
空を打つような拳闘をしているクリスチャンが多いように感じる。
ただがむしゃらにパンチを繰り出すように祈っても、
祈りが応えられることはまれだ。
みこころという的をしっかり見据えて、
具体的な祈りをすることが、空を打たない拳闘につながる。

あなたを背負い続ける神 December 21, 2024

「あなたを背負い続ける神」December 21, 2024

世界中に、数えきれない神々がいる。
日本だけでも八百万(やおよろず)の神々がいると言われる。
それらは人間が造ったり、祭り上げた神々だ。

それに対して、
The Bibleの神は、
人間と万物を造られた唯一無二の神。

人間が造った神と人間を造られた神。
最もわかりやすい両者の比較は、
旧約聖書イザヤ書46章にある。
一言で言うなら、
背負われる神か、背負う神かの違いである。

人間が造った神々、
例えば仏像や仏壇などは背負われる神。
獣や家畜に載せられ、疲れた動物の重荷となって運ばれる。
あるいは人に背負われ、車やトラックなどで運ばれる。

それに対して、人間を造られた神は背負う神。
人間と万物を造られた唯一無二の神は、
以下のように語られる。

ヤコブの家よ、わたしに聞け。
イスラエルの家のすべての残りの者よ。
胎内にいたときから担がれ、生まれる前から運ばれた者よ。
あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。
あなたがたが白髪になっても、わたしは背負う。
わたしはそうしてきたのだ。
わたしは運ぶ。背負って救い出す。
(旧約聖書 イザヤ書46章3−4節)

両者には天と地の違いがある。