礼拝メッセージ「結婚バイブル」

礼拝メッセージ「結婚バイブル」(クリックで聴けます)

聖書箇所:出エジプト記2章16ー22節

16 ミデヤンの祭司に七人の娘がいた。彼女たちが父の羊の群れに水を飲ませるために来て、水を汲み、水ぶねに満たしていたとき、17 羊飼いたちが来て、彼女たちを追い払った。すると、モーセは立ち上がり、彼女たちを救い、その羊の群れに水を飲ませた。18 彼女たちが父レウエルのところに帰ったとき、父は言った。「どうしてきょうはこんなに早く帰って来たのか。」19 彼女たちは答えた。「ひとりのエジプト人が私たちを羊飼いたちの手から救い出してくれました。そのうえその人は、 私たちのために水まで汲み、羊の群れに飲ませてくれました。」20 父は娘たちに言った。「その人はどこにいるのか。どうしてその人を置いて来てしまったのか。食事をあげるためにその人を呼んで来なさい。」21 モーセは、 思い切ってこの人といっしょに住むようにした。そこでその人は娘のチッポラをモーセに与えた。22 彼女は男の子を産んだ。彼はその子をゲルショムと名づけた。「私は外国にいる寄留者だ」と言ったからである。出エジプト記2章16−22節

古利根の水面に映る富士の山

古利根の水面に映る富士の山

古利根の 水面に映る 富士の山
杉戸の町は いと美しき

礼拝メッセージ「陶器師とあわれみの器」ローマ23

礼拝メッセージ「陶器師とあわれみの器」ローマ23(クリックで聴けます)

聖書箇所:ローマ人への手紙9章19ー29節

19 すると、あなたはこう言うでしょう。「それなのになぜ、神は人を責められるのですか。だれが神のご計画に逆らうことができましょう。」20 しかし、人よ。神に言い逆らうあなたは、いったい何ですか。形造られた者が形造った者に対して、「あなたはなぜ、私をこのようなものにしたのですか」と言えるでしょうか。21 陶器を作る者は、同じ土のかたまりから、尊いことに用いる器でも、また、つまらないことに用いる器でも作る権利を持っていないのでしょうか。22 ですが、もし神が、怒りを示してご自分の力を知らせようと望んでおられるのに、その滅ぼされるべき怒りの器を、豊かな寛容をもって忍耐してくださったとしたら、どうでしょうか。23 それも、神が栄光のためにあらかじめ用意しておられたあわれみの器に対して、その豊かな栄光を知らせてくださるためになのです。24 神は、このあわれみの器として、私たちを、ユダヤ人の中からだけでなく、異邦人の中からも召してくださったのです。ローマ人への手紙9章19−24節

本当の神は陶器師に例えられます。そして私たち人間は、最高の陶器師によって形造られた陶器に例えられます。デザイナーの目的に沿って存在する時、私たちにはオンリーワンの存在価値がありました。

主権者なる神は、怒りが注がれるべき器を深くあわれみ、ご自分が怒りを注がれるべき器となられました。私たちをあわれみの器として再創造するために。

礼拝メッセージ「苦しみの意味」ローマ18

礼拝メッセージ「苦しみの意味」ローマ18(クリックで聴けます)

聖書箇所:ローマ人への手紙8章18ー25節

18 今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに
 啓示されようとしている栄光に比べれば、
  取るに足りないものと私は考えます。
19 被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現れを
  待ち望んでいるのです。
20 それは、被造物が虚無に服したのが自分の意志ではなく、
 服従させた方によるのであって、望みがあるからです。
21 被造物自体も、滅びの束縛から解放され、
  神の子どもたちの栄光の自由の中に入れられます。
22 私たちは、被造物全体が今に至るまで、
  ともにうめきともに産みの苦しみをしていることを知っています。
23 そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、
  心の中でうめきながら、子にしていただくこと、
  すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます。
24 私たちは、この望みによって救われているのです。
  目に見える望みは、望みではありません。
  だれでも目で見ていることを、どうしてさらに望むでしょう。
25 もしまだ見ていないものを望んでいるのなら、
  私たちは、忍耐をもって熱心に待ちます。
  ローマ人への手紙8章18-25節

パウロは福音信仰の山頂で語ります。私たち人間だけでなく、神に造られた被造物全体、すなわち宇宙全体が苦しんでいる。今の時のいろいろな苦しみは、産みの苦しみである。苦しみがもたらすものに目を向けるなら、苦しみが取るに足らないものに見えてくる。苦しみがもたらすもの、それは、神の子どもとしての栄光と自由、私たちのからだの贖いである。