キャンドルライトサービスメッセージ「聖夜」

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キャンドルライトサービスメッセージ「聖夜」

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聖書箇所:ルカ福音書2章1-21節

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クリスマス礼拝メッセージ「希望の訪れ」

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クリスマス礼拝メッセージ「希望の訪れ」

聖書箇所:ルカ福音書2章1-21節

「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」ルカ福音書2章10-12節

今日本にないものは何でしょうか。それは希望です。健康問題、生活問題、家庭問題などで、生きる希望、将来に対する希望が持てないので、1998年以降、平均すると毎日80人以上の人々が、この国のどこかで、自らいのちを絶っています。

希望がない所には暗雲が広がります。光さえ暗くなる、閉塞感という名の、気が滅入ってしまう黒雲。それが今、この国を広く覆っています。

けれども、黒雲の向こう側には、澄み切った青空があり、太陽が輝いています。そして黒雲のこちら側で、一人で苦しんでいるあなたの傍らには、共に苦しんでいてくださる希望の神がおられます。どんなに望みが絶たれ、神に見捨てられたとしか思えないような時にも、そこに希望の神がおられます。

そのような希望の神が、肉体をもってこちら側に降誕されたのが、世界で最初のクリスマスでした。希望の訪れのしるしは、「飼葉おけに寝ておられるみどりご」でした。望みは光よりも早く将来を先取りし、やがて暗雲を跡形もなく消し去ります。

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礼拝メッセージ「マリヤの讃歌」

礼拝メッセージ「マリヤの讃歌」

聖書箇所:ルカ福音書1章39-80節

主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸いなことでしょう。ルカ福音書1章45節

不信仰の故に、しかし主によって語られたとおり、祭司ザカリヤは一言もしゃべることができないで、お腹が大きくなる妻エリサベツと共にいました。その時、神の御手に人生をゆだねたマリヤが、ザカリヤ夫妻を訪ねました。聖霊に満たされたエリサベツが、大声でマリヤに語ったのが上記のみことばです。

本当に幸いな人とは、「主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人」だと語られています。「主によって語られたこと」とは、主を恐れかしこむ者、低い者、飢えた者が高く引き上げられ、高ぶっている者、権力ある者、富む者が引き降ろされるという大どんでん返しです。

このことは旧約聖書の時代からずっと語られていることです。マリヤはそれを今、身をもって体験しているのです。主は取るに足らない私のような者に目を留めて、大きなことをして下さった。低い者が高く引き上げられた。だからマリヤは、心から主をあがめて讃歌を歌い、自分は本当に幸せ者だと喜んでいるのです。

主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人が本当に幸いである理由。それは、今すでにその大逆転が始まっていて、将来それが完成に至るからです。人間の不信仰を超えて、全能の神が語られたことは、時が来れば必ず実現するからです。

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礼拝メッセージ「クリスマスの足音」

CHRISTMAS IN SUGITO (JAPAN)

礼拝メッセージ「クリスマスの足音」

聖書箇所:ルカ福音書1章1-38節

ですから、見なさい。これらのことが起こる日までは、あなたは、ものが言えず、話せなくなります。私のことばを信じなかったからです。私のことばは、その時が来れば実現します。」ルカ福音書1章20節

ルカ福音書1章には、祭司ザカリヤと彼の妻エリサベツ、御使い、そしてキリストの母とされるマリヤが登場します。エリサベツは不妊の女でしたが、全能の神によって身ごもり、バプテスマのヨハネの母とされました。ザカリヤ夫婦に子どもが与えられる経緯を通して、全能の神がどのようなお方かを知ることができます。

ザカリヤは不信仰の故に、神の言葉が出来事になるまでものが言えなくなりました。しかし神の約束の言葉は、人間の不信仰を超えて、その時が来れば実現しました。厳密な意味で私たちが信じたとおりにしかならないのなら、全能の神の素晴らしいご計画はだめになるでしょう。この世界のすべてを再創造するという神の壮大なご計画は凍結し、私たちは滅んでいくことでしょう。

しかし全能の神のことばは、人間の不信仰を超えて、時が来れば必ず出来事になるのです。「神のことば」を「出来事」と訳すことが出来る理由がここにあります。喜びと希望をもたらすクリスマスの足音は、人間の不信を超えて近づきます。そして、神を信頼して人生を明け渡すマリヤのような人を、全能の神は豊かに用いられるのです。

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MISSION TRIP TAIWAN「When Love comes to the town 愛が町に来た時」

MISSION TRIP TAIWAN「When Love comes to the town(愛が町に来た時)」

聖書箇所:ルカ福音書19章1-10節

看哪!我站在門外敲門;如果有人聽見我的聲音就開門的,我要進到他那裡去,我要跟他在一起,他也要跟我在一起吃飯。

「お金があれば何でも出来る」、「もっとお金があれば幸せになれる」。 そんなことを私たちは考えてしまうのではないでしょうか? けれども、よく考えてみると、世の中にはお金で買えないものがたくさんあることがわかります。本当の友達、本当に自分を愛してくれる人、本当に自分のことを大切にしてくれる人、健康、平安、安眠などなど…。実は本当に大切なものは、お金では買えないのです。 聖書の中にザアカイという名前の人が登場します。ザアカイは取税人のかしらで金持ちでしたが、孤独の中をひとりぼっちで生きていました。

キセル、わいろ、恐喝、詐欺。現代に生かされている私たちも、お金に関わる事件を毎日のように耳にします。また、保険金目当ての殺人なども起こっています。お金のために、人を裏切り、だまし、殺すという罪にまみれた生き方をしている人が、やはり多いように感じます。「金の切れ目が縁の切れ目」という言葉もありますが、お金目当てで利用し、利用されるだけの付き合いも多くあります。本当の友、本当に自分を受け入れてくれる人、本当に自分を愛してくれる人がいない殺伐とした中で、今も多くの人が、お金のために不幸な人生を歩んでいます。あなたはどうでしょうか?お金持ちでもそうでなくても、本当の幸せに生きる道があることをご存知でしょうか?

イエス・キリストは、あのエリコの町のザアカイの所に来て下さったように、あなたの住んでおられる町、あなたの家にも来てくださるお方です。イエス様は、あなたを捜して救うために、あなたの所に足を運んでくださるお方なのです。 なぜなら、イエス様はあなたを愛しておられるからです。いのちをかけても惜しくないというあなたへの愛を、イエス様はあの十字架の上で最高に表わしてくださいました。イエス様は私たちの罪のために、十字架でいのちを投げ出してくださいましたが、3日目に復活されて、今も生きておられるお方です。

「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」と、イエス様はおっしゃいました。人の子とはイエス様がご自分のことを指してよく使われた言葉です。天地万物を創造されたまことの神であるイエス様は、私たちの造り主です。そして私たち人間は、この造り主なる神様に背を向けて罪の道を歩み続けています。けれどもその造り主なる神、イエス様は、失われた人を捜して救うために、肉体を持った人間となって、あなたの所に来て下さったのです。イエス様がこの世に来て下さった理由は、失われたあなたを捜して救うためだったのです。

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礼拝メッセージ「求め、捜し、たたけ」

礼拝メッセージ「求め、捜し、たたけ」

聖書箇所:ルカ福音書11章1ー13節

求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであっても、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。ルカ福音書11章9-10節

1、みことばに基づいて聖霊を求めなさい

『してみると、あなたがたも、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう。』ルカ11:13

2、みことばに基づいて聖霊を捜しなさい

『…神の御霊によって語る者はだれも、「イエスはのろわれよ。」と言わず、また、聖霊によるのでなければ、だれも、「イエスは主です。」と言うことはできません。』1コリント12:3

『あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。』
1コリント3:16

3、みことばに基づいて天の扉をたたきなさい

真夜中に友人宅の扉をたたき続けるように、天の扉をたたくならば、天の門が大きく開かれ、どんな人にも聖霊が与えられます。朝毎にそのように祈り求めるなら、与えられた御霊に満たされ続け、御霊の実(愛)を結び、御霊の賜物を用いて互いに仕え合い、苦しんでいる友の必要に応えることができます。

礼拝メッセージ「祈りの原点」

礼拝メッセージ「祈りの原点」

聖書箇所:ルカ福音書11章1ー13節

友人が旅の途中、私のうちへ来たのだが、出してやるものがないのだ』ルカ福音書11章6節

経済格差、リストラ、いじめ、うつ、自殺、虐待、酒乱、薬物依存、ドメスティックバイオレンス(DV)、ポルノ、レイプ、中絶、離婚、殺人、高齢化、飢餓、テロ、病気、死。この世界の友は苦しんでいます。

しかし私たち教会は、自分自身を見るときに、やはり友の期待に応えることが出来ない自分の無力さを思い知らされます。私たち教会は、自分の力では期待に応えることができない、無力な存在です。

しかしここに祈りの原点があります。祈りの原点は、友の期待に応えることができない私たちの無力さにあるのです。自分の限界を覚えさせられた時、自分の無力さや愛のなさをいやというほど覚えさせられた時。私たちはその時初めて、祈らずに自分の知恵や能力に頼って何かを進めることを止め、まず神の前に跪いて御声に耳を傾け、必要を具体的に祈り求めることができるのです。

教会は他の誰よりも神に大いに期待されています。教会が世界の光、地の塩として生き、教会を通して、福音が友に宣べ伝えられるという大きな期待を持って、今も神は教会を導いておられます。そして父なる神は、私たちが友の期待に応えていくために、本気になって天の父に祈り求めることを切に願っておられます。