杉戸キリスト教会では、日曜朝10時過ぎから賛美と祈りを始めます。
10時半から朝の礼拝(ワーシップ)の時を持っています。
夕礼拝は夜8時から9時です。
どなたでもお集いください。
あなたの上に、JESUSの愛が豊かに満ちあふれますように。
「ルカ福音書 LUKE」カテゴリーアーカイブ
荒野に導かれて February 9, 2025
「荒野に導かれて」February 9, 2025
韓国のクリスチャンアーティストHisWillの曲に、
「荒野をとおって(광야를 지나며)」という歌がある。
以下に歌詞を引用する。
なぜ闇の中に 深き闇に
ひとりで捨てられたのか
私はなぜ 寂しくなり
低くなり 頼りなくなったのか
荒野 荒野にいる主だけ助けになり
主だけ光になり
主だけ友になれる 荒野
主を離れて とても生きられない
荒野 荒野にいる主に用いられるように
きよめられるように
主に送られた所 荒野
御霊によって 生まれ変えられる
荒野 荒野にいる心を明け渡して
華やかな夢も 主の手にささげる
主の御旨が わが主だけが
私に現れるように
荒野をとおって
実はJESUSも、荒野をとおられた。
神がJESUSを荒野に導かれた目的は、
荒野を通って十字架の死に至る従順を学び、
神のみこころを成し遂げるためだった。
そして神が私たちを荒野に導かれる目的は、
荒野を通って自分を捨ててJESUSに従う従順を学び、
神のみこころを成し遂げるため。
必要なことは一つだけ February 4, 2025
「必要なことは一つだけ」February 4, 2025
ルカの福音書10章に記されているエピソードです。
ある所に、マルタという姉とマリアという妹がいました。
ある日、マルタはJESUSを家に招きました。
マルタ姉さんはおもてなしのために、
忙しく動き回っていました。
妹のマリアはJESUSの足もとに座って、
JESUSのことばに聞き入っていました。
マルタはついにJESUSに怒りをぶつけます。
「主よ。私の姉妹が私だけにもてなしをさせているのを、
何ともお思いにならないのですか!
私の手伝いをするように、おっしゃってください!」
その時、JESUSはこう答えられました。
「マルタ、マルタ、
あなたはいろいろなことを思い煩って、
心を乱しています。
しかし、必要なことは一つだけです。
マリアはその良いほうを選びました。
それが彼女から取り上げられることはありません。」
ほぼ毎日弾き語り中!
マタイの系図とルカの系図の違い February 2, 2025
「マタイの系図とルカの系図の違い」February 2, 2025
1、順番が逆・流れが逆
マタイは、過去からJESUSにくだる系図
ルカは、JESUSから過去にさかのぼる系図
2、女性の名前があるかないか
マタイは、女性の名前も記す
タマル、ラハブ、ルツ、(ウリヤの妻)、マリア
ルカは、男性の名前だけを記す
3、アブラハムより以前の名前があるかないか
マタイは、アブラハムからくだってJESUSに至る
ルカが記した神に至る系図は、
JESUSから過去に遡り、
アブラハムよりもさらに遡り、
最初の人アダム、そして神に至る。
JESUSはユダヤ人だけの救い主ではなく、
全世界のすべての民族の救い主(最後のアダム・神の子)である。
23 イエスは、働きを始められたとき、およそ三十歳で、
ヨセフの子と考えられていた。
ヨセフはエリの子で、さかのぼると、
24 マタテ、レビ、メルキ、ヤンナイ、ヨセフ、
25 マタティア、アモス、ナホム、エスリ、ナガイ、
26 マハテ、マタティア、シメイ、ヨセク、ヨダ、
27 ヨハナン、レサ、ゼルバベル、シェアルティエル、ネリ、
28 メルキ、アディ、コサム、エルマダム、エル、
29 ヨシュア、エリエゼル、ヨリム、マタテ、レビ、
30 シメオン、ユダ、ヨセフ、ヨナム、エルヤキム、
31 メレア、メンナ、マタタ、ナタン、ダビデ、
32 エッサイ、オベデ、ボアズ、サラ、ナフション、
33 アミナダブ、アデミン、アルニ、ヘツロン、ペレツ、ユダ、
34 ヤコブ、イサク、アブラハム、テラ、ナホル、
35 セルグ、レウ、ペレグ、エベル、シェラ、
36 ケナン、アルパクシャデ、セム、ノア、レメク、
37 メトシェラ、エノク、ヤレデ、マハラルエル、ケナン、
38 エノシュ、セツ、アダム、そして神に至る。
(ルカの福音書3章23ー38節)
どうすれば主のさばきは過ぎ越されるか January 19, 2025
「どうすれば主のさばきは過ぎ越されるか」January 19, 2025
JESUSは、私たちと同じように、
人間の赤ちゃんとして生まれ、少年として成長された。
やがて成人されたJESUSは、
エルサレムに向かって最後の旅をする。
JESUSは、過越の祭りのために都に上り、
過越の祭りの食事が最後の晩餐となり、
十字架の上で過越のいけにえとして屠られる。
JESUSこそが、本当の過越のいけにえ、本物の過越の子羊。
JESUSこそが、傷のない、罪のない完全ないけにえ。
JESUSは神のひとり子なので、
ご自分の父(天の父なる神)の家にいるのは当然。
本物の過越の子羊であるJESUSは、十字架でほふられた。
JESUSが自分の罪のためにほふられたと信じるなら、
主のさばきは過ぎ越される。