杉戸キリスト教会の、第一礼拝は日曜朝10時半から、夕礼拝は20時からです。マスクをし、入り口で手の消毒をしてお集いください。午後からは、杉戸キリスト教会のホームページにて礼拝メッセージを配信しています。ご利用ください。現在スマイルキッズ礼拝とJJ礼拝はお休みしています。第一礼拝もしくは夕礼拝にお集いください。一階でも礼拝中継ビデオにて礼拝に参加できます。
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LOVE SUGITO RADIOは、杉戸キリスト教会の「のまちゃん牧師」によるラジオです。杉戸町に関すること、聖書に関することなどを話しています。杉戸町と宮代町を愛するラジオです。80回目の配信。杉戸町長からのメッセージと人生を導く5つの目的11神の親友になる。
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LOVE SUGITO RADIOは、杉戸キリスト教会の「のまちゃん牧師」によるラジオです。杉戸町に関すること、聖書に関すること等について話しています。杉戸町と宮代町を愛するラジオです。41回目の配信。コロナと集中豪雨と地震。今日も有志の学び会で共に学んだ内容をシェアします。「聖書が教えている基本的なこと〜聖書入門のてびき」より、第6課、イエス・キリストはどんなお方?前半。
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2020年 4月26日 第4主日オンライン礼拝式
前 奏
賛 美 讃美歌461 主われを愛す
使徒信条
われは天地の造り主、全能の父なる神を信ず。
われはそのひとり子、われらの主、
イエス・キリストを信ず。
主は聖霊によりてやどり、おとめマリヤより
生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、
十字架につけられ、死にて葬られ、よみにくだり、
三日目に死人の内よりよみがえり、天にのぼり、
全能の父なる神の右に座したまえり。かしこより
来たりて生ける者と死ねる者とを裁きたまわん。
われは聖霊を信ず。聖なる公同の教会、
聖徒の交わり、罪のゆるし、からだのよみがえり、
とこしえの命を信ず。アーメン
主の祈り(マタイ福音書6章、ルカ福音書11章参照)
天にましますわれらの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国をきたらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
われらの日用の糧を、今日も与えたまえ。
われらに罪を犯す者を、われらが赦すごとく、
われらの罪をも赦したまえ。
われらを試みにあわせず、
悪より救いいだしたまえ。
国と力と栄えとは、
限りなくなんじのものなればなり。アーメン
祈 り
賛 美 讃美歌271 いさおなき我を
聖 書 ヨハネ福音書1章19−34節
メッセージ 「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」
賛 美 讃美歌164 こひつじをば
献 金 感謝と献身の告白として
(郵便振替 00110-3-177729 杉戸キリスト教会)
祈 り
頌 栄 讃美歌542 世をこぞりて
祝 祷
後 奏 主に栄光あれ
報 告 その他
見よ、世の罪を取り除く神の小羊(メッセージアウトライン)
2020年 4月26日 第4主日オンライン礼拝式 杉戸キリスト教会から
聖書:ヨハネの福音書1章19−34節
結論:神のかたちであられる主イエスは、世の罪を取り除く神の小羊として、
あなたの身代わりに死なれた。
導入:神のかたちそのものであるイエス・キリストの姿
①十字架に向かわれた神のしもべ(目的概念)
②世の罪を取り除く神の小羊(関係概念)
③第二のアダム(実体概念)
起:私は『主の道をまっすぐにせよ、と荒野で叫ぶ者の声』です。(19ー23節)
19 さて、ヨハネの証しはこうである。ユダヤ人たちが、祭司たちとレビ人たちをエルサレムから遣わして、「あなたはどなたですか」と尋ねたとき、 20 ヨハネはためらうことなく告白し、「私はキリストではありません」と明言した。 21 彼らはヨハネに尋ねた。「それでは、何者なのですか。あなたはエリヤですか。」ヨハネは「違います」と言った。「では、あの預言者ですか。」ヨハネは「違います」と答えた。 22 それで、彼らはヨハネに言った。「あなたはだれですか。私たちを遣わした人たちに返事を伝えたいのですが、あなたは自分を何だと言われるのですか。」 23 ヨハネは言った。「私は、預言者イザヤが言った、『主の道をまっすぐにせよ、と荒野で叫ぶ者の声』です。」
承:その方は私の後に来られる方で、私にはその方の履き物のひもを解く値打ちもありません。(24ー27節)
24 彼らは、パリサイ人から遣わされて来ていた。 25 彼らはヨハネに尋ねた。「キリストでもなく、エリヤでもなく、あの預言者でもないなら、なぜ、あなたはバプテスマを授けているのですか。」 26 ヨハネは彼らに答えた。「私は水でバプテスマを授けていますが、あなたがたの中に、あなたがたの知らない方が立っておられます。 27 その方は私の後に来られる方で、私にはその方の履き物のひもを解く値打ちもありません。」
転:ヨハネは自分の方にイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の子羊。(28ー31節)
28 このことがあったのは、ヨルダンの川向こうのベタニアであった。ヨハネはそこでバプテスマを授けていたのである。 29 その翌日、ヨハネは自分の方にイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の子羊。 30 『私の後に一人の人が来られます。その方は私にまさる方です。私より先におられたからです』と私が言ったのは、この方のことです。 31 私自身もこの方を知りませんでした。しかし、私が来て水でバプテスマを授けているのは、この方がイスラエルに明らかにされるためです。」
結:私はそれを見ました。それで、この方が神の子であると証しをしているのです。(32ー34節)
32 そして、ヨハネはこのように証しした。「御霊が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを私は見ました。 33 私自身もこの方を知りませんでした。しかし、水でバプテスマを授けるようにと私を遣わした方が、私に言われました。『御霊が、ある人の上に降って、その上にとどまるのをあなたが見たら、その人こそ、聖霊によってバプテスマを授ける者である。』 34 私はそれを見ました。それで、この方が神の子であると証しをしているのです。」
結論:神のかたちであられる主イエスは、世の罪を取り除く神の小羊として、あなたの身代わりに死なれた。
ドイツの画家、マティアス・グリューネバルトが描いたイーゼンハイム祭壇画。その中心には、十字架に磔にされているイエス様の姿が描かれています。非常に生々しく、そしてリアルに、十字架で処刑されるということ、十字架の上で死ぬということの恐ろしさが描かれています。
暗く塗られた背景に、十字架の主イエスが浮かび上がっています。太い釘が両手を刺し貫いて打ち込まれた十字架の横木は、イエス様の体重によって大きく曲がっています。全身鞭打たれ、傷だらけの皮膚。よく見ると、身体中に刺のようなものが刺さっています。槍で刺された脇腹。イエス様のお体は裂かれ、釘で刺し貫かれた足元に、血が流れ落ちています。左右に広げられた両腕、その先の両手の指は引きつっています。すでに命が絶たれているのでしょう。茨の冠が被せられた頭を、垂れておられるイエス様の姿。
十字架で死なれたイエス様の左側には、気を失って後ろに倒れかけている白装束の女性がいます。イエス様の母マリアです。そしてその卒倒しているマリアを、しっかりと抱き抱えている使徒ヨハネ。十字架の下にひざまづき、組んだ手を高く上げ、嘆いているマグダラのマリアの姿もあります。
十字架に磔にされて死なれたイエス様の横に、イエス様を指差しているバプテスマのヨハネが描かれている。その指の所には、「あの方は栄え、私は衰えねばなららない」と、バプテスマのヨハネの言葉が書かれています。
そしてバプテスマのヨハネの足元、十字架のイエス様とバプテスマのヨハネの間には、小羊がいけにえとして屠られています。屠られた小羊は十字架を抱えていて、小羊の血が、下に置かれた杯に流れ落ちています。
適用:自分では自分の罪を取り除くことができません。ですから、「あなたの罪を取り除く神の小羊」であられる主イエス・キリストを、ぜひ見てください!そして、あなたも主イエス・キリストを信じ受け入れてください。イエス様があなたの罪を取り除いてくださいます。
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2020年 4月19日 第3主日オンライン礼拝式
前 奏
賛 美 讃美歌154 地よ声高く
使徒信条
われは天地の造り主、全能の父なる神を信ず。
われはそのひとり子、われらの主、
イエス・キリストを信ず。
主は聖霊によりてやどり、おとめマリヤより
生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、
十字架につけられ、死にて葬られ、よみにくだり、
三日目に死人の内よりよみがえり、天にのぼり、
全能の父なる神の右に座したまえり。かしこより
来たりて生ける者と死ねる者とを裁きたまわん。
われは聖霊を信ず。聖なる公同の教会、
聖徒の交わり、罪のゆるし、からだのよみがえり、
とこしえの命を信ず。アーメン
主の祈り(マタイ福音書6章、ルカ福音書11章参照)
天にましますわれらの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国をきたらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
われらの日用の糧を、今日も与えたまえ。
われらに罪を犯す者を、われらが赦すごとく、
われらの罪をも赦したまえ。
われらを試みにあわせず、
悪より救いいだしたまえ。
国と力と栄えとは、
限りなくなんじのものなればなり。アーメン
祈 り
賛 美 讃美歌243 ああ主のひとみ
聖 書 ヨハネ福音書1章1−18節
メッセージ 「闇に打ち勝った光」
賛 美 讃美歌532 ひとたびは死にし身
献 金 感謝と献身の告白として
(郵便振替 00110-3-177729 杉戸キリスト教会)
祈 り
頌 栄 讃美歌542 世をこぞりて
祝 祷
後 奏 主に栄光あれ
報 告 その他
闇に打ち勝った光(メッセージアウトライン)
2020年 4月19日 第3主日オンライン礼拝式 杉戸キリスト教会から
聖書:ヨハネの福音書1章1−18節
結論:闇に打ち勝った光とは、イエス・キリストである。天地の創造主であり、人となって世に来られ、拒絶され、よみがえられ、父のふところにおられるひとり子の神、イエス・キリストを信じ受け入れるなら、神の子どもとなる特権が与えられる。
導入:イースターの喜びの中で、新約聖書は書かれた
もしイースターがなければ(イエス・キリストの復活がなければ)
1、世界中にキリスト教会が建てられることはなかった。
2、礼拝の日が土曜日から日曜日に変わることはなかった。
3、新約聖書は書かれなかった。
実は、イースターの喜びの中で、新約聖書は書かれた!よみがえられたイエス・キリストに出会った人たちの喜びの証言。それが新約聖書!今日はそんな新約聖書、ヨハネの福音書1章から、「闇に打ち勝った光」という題でメッセージを語ります。
起:光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。(1ー4節)
1 初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。2 この方は、初めに神とともにおられた。3 すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもなかった。4 この方にはいのちがあった。このいのちは人の光であった。5 光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。
闇とは何か? 罪と死と悪魔
①闇とは、光を憎み、光を恐れて光である神に背を向ける罪。
ヨハネ3:19ー20:そのさばきとは、光が来ているのに、自分の行いが悪いために、人々が光よりも闇を愛したことである。悪を行う者はみな、光を憎み、その行いが明るみに出されることを恐れて、光の方に来ない。
②闇とは、死の影の地・死。陽の当たらない場所、一筋の光も差し込んでこない場所、まったく先が見えないお先真っ暗な状況、明けない夜、出口の見えないトンネル、絶望と孤独、そして死。
マタイ4:16:闇の中に住んでいた民は大きな光を見る。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が昇る。
③闇とは、私たちから視界を奪うもの。どこに向かっているのか分からない状態。そして、何も見えない闇の中で、私たちに襲いかかるサタン(悪魔)の支配と力。
ヨハネ8:12:イエスは再び人々に語られた。「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます。」
ヨハネ12:35−36:そこで、イエスは彼らに言われた。「もうしばらく、光はあなたがたの間にあります。闇があなたがたを襲うことがないように、あなたがたは光があるうちに歩きなさい。闇の中を歩く者は、自分がどこに行くのか分かりません。 36 自分に光があるうちに、光の子どもとなれるように、光を信じなさい。」
ヨハネ12:46:わたしは光として世に来ました。わたしを信じる者が、だれも闇の中にとどまることのないようにするためです。
使徒26:18:それは彼らの目を開いて、闇から光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、こうしてわたしを信じる信仰によって、彼らが罪の赦しを得て、聖なるものとされた人々とともに相続にあずかるためである。』
コロサイ1:13:御父は、私たちを暗闇の力から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました。
承:彼は光ではなかった。ただ光について証しするために来たのである。(6ー8節)
6 神から遣わされた一人の人が現れた。その名はヨハネであった。7 この人は証しのために来た。光について証しするためであり、彼によってすべての人が信じるためであった。8 彼(バプテスマのヨハネ)は光ではなかった。ただ光について証しするために来たのである。
転:私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。(9−14節)
9 すべての人を照らすそのまことの光が、世に来ようとしていた。10 この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。11 この方はご自分のところに来られたのに、ご自分の民はこの方を受け入れなかった。12 しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。13 この人々は、血によってではなく、肉の望むところでも人の意志によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。14 ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。
結:父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。(15ー18節)
15 ヨハネはこの方について証しして、こう叫んだ。「『私の後に来られる方は、私にまさる方です。私より先におられたからです』と私が言ったのは、この方のことです。」16 私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けた。17 律法はモーセによって与えられ、恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからである。18 いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。
結論:闇に打ち勝った光とは、イエス・キリストである。天地の創造主であり、人となって世に来られ、拒絶され(十字架の死)、よみがえられ、父のふところにおられるひとり子の神、イエス・キリストを信じ受け入れるなら、神の子どもとなる特権が与えられる。
適用:私たちは自分の力では、絶対に闇(罪と死と悪魔)に打ち勝つことはできません。だから、十字架の死と復活によって、闇(罪と死と悪魔)に打ち勝つことができた光、イエス・キリストを信じ受け入れる必要があります。あなたもイエス・キリストを信じ受け入れ、神の子どもとされ、イエス・キリストの力によって、闇に打ち勝つ者になられませんか?