礼拝メッセージ「教会を守る」

礼拝メッセージ「教会を守る」

聖書箇所:ヨハネ福音書17章

わたしはもう世にいなくなります。彼らは世におりますが、わたしはあなたのみもとにまいります。聖なる父。あなたがわたしに下さっているあなたの御名の中に、彼らを保ってください。それはわたしたちと同様に、彼らが一つとなるためです。
ヨハネ福音書17:11

主イエスは、十字架で死なれる前夜、ご自分の血をもって買い取る神の教会を守るために、真剣に祈られました。神にとって、教会以上に大切なものはこの地上に存在しません。神はこの教会のために、最も高い代価を支払われました。あなたが所属しているキリストの教会を守るために、主イエスは、以下のような具体的指針を語っておられます。

1、 お互いの違いにではなく、共通点に注目する

2、現実的な期待を持つ

3、批判するのではなく、励ます

4、噂話に耳を貸さない

5、神の方法で争いを解決する

6、あなたの牧師や指導者たちを支える

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08 Father’s Day 父の日歓迎礼拝メッセージ「神の親友」

08 Father's Day

礼拝メッセージ「神の親友」

聖書箇所:ヨハネ福音書15章1ー27節

人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。わたしがあなたがたに命じることをあなたがたが行なうなら、あなたがたはわたしの友です。ヨハネ福音書15:13-14

「What a friend we have in Jesus」という賛美歌は、日本では「いつくしみ深き(讃美歌312番)」や「罪とがを荷のう(聖歌607)」という名で親しまれています。ジョセフ・スクライブンという方が、深い悲しみの中で詞を書き、チャールズ・C・コンバースが作曲しました。この歌は、深い悲しみに打ちひしがれる時にも、心躍る喜びの時にも、歌うことの出来る曲です。以下、野町試訳。

『なんと素晴らしい友だろうか、イエス様あなたは!私たちのすべての罪や悲しみを、背負ってくださるのだから。なんと素晴らしい特権だろうか、祈りのうちに、神にすべての悩みを打ち明けることができるとは!

ああ。なんとよく私たちは心を騒がせてしまい、なんとしばしば、味わう必要のない痛みを味わうのか。すべては、私たちが祈りのうちに、神にすべての悩みを打ち明けないことによるのだ。』

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礼拝メッセージ「神の喜びのために」

礼拝メッセージ「神の喜びのために」

聖書箇所:ヨハネ福音書4章1ー26節

しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。ヨハネ福音書4:23-24

サマリヤの女は、拝むように異性を慕い求めた結果、井戸で水をくむにも人目を避けていました。しかしイエス・キリストとの出会いが、彼女の人生を変えました。砂漠のように渇いていた彼女は、ついにオアシスを見出すことができたのです。

主イエスは言われます。『わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。』、『だれでも渇いているなら、わたしのもとにきて飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。』

主イエスのもとにきて、キリストが与える水を飲む。その時、生ける水の泉、愛の源である御霊が与えられ、神にあって憩い、満ち足り、心から神を喜び慕う者とされます。神が喜んでくださる、霊とまことによる真の礼拝者とは、そのような人のことです。

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礼拝メッセージ「すべては神から始まる」

礼拝メッセージ「すべては神から始まる」

聖書箇所:ヨハネ福音書1章1-18節

すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。ヨハネ福音書1章3節

無神論者として有名なバートランド・ラッセルは、以下のような驚くべき結論に達しました。『神がおられると仮定しない限り、人生の目的を問うことには何の意味もない。』

無神論の共産主義統治下で育ったロシアの小説家、アンドレイ・ビトフも、『神がおられないなら人生には何の意味もない』という言葉によって、光に向かって歩み始めることが出来たと語っています。

聖書のみことばは、あなたの人生に意味と目的をもたらす、神からの希望のメッセージです。天地万物を創造された唯一の創造主なる神がおられ、すべてはこの方の作品だと聖書は語ります。

あなたは、自分で産まれ、自分で大きくなり、自分で生きてきたかのような顔をしているかもしれません。しかしそうではないと聖書は語ります。

あなたは神によって造られたユニークな神の作品です。神は、人生を導く5つの目的のためにあなたを造り、生かしておられます。

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教会創立記念礼拝メッセージ「原点に立ち返って」

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教会創立記念礼拝メッセージ「原点に立ち返って」

聖書箇所:ルカ福音書10:38-42

「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」ヨハネ福音書7:37-38

信仰の原点は、神の御言葉に聴く祈りにあります。

神の御言葉に聴く人は、山からの豊かな流れ込みを受けている湖のようです。主イエスの足もとに座って、静かに御言葉に聴き入るマリヤの心は、いのちの水で豊かに潤されていったことでしょう。

神の御言葉に聴かない人は、流れ込みを受け入れない湖のようです。しばらくは、蓄えた水を外に注ぎ出すことができます。しかし受けることを止めて流し続ければ、どんなに豊かな水瓶も、やがて枯れてしまいます。

受けることを止めて流し続ける。これがマルタの心の状態でした。最初は喜んでイエス様をもてなしていましたが、すぐにその心は渇いてしまいました。熱心に忙しく動き回っている姿とは裏腹に、義務感だけがあり、不満やいらだちで一杯になって、疲れを覚えたことでしょう。

しかしもしマルタが、忙しく動いていても休憩の時を持って、主イエスの御言葉に耳を傾けたとしたら、どうでしょうか。たとえ忙しい中にあっても、不平不満で一杯になることはなかったでしょう。そして、喜びと感謝の心をもって、最後までイエス様に喜んで頂けるおもてなしをすることができたことでしょう。