振り向くとそこにおられるJESUS November 24, 2024

「振り向くとそこにおられるJESUS」November 24, 2024

「見よ、処女が身ごもっている。そして男の子(JESUS)を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」 それは、訳すと「神が私たちとともにおられる」という意味である。(新約聖書マタイの福音書1章23節)

The Bibleが語る悔い改めとは、後悔することではない。
悔い改め(メタノイア)とは、向きを変えること、方向転換。
JESUSに背を向けていた人が、JESUSの方に方向転換する。それが悔い改めだ。

JESUSは、振り向くとそこにおられるリアルな方。
だからクリスチャン作家の三浦綾子さんは、
「孤独のとなりに神はいる」と表現した。

JESUSに背を向けて生きると、
地球を一周するほど遠くにJESUSを感じてしまう。
けれどもJESUSは、振り向くとすぐそこに、いつもおられる。
だから大丈夫。あなたは、決して一人じゃないから。

見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。(新約聖書マタイの福音書28章20節)

恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。(旧約聖書イザヤ書41章10節)

神は われらの避け所 また力。苦しむとき そこにある強き助け。(旧約聖書詩篇46篇1節)

目から鱗が落ちた人 November 23, 2024

「目から鱗が落ちた人」November 23, 2024

「目から鱗が落ちる」とか、「目からうろこ」という表現がある。
実はThe Bible・聖書の中に起源がある。
その部分、新約聖書、使徒の働き9章17ー18節を以下に記す。

そこでアナニアは出かけて行って、その家に入り、サウロの上に手を置いて言った。「兄弟サウロ。あなたが来る途中であなたに現れた主イエスが、私を遣わされました。あなたが再び見えるようになり、聖霊に満たされるためです。」するとただちに、サウロの目から鱗のような物が落ちて、目が見えるようになった。そこで、彼は立ち上がってバプテスマを受け、…

目から鱗が落ちたのは、サウロ、別名パウロという人物。
彼はJESUSをメシア・キリストと信じる者を熱心に迫害していた。
しかし復活されたJESUSに待ち伏せされ、
天からの光によって地に打ち倒され、目が見えなくなった。
「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」とJESUSは問われた。

やがてサウロのもとにアナニアという人物が遣わされる。
アナニアがサウロの上に手を置いて祈った時、
サウロの目から鱗のような物が落ち、目が見えるようになった。
サウロは、JESUSこそがメシア・キリストであることを確信し、
バプテスマ・洗礼を受け、JESUSの証人として走り始める。

JESUSをメシアとして信じたユダヤ人をメシアニック・ジューと呼ぶが、
メシアニック・ジューは、裏切り者として、ユダヤ人から迫害を受ける。
しかし目から鱗が落ちたユダヤ人は、
JESUS(ユダヤ名はイエシュア)をメシアとして信じ受け入れる。

パウロは、ユダヤ人同胞に迫害され、終始いのち狙われても、
同胞が救われることを捨て身で願いつつ、
異邦人の救いのために、地中海沿岸諸国で豊かに用いられた。
彼は小アジアやヨーロッパにJESUSの福音を届ける最初の宣教師とされた。

使徒の働きの中に、サウロ(パウロ)に関することが多く記録されている。
そして新約聖書として収められた多くの手紙は、パウロによる。
彼はキリストの奴隷、罪人のかしらとして、
獄中でも喜び祈りつつ手紙を書き続け、やがてローマで殉教した。

「キリスト・イエスは罪人を救うために世に来られた」ということばは真実であり、そのまま受け入れるに値するものです。私(パウロ)はその罪人のかしらです。(テモテへの手紙第一1章15節)

「お金が神さまから、JESUSが神さまへ」November 22, 2024

「お金が神さまから、JESUSが神さまへ」November 22, 2024

イエスはそこから進んで行き、マタイという人が収税所に座っているのを見て、「わたしについて来なさい」と言われた。すると、彼は立ち上がってイエスに従った。 (マタイ福音書9章9節)

マタイという人が収税所に座っていた。彼は取税人。
ローマ帝国に雇われ、ユダヤ人同胞から税金を多めに徴収する。
罪人、ローマの犬、売国奴と同胞からののしられても、彼はお金を選んだ。

そんな取税人マタイが、空しく収税所に座っているのを見て、
JESUSは彼を見つめながら声をかけられた。
「わたしについて来なさい」
するとマタイは、立ち上がってJESUSの弟子になった。

お金が神さまから、JESUSが神さまへと変えられたマタイ。
彼はJESUSの12弟子の一人とされ、やがてマタイの福音書を書き記した。
取税人マタイが記した福音書には、お金に関することがたくさん書かれている。
神はそれぞれの才能・タレントを聖別して、豊かに用いられる。

JESUSは今、あなたを見つめながら声をかけておられる。
「わたしについて来なさい」

「即戦力にならない人がフロンティアに」November 21, 2024

「即戦力にならない人がフロンティアに」November 21, 2024

昔も今も、求められることの一つは「即戦力」だろう。
切羽詰まって余裕がないから、すぐに動ける働き人を切に求める。
しかし、最初から上手にできる人などいない。

The Bibleには旧約聖書と新約聖書があるが、
新約聖書にThe Gospel・福音書と呼ばれる4つの特別な書物がある。
2000年ほど前、全く新しいジャンルの書物として書かれた。

取税人マタイが書いたマタイの福音書、
へたれ青年マルコが書いたマルコの福音書、
医者ルカが書いたルカの福音書、
そして雷の子が書いたヨハネの福音書。

どれが最初に書かれた福音書だろうか?
実は即戦力にならなかったへたれ青年マルコが、
一番最初に福音書を書き記した。

彼はマルコ・ヨハネと呼ばれていた人物だが、
使徒の働きを読むと、あのパウロでさえ、
「あいつは使えないから切り捨てる!
 あんなやつとは二度と一緒に行動できない!」
と評価を下した人物であった。

バルナバは、マルコと呼ばれるヨハネを一緒に連れて行くつもりであった。しかしパウロは、パンフィリアで一行から離れて働きに同行しなかった者は、連れて行かないほうがよいと考えた。こうして激しい議論になり、その結果、互いに別行動をとることになった。バルナバはマルコを連れて、船でキプロスに渡って行き、…(使徒の働き15章37ー39節)

しかしパウロとの大喧嘩の後、バルナバがマルコを引き受け、
別行動の中、ゆっくりと彼を育てていったのだ。
後にパウロも悔い改めて、
「マルコは役に立つ人物だから連れて来てほしい」と再評価するに至った。
即戦力は、じっくりと時間をかけて熟成する。

ルカだけが私とともにいます。マルコを伴って、一緒に来てください。
彼は私の務めのために役に立つからです。(テモテへの手紙第二4章11節)

「聖路加国際病院の聖路加とは誰か?」November 20, 2024

「聖路加国際病院の聖路加とは誰か?」November 20, 2024

お世話になっている方が、杉戸キリスト教会の中にもおられる聖路加国際病院。
今日は、キリスト教にあまりなじみのない日本人が抱く、
この病院に関する素朴な疑問、
「聖路加国際病院の聖路加とは誰か?」に答えたい。

これを記す理由は、聖路加国際病院のWEBページを閲覧しても、
この素朴な疑問に対する答えを、なかなか見つけることができなかったから。
(サイト内検索で病院名と検索すると、小さく発見できました)
かつて私がそうであったように、The Bible・聖書をほとんど読まず、
教会にもほとんど行ったことのない日本人は、
聖路加という人物について、よく知らないと思われるので。

The Bibleには、旧約聖書と新約聖書があるが、
聖路加は新約聖書の中に出て来る。
日本語訳聖書には、ルカとカタカナで記されているが、
漢文聖書、中国語聖書には、路加と漢字で記されている。

まず新約聖書コロサイ人への手紙4章14節。
これが決定的な答えを提供している。

「愛する医者のルカ、
それにデマスが、あなたがたによろしくと言っています。」

とルカが医者であったことが明記されている。

実に聖路加国際病院の聖路加とは、医者でありキリスト信者であった人物で、
キリスト教精神に基づく全人的医療の先駆者であった故に、
聖路加と呼ばれるようになった人物なのだ。

ちなみに新約聖書の中に、かなりの大作としてルカの福音書があり、
その続編として使徒の働きがある。いずれも聖路加が記した文章である。

キリスト教の愛の心が
人の悩みを救うために働けば
苦しみは消えて その人は生まれ変わったようになる
この偉大な愛の力をだれもがすぐわかるように
計画されてできた生きた有機体がこの病院である
ルドルフ・B・トイスラー(1933)聖路加国際病院創立者

聖路加国際病院のWEBページ

「雷の子が愛の人に」November 19, 2024

「雷の子が愛の人に」November 19, 2024

ゼベダイの子ヤコブと、ヤコブの兄弟ヨハネ、この二人にはボアネルゲ、すなわち、雷の子という名をつけられた。(新約聖書 マルコの福音書3章17節)

JESUSの12弟子の一人にヨハネ(JOHN)がいる。
JESUSは、彼にボアネルゲというニックネームをつけた。
ボアネルゲとは、雷の子という意味だ。
すごく短気で、すぐにブチキレて雷を落とす。
瞬間湯沸かし器のように、すぐ怒り心頭に発する。
たぶん彼の父親に似てしまったのだろう。

JESUSは、そのようなヨハネを12弟子の一人として特別愛され、
約3年間、一緒に連れ歩いて訓練された。
十字架行進を続けているアーサー・ホーランド牧師のような、
ウーバー・チャペル、動く神学校だ。

JESUSが逮捕された時には、ヨハネも逃げてしまった。
しかしヨハネは、JESUSが十字架で苦しんでいる時、
JESUSの母マリアのそばでじっと見守っていた。
その時JESUSは、母マリアをヨハネに託された。

3日目に復活されたJESUSに再会し、
ペンテコステに約束の真理の御霊・聖霊・助け主を受けたヨハネ。
彼は無学な普通の人、荒削りの漁師であったが、
権力によらず、能力によらず、神の霊によって、
大胆なJESUSの証人として豊かに用いられていった。

やがてヨハネは、ヨハネの手紙第1〜第3、ヨハネの福音書、
そしてヨハネの黙示録を書き記した。
彼が記した文章には、「愛」という言葉が数え切れないほど使われている。

かつて活版印刷でヨハネの手紙を印刷する際、「愛」という活字が足りなくなり、
「愛がたりません!」と印刷屋が叫んだと言われる。
JESUSに愛され続けた結果、雷の子が愛の人に変えられ、
それほどに「愛が満ちあふれた!」のだ。

時間がかかるが、JESUSの愛を受け続けるなら、
あなたも私も、やがて愛の人に変えられるという希望がここにある。

「心のまんなかにJESUSを迎える」November 18, 2024

「心のまんなかにJESUSを迎える」November 18, 2024

あなた必死に頑張ったけど、自分で自分の心をきれいにできないでしょ?どうにか外側はきれいにしても、どう頑張ったって、自分で自分の内側を変えることはできないでしょ?

そしてJESUS(イエス・キリスト)は、あなたの心の扉をノックしながら言われる。

「見よ、わたしは戸の外に立ってたたいている。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしはその人のところに入って彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」(新約聖書 ヨハネの黙示録3章20節)

今もしあなたが、JESUSを本当に信頼し、誰にも開いたことのない心の扉を開け、心のまんなかにJESUSを迎えるなら、あなたは変えられる。リアルに内側から、すべてが新しく変えられる。暗闇から光に、絶望から希望に、死からいのちに。

むなしさ、ねたみ、孤独、悲しみ、怒り、憎しみ、敵意、殺意。あなたの心が、どんなに暗くて臭くて汚くても大丈夫。家畜小屋に生まれてくださったJESUSは、あなたの心のまんなかに住むために、降誕されたのだから。

もし今あなたが、JESUSを信頼し、心の戸を開け、心のまんなかにJESUSを迎えるなら、特殊清掃員のようなJESUSが、すべてを新しく綺麗にしてくださる。あなたの心の中が、おいしく食事ができる場所、明るくて、良い香りがして、きれいな心に変えられる。

むなしさ、ねたみ、孤独、悲しみ、怒り、憎しみ、敵意、殺意。それら古きものはすべて過ぎ去り、見よ、すべてが新しく変えられる。

ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。(新約聖書 コリント人への手紙第二5章17節)