保証としての聖霊 オンライン礼拝メッセージ2020-06-14

週報2020-06-14

メッセージアウトライン2020-06-14

聖霊による証印 オンライン礼拝メッセージ2020-06-07

週報2020-06-07

メッセージアウトライン2020-06-07

聖霊の祝福をあなたに ペンテコステ・オンライン礼拝2020-05-31

動画(YouTube)によるオンライン礼拝はこちらです。

音声(LOVE SUGITO RADIO)によるオンライン礼拝はこちらです。

式次第は以下の通りです。

2020年 5月31日 第5主日ペンテコステ・オンライン礼拝式・国外宣教デー

前   奏
賛   美  讃美歌501 いのちのみことば

使徒信条
 われは天地の造り主、全能の父なる神を信ず。
 われはそのひとり子、われらの主、
 イエス・キリストを信ず。
 主は聖霊によりてやどり、おとめマリヤより
 生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、
 十字架につけられ、死にて葬られ、よみにくだり、
 三日目に死人の内よりよみがえり、天にのぼり、
 全能の父なる神の右に座したまえり。かしこより
 来たりて生ける者と死ねる者とを裁きたまわん。
 われは聖霊を信ず。聖なる公同の教会、
 聖徒の交わり、罪のゆるし、からだのよみがえり、
 とこしえの命を信ず。アーメン

主の祈り(マタイ福音書6章、ルカ福音書11章参照)
 天にましますわれらの父よ。
 願わくは御名をあがめさせたまえ。
 御国をきたらせたまえ。
 みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
 われらの日用の糧を、今日も与えたまえ。
 われらに罪を犯す者を、われらが赦すごとく、
 われらの罪をも赦したまえ。
 われらを試みにあわせず、
 悪より救いいだしたまえ。
 国と力と栄えとは、
 限りなくなんじのものなればなり。アーメン

祈   り  
賛   美  讃美歌499 みたまよくだりて
聖   書  使徒の働き2章1−21節
メッセージ 「聖霊の祝福をあなたに」
賛   美  讃美歌500 みたまなるきよき神
献   金  感謝と献身の告白として
祈   り  
頌   栄  讃美歌543 主イエスのめぐみよ
祝   祷  
後   奏  主に栄光あれ
報   告  その他

週報2020-05-31

メッセージアウトラインは以下の通りです。

メッセージアウトライン2020-05-31

#聖霊の祝福をあなたに
2020年 5月31日 第5主日 ペンテコステ礼拝式・国外宣教デー 杉戸キリスト教会から
聖書:使徒の働き2章1−21節
#結論:ペンテコステの時、神の言葉が出来事となり、誰でも求める者には聖霊が与えられる時代が訪れた。

#導入:ペンテコステ(聖霊降臨まつり)と国外宣教デー
今日はペンテコステです。ペンテコステをキリスト教の立場から日本語に訳しますと、「聖霊降臨まつり」です。主イエス・キリストによって約束されていた聖霊が、降臨、つまり天から降りてこられた。そして、祈り続け、待ち望んでいた弟子たちの上に、ついに聖霊、聖なる神の霊が、力強く臨まれた。

ペンテコステをユダヤ教の立場から日本語に訳しますと、「五旬節」あるいは「7週のまつり」です。旧約聖書に記されていることですが、大麦の収穫の、初穂の束をささげてから50日目。すなわち、過越のまつりの後の最初の日曜日から数えて50日目に祝われるので、五旬節、とか7週の祭。あるいは、初穂の日とも呼ばれている。小麦の収穫の初穂を神に捧げる日。

過越節の後の最初の日曜日、これは、キリスト教の立場で考えるならイースター(イースター:春分の後の最初の満月の日の次の日曜日)。イースターの日曜日から数えて50日目。奇しくも私たち杉戸キリスト教会では、4月12日、イースターの日曜日から集まる礼拝を控え、7週、つまり49日間過ごして参りました。そして今日が50日目!まさにペンテコステ!

復活されたイエス様の約束と導きに聞き従い、エルサレムを離れないで、父の約束、聖霊のバプテスマ、聖霊降臨を求め続けていた人々の祈りが、ついに応えられ、約束の聖霊が降臨された日。一人一人が聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、他国のいろいろなことばで話し始めた日。宣教師泣かせの外国語習得、言葉の壁をゆうゆうと超えて、福音、良き訪れのメッセージが、様々な外国語で語られた日。それがペンテコステに起こった、歴史的出来事。

私たち杉戸キリスト教会が所属する、日本同盟基督教団では、毎年ペンテコステの日を国外宣教デーとして、世界宣教を覚え、宣教師や諸外国のことを覚えます。その理由は、今日の聖書の箇所を見るとよくわかります。

今日の聖書の箇所は、新約聖書の使徒の働き2章、1節から21節。使徒の働き=ルカの福音書の続編。ルカの福音書が上巻で、使徒の働きが下巻。同じルカが、聖霊に導かれて書き記した、イエス・キリストの福音と世界宣教の物語。物語と言っても作り話ではなく実際にあったストーリー。宛先はいずれもテオフィロという名前の方。ルカの福音書はエルサレムに向かう旅。そして使徒の働きは、エルサレムから地の果て、エルサレムから全世界に向かう旅!そしてこの旅は現在進行形!使徒の働きは28章までしか記されていませんが、世界中に植えられたキリスト教会が、29章以降を実際に旅している。ルカは、聖霊の降臨を、特別な意味で、福音の世界宣教の準備、始まりと考えていた。

いつものように、起承転結に分けて耳を傾けましょう。

#起(1-4節):皆が聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、他国のいろいろなことばで話し始めた。
1 五旬節の日になって、皆が同じ場所に集まっていた。2 すると天から突然、激しい風(霊)が吹いて来たような響きが起こり、彼らが座っていた家全体に響き渡った。 3 また、炎のような舌(言葉を話す器官)が分かれて現れ、一人ひとりの上にとどまった。4 すると皆が聖霊に満たされ、御霊(聖霊)が語らせるままに、他国のいろいろなことばで話し始めた。

聖霊は、言葉の壁・文化の壁を超えて、福音を語らせてくださる。福音宣教は異文化コミュニケーション。

#承(5-13節):それなのに、あの人たちが、私たちのことばで神の大きなみわざを語るのを聞くとは。
5 さて、エルサレムには、敬虔なユダヤ人たちが、天下のあらゆる国々から来て住んでいたが、 6 この物音がしたため、大勢の人々が集まって来た。彼らは、それぞれ自分の国のことばで弟子たちが話すのを聞いて、呆気にとられてしまった。 7 彼らは驚き、不思議に思って言った。「見なさい。話しているこの人たちはみな、ガリラヤの人(無学な田舎者)ではないか。 8 それなのに、私たち(離散して外国で生まれ育ったユダヤ人=ディアスポラ)それぞれが生まれた国のことばで話を聞くとは、いったいどうしたことか。 9 私たちは、パルティア人、メディア人、エラム人、またメソポタミア(エルサレムから北東の諸国)、ユダヤ(エルサレム)、カパドキア、ポントスとアジア、 10 フリュギアとパンフィリア(北西の小アジア諸国)、エジプト、クレネに近いリビア地方などに住む者(南西の諸国)、また滞在中のローマ人(西)で、 11 ユダヤ人もいれば改宗者(異邦人)もいる。またクレタ人とアラビア人(南)もいる。それなのに、あの人たちが、私たちのことば(それぞれ自分たちが生まれ育った異国のことば)で神の大きなみわざ(福音)を語るのを聞くとは。」 12 人々はみな驚き当惑して、「いったい、これはどうしたことか」と言い合った。 13 だが、「彼らは新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言って、嘲る者たちもいた。

地の果てまでキリストの証人となる教会の誕生と、世界宣教の門出を飾るのにふさわしい、世界各国のことばによる福音宣教のしるし!聖霊はガリラヤなまりの田舎者(アニメ、ワンピースの中に登場するキャラクターの中に〜だっぺ、〜だべ)に外国語をしゃべらせ、インフルエンサーに変えます!聖霊は無学な田舎者を、影響力を及ぼす人、世間に大きな影響力をもつ人に変えるのです。そして聖霊は、行き交う人々、街ゆく人々の足を止めます!聖霊は交通を止めるのです!(ロックンロールのストリートライブもそうですが)間違いなく聖霊は、エルサレム在住の帰国子女たち、異文化経験をしたエルサレム在住ユダヤ人たちの注目を、見事に引き起こしたのであります!

そして、このタイミングで、立ち直ることができたあのシモン・ペテロが、声を大にして語り始めるのです。「権力によらず、能力によらず、わたしの霊(聖霊)によって!」

#転(14-16節):これは、預言者ヨエルによって語られたことです。
14 ペテロは十一人とともに立って、声を張り上げ、人々に語りかけた。「ユダヤの皆さん、ならびにエルサレムに住むすべての皆さん、あなたがたにこのことを知っていただきたい。私のことばに耳を傾けていただきたい。 15 今は朝の九時ですから、この人たちは、あなたがたが思っているように酔っているのではありません。(酒に酔っているのではなく、聖霊に酔っているのです!) 16 これは、預言者ヨエルによって語られたことです。

聖霊は、わたしたちを神の愛に酔わせ、神の喜びに溢れさせ、最高のタイミングで、周りの人々に驚きと関心を引き起こす!

#結(17-21節):神は言われる。 終わりの日に、わたしは すべての人にわたしの霊を注ぐ。 あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。

17『神は言われる。 終わりの日に、わたしは すべての人にわたしの霊を注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、 青年は幻を見、老人は夢を見る。18 その日わたしは、 わたしのしもべにも、はしためにも、 わたしの霊を注ぐ。すると彼らは預言する。19 また、わたしは上は天に不思議を、下は地にしるしを現れさせる。それは血と火と立ち上る煙。20 主の大いなる輝かしい日が来る前に、太陽は闇に、月は血に変わる。21 しかし、主の御名を呼び求める者はみな救われる。』

#結論:ペンテコステの時、神の言葉が出来事となり、誰でも求める者には聖霊が与えられる時代が訪れた。

#適用:あなたも今日、主イエス・キリストに祈り求めるなら、イエス様を信じ受け入れるなら、力強い聖霊を受けることができる。聖霊は無学な田舎者を、世間に大きな影響力をもつ人に変える。そして聖霊は、夢と幻、ドリームとビジョンを見させてくださり、私たちを世界宣教のために豊かに用いてくださる!

ヨハネ福音書7章
37 さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立ち上がり、大きな声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。 38 わたしを信じる者は、聖書が言っているとおり、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになります。」 39 イエスは、ご自分を信じる者が受けることになる御霊について、こう言われたのである。イエスはまだ栄光(十字架と復活、そして昇天を通して)を受けておられなかったので、御霊はまだ下っていなかったのである。

#(以前私が国外宣教委員であった時、2014年に書いた文書)
教会は全地に 国外宣教50周年記念誌 編集後記1
特別寄稿文までの最初の部分を、編集後記としてまとめてみたいと思います。

時期尚早と思われても熱い祈りが積まれ、世界宣教に果敢にチャレンジし続けた50年。宣教された経験を生かして、日本とアジアと世界に仕えることを試みた日本同盟基督教団の歴史。

最初の15年は「準備と派遣」、次の10年は「継続と発展」、その後の15年は「成熟と調整」、そして最近の10年は「新たな挑戦」の時です。戦争の70年があり、戦争放棄の70年がありました。今は「人・もの・情報」の世界的大移動がもたらすグローバル化と多元化が急激に起こっています。次の半世紀を見据えた新たな挑戦の時です。

20年後に迎える国外宣教70周年(2034年)に向けて、アジア全域に宣教師を派遣することをビジョンとして掲げています。日本国内にいる外国人や国外にいる日本人がますます増え続けています。毎年1600名以上を数える海外で主イエスに出会った帰国者のフォローも急務です。国内と国外。実はそんなふうに考えることが改めて問われています。置かれている場所がエルサレムであり、そこにおいても世界宣教が可能であり、そこから世界を宣教区として、地の果てを目指します。

教師と信徒。それぞれに日本人もいますが国籍や文化の違う人たちもいます。多様化は今後ますます進むと思われます。正教師を中心とした教職宣教師と信徒宣教師、長期と短期、技術宣教師、医療宣教師、委託派遣などなど。特に各教会から海外に遣わされる信徒の一人一人が、これからの宣教の鍵を握っていると思われます。

各教会において、各宣教区において、各大会において、共に主イエス・キリストの御声に聞く祈りから始めることができたなら、「権力によらず、能力によらず、わたしの霊(聖霊)によって」と仰せられる主が、私たち日本同盟基督教団をこれまで以上に豊かに用いてくださり、様々な教団や宣教団体との宣教協力の中で、世界宣教を成し遂げてくださると私は堅く信じています。

あなたの労苦は無駄でない オンライン礼拝2020-05-24

動画(YouTube)によるオンライン礼拝はこちらです。

音声(LOVE SUGITO RADIO)によるオンライン礼拝はこちらです。

式次第は以下の通りです。

2020年 5月24日 第4主日オンライン礼拝式
前   奏
賛   美  讃美歌312 いつくしみ深き

使徒信条
 われは天地の造り主、全能の父なる神を信ず。
 われはそのひとり子、われらの主、
 イエス・キリストを信ず。
 主は聖霊によりてやどり、おとめマリヤより
 生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、
 十字架につけられ、死にて葬られ、よみにくだり、
 三日目に死人の内よりよみがえり、天にのぼり、
 全能の父なる神の右に座したまえり。かしこより
 来たりて生ける者と死ねる者とを裁きたまわん。
 われは聖霊を信ず。聖なる公同の教会、
 聖徒の交わり、罪のゆるし、からだのよみがえり、
 とこしえの命を信ず。アーメン

主の祈り(マタイ福音書6章、ルカ福音書11章参照)
 天にましますわれらの父よ。
 願わくは御名をあがめさせたまえ。
 御国をきたらせたまえ。
 みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
 われらの日用の糧を、今日も与えたまえ。
 われらに罪を犯す者を、われらが赦すごとく、
 われらの罪をも赦したまえ。
 われらを試みにあわせず、
 悪より救いいだしたまえ。
 国と力と栄えとは、
 限りなくなんじのものなればなり。アーメン

祈   り  
賛   美  讃美歌122 みどりもふかき
聖   書  1コリント人への手紙15章50−58節
メッセージ 「あなたの労苦は無駄でない」
賛   美  讃美歌121 まぶねのなかに
献   金  感謝と献身の告白として
祈   り  
頌   栄  讃美歌543 主イエスのめぐみよ
祝   祷  
後   奏  主に栄光あれ
報   告  その他

週報2020-05-24

メッセージアウトラインは以下の通りです。

あなたの労苦は無駄でない
2020年 5月24日 第4主日 オンライン礼拝式 杉戸キリスト教会から

聖書:1コリント人への手紙15章50−58節

導入:だれもが皆、自分の人生と闘っている。自分の人生が無駄にならないように。
 だれもが皆、自分の人生と闘っている。なぜでしょうか? 自分の人生が無駄にならないため、ではないでしょうか?

起:血肉のからだは神の国を相続できません。朽ちるものは、朽ちないものを相続できません。(50節)

50 兄弟たち、
  私はこのことを言っておきます。
  血肉のからだ は 神の国    を相続できません。
  朽ちるもの  は、朽ちないもの を相続できません。

  血肉のからだ=朽ちるもの。神の国=朽ちないもの。相続=受け継ぐこと、継承。

承:ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。(51-53節)

51 聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。
   私たちは眠るわけではありませんが、みな変えられます。
52 終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちに変えられます。
  ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。

53 この朽ちるべきものが、朽ちないものを必ず着ることになり、
  この死ぬべきものが、 死なないものを必ず着ることになるからです。

転:しかし、神に感謝します。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。 (54-57節)

54 そして、この朽ちるべきものが朽ちないものを着て、
この死ぬべきものが死なないものを着るとき、
このように記されたみことばが実現します。
「死は勝利に吞み込まれた。」

イザヤ書25章
8 永久に死を吞み込まれる。神である主は、すべての顔から涙をぬぐい取り、全地の上からご自分の民の恥辱を取り除かれる。 主がそう語られたのだ。 9 その日、人は言う。 「見よ。この方こそ、待ち望んでいた私たちの神。 私たちを救ってくださる。この方こそ、私たちが待ち望んでいた主。 その御救いを楽しみ喜ぼう。」

55 「死よ、おまえの勝利はどこにあるのか。 死よ、おまえのとげはどこにあるのか。」

ホセア13:14 わたしはよみの力から彼らを贖い出し、死から彼らを贖う。死よ、おまえのとげはどこにあるのか。よみよ、おまえの針はどこにあるのか。

56 死のとげは罪であり、罪の力は律法です。
57 しかし、神に感謝します。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。

何からの勝利が与えられらのか? 死に対する勝利!罪と罪の力に対する勝利!イエスは勝利者!

結:ですから、私の愛する兄弟たち。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは、自分たちの労苦が主にあって無駄でないことを知っているのですから。(58節)

58 ですから、私の愛する兄弟たち。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。
 あなたがたは、自分たちの労苦が主にあって無駄でないことを知っているのですから。

結論:だれもが皆、自分の人生と闘っている。そのあなたの労苦が無駄にならないように、主イエス・キリスト(第二のアダム)は十字架で死なれ、3日目によみがえられ、勝利を与えてくださった。

#適用:ですから、私の愛する兄弟たち。
堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。
あなたがたは、自分たちの労苦が主にあって無駄でないことを知っているのですから。

主にあって無駄でないとは?=主イエス・キリスト、創造主、救い主、王の王、主の主。

堅く立って、動かされることなくとは?=「死が終わりではない。死者の復活はある!」という復活信仰に堅く立って、刹那に生きない。

いつも励む主のわざとは何か?=この地上の人生における、私たちのすべての営み。

 主イエス・キリストが、世界で最初のクリスマスに、第二のアダムとして、全人類の代表として、朽ちるからだをもってこの世界に来てくださった。そして、私たちの罪のために十字架で死なれ、墓に葬られ、3日目に死者の中からよみがえられた。死者の復活、朽ちないからだをもってよみがえられたイエス・キリストによって、この世界は全く新しく変えられた。その時歴史が、決定的に動いた。それまでの世界は、B.C.(ビフォークライスト=キリストが来られる前)と呼ばれる時代となった。主イエス・キリストが死に勝利され、復活されたことによって、全世界のすべての造られたものを、まったく新しく再創造なさる主のみわざが、始まった!その主イエス・キリストにあって、この地上の人生における、私たちのすべての営みが、主のわざとなる。

メッセージアウトライン2020-05-24

第二のアダム オンライン礼拝2020-05-17

動画(YouTube)によるオンライン礼拝はこちらです。

音声(LOVE SUGITO RADIO)によるオンライン礼拝はこちらです。

式次第は以下の通りです。

2020年 5月17日 第2主日オンライン礼拝式
前   奏
賛   美  讃美歌312 いつくしみ深き

使徒信条
 われは天地の造り主、全能の父なる神を信ず。
 われはそのひとり子、われらの主、
 イエス・キリストを信ず。
 主は聖霊によりてやどり、おとめマリヤより
 生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、
 十字架につけられ、死にて葬られ、よみにくだり、
 三日目に死人の内よりよみがえり、天にのぼり、
 全能の父なる神の右に座したまえり。かしこより
 来たりて生ける者と死ねる者とを裁きたまわん。
 われは聖霊を信ず。聖なる公同の教会、
 聖徒の交わり、罪のゆるし、からだのよみがえり、
 とこしえの命を信ず。アーメン

主の祈り(マタイ福音書6章、ルカ福音書11章参照)
 天にましますわれらの父よ。
 願わくは御名をあがめさせたまえ。
 御国をきたらせたまえ。
 みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
 われらの日用の糧を、今日も与えたまえ。
 われらに罪を犯す者を、われらが赦すごとく、
 われらの罪をも赦したまえ。
 われらを試みにあわせず、
 悪より救いいだしたまえ。
 国と力と栄えとは、
 限りなくなんじのものなればなり。アーメン

祈   り  
賛   美  讃美歌122 みどりもふかき
聖   書  1コリント人への手紙15章35−49節
メッセージ 「第二のアダム」
賛   美  讃美歌532 ひとたびは死にし身
献   金  感謝と献身の告白として
祈   り  
頌   栄  讃美歌543 主イエスのめぐみよ
祝   祷  
後   奏  主に栄光あれ
報   告  その他

Untitled

メッセージアウトラインは以下の通りです。

第二のアダム(メッセージアウトライン)
2020年 5月17日 第3主日 オンライン礼拝式 杉戸キリスト教会から
聖書:1コリント人への手紙 15章35−49節

導入:人間のいのちの本質と不思議さ

救いの構造 神のかたちの福音

聖書は、人間のいのちの本質と不思議さを「からだ性」と「霊性」を併せ持った存在として説明している。

からだ性=身体、肉体、血肉。  外科、内科、小児科、耳鼻咽喉科、眼科、歯科、呼吸器科・・・

霊性=霊、魂、精神、心、意識。 スピリチャルケア。心療内科。クリスチャンによるケア・カウンセリング(話をよく聴く+実際的な聖書の学び)。ナースクリスチャン(NCF)、チャプレン、牧師。

起:死者はどのようにしてよみがえるのか。どのようなからだで来るのか?(35-36節)

35 しかし、「死者はどのようにしてよみがえるのか。どのようなからだで来るのか」と言う人がいるでしょう。 36 愚かな人だ。あなたが蒔くものは、死ななければ生かされません。 37 また、 あなたが蒔くものは、後にできるからだではなく、麦であれ、そのほかの穀物であれ、ただの種粒です。

ヨハネ福音書12:24 まことに、まことに、あなたがたに言います。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままです。しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます。

承:しかし神は、みこころのままに、それにからだを与え、それぞれの種にそれ自身のからだをお与えになります。(38-41節)

38 しかし神は、みこころのままに、それにからだを与え、それぞれの種にそれ自身のからだをお与えになります。 39 どんな肉も同じではなく、人間の肉、獣の肉、鳥の肉、魚の肉、それぞれ違います。 40 また、天上のからだもあり、地上のからだもあり、天上のからだの輝きと地上のからだの輝きは異なり、 41 太陽の輝き、月の輝き、星の輝き、それぞれ違います。星と星の間でも輝きが違います。

転:死者の復活もこれと同じです。・・・血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされるのです。(42-44節)

42 死者の復活もこれと同じです。朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものによみがえらされ、 43 卑しいもので蒔かれ、栄光あるものによみがえらされ、弱いもので蒔かれ、力あるものによみがえらされ、 44 血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされるのです。血肉のからだがあるのですから、御霊のからだもあるのです。

結:「最初の人アダムは生きるものとなった。」しかし、最後のアダム(第二のアダム)はいのちを与える御霊となりました。(45-49節)

45 こう書かれています。「最初の人アダムは生きるものとなった。」しかし、最後のアダムはいのちを与える御霊となりました。 46 最初にあったのは、御霊のものではなく血肉のものです。御霊のものは後に来るのです。 47 第一の人は地から出て、土で造られた人ですが、第二の人は天から出た方です。 48 土で造られた者たちはみな、この土で造られた人に似ており、天に属する者たちはみな、この天に属する方に似ています。 49 私たちは、土で造られた人のかたちを持っていたように、天に属する方のかたちも持つことになるのです。

最初の人アダム=土地のちり(アダマー)から形造られ、神のいのちの息・霊が吹き込まれて生きた者となった最初の人間(アダム)。それは私たち。

最後の・第二のアダム=イエス・キリスト=私たちと同じ肉体となってくださった神のことば。すべての人の代表。

「焚き火を囲んで聴く神の物語・対話篇 大頭眞一(おおずしんいち)と焚き火を囲む仲間たち」より
 第2章 アダムの目にも涙 参照

結論:第二のアダムである主イエス・キリストは、いのちを与える御霊となられた。土で造られた人のかたちを持っている私たちは、死者の復活によって、天に属する方のかたちも持つことになる。

Untitled

刹那に生きない理由 オンライン礼拝2020-05-10

動画(YouTube)によるオンライン礼拝はこちらです。

音声(LOVE SUGITO RADIO)によるオンライン礼拝はこちらです。

式次第は以下の通りです。

2020年 5月10日 第2主日母の日オンライン礼拝式
前   奏
賛   美  讃美歌354 かいぬしわが主よ

使徒信条
 われは天地の造り主、全能の父なる神を信ず。
 われはそのひとり子、われらの主、
 イエス・キリストを信ず。
 主は聖霊によりてやどり、おとめマリヤより
 生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、
 十字架につけられ、死にて葬られ、よみにくだり、
 三日目に死人の内よりよみがえり、天にのぼり、
 全能の父なる神の右に座したまえり。かしこより
 来たりて生ける者と死ねる者とを裁きたまわん。
 われは聖霊を信ず。聖なる公同の教会、
 聖徒の交わり、罪のゆるし、からだのよみがえり、
 とこしえの命を信ず。アーメン

主の祈り(マタイ福音書6章、ルカ福音書11章参照)
 天にましますわれらの父よ。
 願わくは御名をあがめさせたまえ。
 御国をきたらせたまえ。
 みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
 われらの日用の糧を、今日も与えたまえ。
 われらに罪を犯す者を、われらが赦すごとく、
 われらの罪をも赦したまえ。
 われらを試みにあわせず、
 悪より救いいだしたまえ。
 国と力と栄えとは、
 限りなくなんじのものなればなり。アーメン

祈   り  
賛   美  讃美歌122 みどりもふかき
聖   書  1コリント人への手紙15章20−34節
メッセージ 「刹那に生きない理由」
賛   美  讃美歌532 ひとたびは死にし身
献   金  感謝と献身の告白として
祈   り  
頌   栄  讃美歌543 主イエスのめぐみよ
祝   祷  
後   奏  主に栄光あれ
報   告  その他

メッセージアウトラインは以下の通りです。

刹那に生きない理由(メッセージアウトライン)
2020年 5月10日 第2主日 母の日オンライン礼拝式 杉戸キリスト教会から
聖書:1コリント人への手紙 15章20−34節

導入:なぜ人は一瞬の刹那に生きるのか?「どうせ明日は死んで終わり」という刹那的考えに囚われているから。

母の日を覚えて。お母さんありがとう。昔母に尋ねた質問「お母さんは何のために生きてる?」「家族の幸せのために」。
あなたは、何のために生きておられるでしょうか? 生きる目的、生きる意味、生きる動機が問われている。

刹那に生きない理由
刹那=きわめて短い時間。瞬間。一瞬「―の快楽を求める」
刹那的=① 非常に短い時間であるさま。瞬間的。② 目の前の快楽を求めるさま。

なぜ人は一瞬の刹那に生きるのか?「どうせ明日は死んで終わり」という刹那的考えに囚われているから。
儚いこの地上の人生が、すべてだと考えているから。死んだらすべてが終わり。死んだらすべてがゼロになると考えているから。

起:アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリスト(第二のアダム)にあってすべての人が生かされるのです。(20-22節)

20 しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。 21 死が一人の人を通して来たのですから、死者の復活も一人の人を通して来るのです。 22 アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリスト(第二のアダム)にあってすべての人が生かされるのです。

承:最後の敵として滅ぼされるのは、死です。(23-28節)

23 しかし、それぞれに順序があります。まず初穂であるキリスト、次にその来臨のときにキリストに属している人たちです。 24 それから終わりが来ます。そのとき、キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、王国を父である神に渡されます。 25 すべての敵をその足の下に置くまで、キリストは王として治めることになっているからです。 26 最後の敵として滅ぼされるのは、死です。 27 「神は万物をその方の足の下に従わせた」のです。しかし、万物が従わせられたと言うとき、そこには万物をキリストに従わせた方が含まれていないことは明らかです。 28 そして、万物が御子に従うとき、御子自身も、万物をご自分に従わせてくださった方に従われます。これは、神が、すべてにおいてすべてとなられるためです。

転:毎日死にそうで、毎日死ぬことばかり考え、やがて死で終わりになるのだとしたら、何のためにバプテスマ・洗礼を受けるのか?死者の復活がないなら、それは無意味だ!(29-31節)

29 そうでなかったら、死者のためにバプテスマを受ける人たちは、何をしようとしているのですか。死者が決してよみがえらないのなら、その人たちは、なぜ死者のためにバプテスマを受けるのですか。 30 なぜ私たちも、絶えず危険にさらされているのでしょうか。 31 兄弟たち。私たちの主キリスト・イエスにあって私が抱いている、あなたがたについての誇りにかけて言いますが、私は日々死んでいるのです。

河野勇一先生の本「わかるとかわる!《神のかたち》の福音」より引用(p170)
「この聖句は、死者のための代理洗礼などと解釈されるのですが、初代の教会にそのような習慣があったことは認められていません。むしろ、この世では迫害と殺害の危険のもとに生き、死に運命づけられている私たちのいのちが死で終わりになる(死者)なら、何のためにバプテスマを受けるのか、復活がないならばそれは無意味ではないか、と理解できます。」

結:もし死者がよみがえらないのなら、「食べたり飲んだりしようではないか。どうせ、明日は死ぬのだから」ということになります。(32-34節)

32 もし私が人間の考えからエペソで獣と戦ったのなら、何の得があったでしょう。もし死者がよみがえらないのなら、「食べたり飲んだりしようではないか。どうせ、明日は死ぬのだから」ということになります。33 惑わされてはいけません。「悪い交際は良い習慣を損なう」のです。 34 目を覚まして正しい生活を送り、罪を犯さないようにしなさい。神について無知な人たちがいます。私はあなたがたを恥じ入らせるために言っているのです。

結論:なぜキリスト者は一瞬の刹那に生きないのか。
 「たとえ今日死んでも終わりではない」という復活信仰へと招かれ続けているから。

適用:「たとえ今日死んでも終わりではない」という復活信仰を覚えつつ、よみがえられて共に生きてくださる主イエスといっしょに生活しよう。

福音の急所 オンライン礼拝2020-05-03

動画(YouTube)によるオンライン礼拝はこちらです。

音声(LOVE SUGITO RADIO)によるオンライン礼拝はこちらです。

式次第は以下の通りです。

2020年 5月 3日 第1主日オンライン礼拝式
前   奏
賛   美  讃美歌354 かいぬしわが主よ

使徒信条
 われは天地の造り主、全能の父なる神を信ず。
 われはそのひとり子、われらの主、
 イエス・キリストを信ず。
 主は聖霊によりてやどり、おとめマリヤより
 生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、
 十字架につけられ、死にて葬られ、よみにくだり、
 三日目に死人の内よりよみがえり、天にのぼり、
 全能の父なる神の右に座したまえり。かしこより
 来たりて生ける者と死ねる者とを裁きたまわん。
 われは聖霊を信ず。聖なる公同の教会、
 聖徒の交わり、罪のゆるし、からだのよみがえり、
 とこしえの命を信ず。アーメン

主の祈り(マタイ福音書6章、ルカ福音書11章参照)
 天にましますわれらの父よ。
 願わくは御名をあがめさせたまえ。
 御国をきたらせたまえ。
 みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
 われらの日用の糧を、今日も与えたまえ。
 われらに罪を犯す者を、われらが赦すごとく、
 われらの罪をも赦したまえ。
 われらを試みにあわせず、
 悪より救いいだしたまえ。
 国と力と栄えとは、
 限りなくなんじのものなればなり。アーメン

祈   り  
賛   美  讃美歌122 みどりもふかき
聖   書  1コリント人への手紙15章1−19節
メッセージ 「福音の急所」
賛   美  讃美歌496 うるわしの白百合
献   金  感謝と献身の告白として
 (郵便振替 00110-3-177729 杉戸キリスト教会)
祈   り  
頌   栄  讃美歌543 主イエスのめぐみよ
祝   祷  
後   奏  主に栄光あれ
報   告  その他

メッセージアウトラインは以下の通りです。

福音の急所(メッセージアウトライン)
2020年 5月 3日 第1主日オンライン礼拝式 杉戸キリスト教会から
聖書:1コリント人への手紙 15章1−19節

みことば:1コリント人への手紙15章19節
もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。(新改訳)

もし私たちが、この地上のいのちにおいてのみ、キリストに望みを抱いているのなら、私たちはすべての人の中で一番哀れな者です。(新改訳2017)

導入:福音の急所は、死者の復活にある。
イースターからオンライン礼拝を続けていますが、何とか5月最初の日曜日を共に迎えることができました。神様と皆様に心から感謝します。感謝の祈りをささげましょう。

「天にいます、私たちの父なる神様!あなたが愛するひとり子を、イエス様を与えてくださったほどに、私たちを愛してくださったことを、心から感謝します。私たちの身代わりとして、イエス様が十字架で死んでくださり、3日目の朝によみがえられたことを感謝します。あなたがすべてのことを働かせて、万事を益に変えてくださることを感謝します。日毎の糧を今日も与えてくださり感謝します。主よお語りください。しもべは聞いております。愛する主、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。」

今日から5月31日のペンテコステ礼拝までの間、4回に分けて、コリント人への手紙第一の15章に耳を傾けたいと思います。神のかたちであられるイエス・キリストは、実際のからだを持たれ、第二のアダムとなってくださった。そのことを覚えるためです。

今日は「福音の急所」という題でメッセージを語ります。急所というのは、そこを打たれると立っていることができず、崩れ落ちてしまうほど弱い所です。からだの急所は、みぞおちであったり、あごであったりします。福音の急所は、死者の復活にあります。朽ちるからだを持って天から来られたイエス・キリストが、朽ちないからだをもって死から復活されたということが、福音の急所です。死者の復活を否定するなら、信じたことがすべて無駄になってしまう。福音が福音でなくなる。福音が喜びの知らせではなくなる。

起:兄弟たち。私があなたがたに宣べ伝えた福音を、改めて知らせます。(1-2節)

1 兄弟たち。私があなたがたに宣べ伝えた福音を、改めて知らせます。あなたがたはその福音を受け入れ、その福音によって立っているのです。2 私がどのようなことばで福音を伝えたか、あなたがたがしっかり覚えているなら、この福音によって救われます。そうでなければ、あなたがたが信じたことは無駄になってしまいます。

承:私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられたこと(3-11節)

3 私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、4 また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられたこと、5 また、ケファに現れ、それから十二弟子に現れたことです。6 その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現れました。その中にはすでに眠った人も何人かいますが、大多数は今なお生き残っています。7 その後、キリストはヤコブに現れ、それからすべての使徒たちに現れました。8 そして最後に、月足らずで生まれた者のような私にも現れてくださいました。9 私は使徒の中では最も小さい者であり、神の教会を迫害したのですから、使徒と呼ばれるに値しない者です。10 ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは無駄にはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。働いたのは私ではなく、私とともにあった神の恵みなのですが。11 とにかく、私にせよ、ほかの人たちにせよ、私たちはこのように宣べ伝えているのであり、あなたがたはこのように信じたのです。

転:ところで、キリストは死者の中からよみがえられたと宣べ伝えられているのに、どうして、あなたがたの中に、死者の復活はないと言う人たちがいるのですか。(12-15節)

12 ところで、キリストは死者の中からよみがえられたと宣べ伝えられているのに、どうして、あなたがたの中に、死者の復活はないと言う人たちがいるのですか。13 もし死者の復活がないとしたら、キリストもよみがえらなかったでしょう。14 そして、キリストがよみがえらなかったとしたら、私たちの宣教は空しく、あなたがたの信仰も空しいものとなります。15 私たちは神についての偽証人ということにさえなります。なぜなら、かりに死者がよみがえらないとしたら、神はキリストをよみがえらせなかったはずなのに、私たちは神がキリストをよみがえらせたと言って、神に逆らう証言をしたことになるからです。

結:もし私たちが、この地上のいのちにおいてのみ、キリストに望みを抱いているのなら、私たちはすべての人の中で一番哀れな者です。(16-19節)

16 もし死者がよみがえらないとしたら、キリストもよみがえらなかったでしょう。17 そして、もしキリストがよみがえらなかったとしたら、あなたがたの信仰は空しく、あなたがたは今もなお自分の罪の中にいます。18 そうだとしたら、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったことになります。19 もし私たちが、この地上のいのちにおいてのみ、キリストに望みを抱いているのなら、私たちはすべての人の中で一番哀れな者です。

結論:福音の急所は、死者の復活にある。もし私たちが死者の復活を否定し、この地上のいのちにおいてのみ、キリストに望みを抱いているのなら、私たちはすべての人の中で一番哀れな者です。

適用:死が間近に迫る今こそ、「死者の復活=死が終わりではないいのち」を覚えよう!
 牧師という職業。他のお仕事をされている方々と違って、亡くなられた方の葬儀の司式をし、遺族の方と一緒に火葬場に向かい、お骨を拾い、お墓に納骨するという機会がとても多い。葬儀の司式をさせていただく時、讃美歌を歌いながら、ご遺体を収めた棺を火葬場の炉の中にお入れする時、そしてその後、お骨を拾う時。その時牧師を慰め、遺族をなぐさめるものは何か? それが「死者の復活」です!

ところが、今コロナの時代に生かされている私たちには、とても厳しい現実があります。

「コロナの時代の僕ら」 パオロ・ジョルダーノさんの本より
まさかーーよりによってここで、それも僕たちがーー愛する者に看取ってももらえず、寂しく死ぬことになるかもしれないなんて。しかもその葬儀は音ひとつせず、立ち会う者ひとりいないかもしれないなんて(イタリアでは2020年4月5日現在、感染拡大防止のため冠婚葬祭を含む一切の集会が認められていないため)

今日本でも、入院している方がコロナでなかったとしても、入院している方へのお見舞いや面会ができない。(身近な方が入院しているが、コロナの影響で面会できない状態が続いている)

東洋経済オンラインの記事より引用
コロナの影響で「葬儀」はどのように変わるのか 悲しみとの折り合いをつける「グリーフケア」
3月29日、タレントの志村けんさんが、新型コロナウイルスによる肺炎で亡くなった。新型コロナウイルス感染症で亡くなると、遺体はすぐに火葬され、遺族であっても次に対面できるのは骨壷に収められた状態……というニュースに、社会が騒然となった。厚生労働省は「非透過性納体袋に収納、密封されている限りは特別の感染防止策は不要で、遺体搬送を遺族らが行うことも差し支えない」としており、「故人の顔を見て葬儀をしたい」という遺族の意向に沿うため、神戸市などが市内の病院へ納体袋の配布を行っているが、問題はそれだけではない。新型コロナウイルスの影響で、それ以前から縮小化・簡素化が進んでいた葬儀が、ますます小さく簡易なものになろうとしている。緊急事態宣言が出された4月7日から1週間後の14日正午の時点で、厚生労働省によると、日本の新型コロナウイルスでの死亡者数は累計109人。死が身近に迫る今こそ、きちんとお別れをすることの大切さを知ってほしい。

死が間近に迫る今こそ、「死者の復活=死が終わりではないいのち」を覚えよう!