手放して主の御手にゆだねた時 November 9, 2025

「手放して主の御手にゆだねた時」November 9, 2025

翌朝早く、アブラハムは、パンと、水の皮袋を取ってハガルに与え、彼女の肩に担がせ、その子とともに彼女を送り出した。それで彼女は行って、ベエル・シェバの荒野をさまよった。皮袋の水が尽きると、彼女はその子を一本の灌木の下に放り出し、自分は、弓で届くぐらい離れた向こうに行って座った。「あの子が死ぬのを見たくない」と思ったからである。彼女は向こうに座り、声をあげて泣いた。神は少年の声を聞かれ、神の使いは天からハガルを呼んで言った。「ハガルよ、どうしたのか。恐れてはいけない。神が、あそこにいる少年の声を聞かれたからだ。立って、あの少年を起こし、あなたの腕でしっかり抱きなさい。わたしは、あの子を大いなる国民とする。」神がハガルの目を開かれたので、彼女は井戸を見つけた。それで、行って皮袋を水で満たし、少年に飲ませた。神が少年とともにおられたので、彼は成長し、荒野に住んで、弓を射る者となった。彼はパランの荒野に住んだ。彼の母は、エジプトの地から彼のために妻を迎えた。創世記21章14ー21節

アブラハムにとって、エジプトの女ハガルと、彼女がアブラハムに産んだ子イシュマエルを追い出すことは、とても辛いことでした。イシュマエルはもう十四歳で、深く情が移っていたからです。

しかし神の約束を受け取ったアブラハムは、翌朝早くパンと水の皮袋を取ってハガルに与え、その子とともに彼女を送り出しました。アブラハムは、ハガルと少年イシュマエルを手放し、約束してくださった主の御手にゆだねたのです。

手放して主の御手にゆだねた時、主は約束してくださった通り、ハガルと少年を守り養い、やがて少年は成人して妻を迎えました。私たちにも、ずっと手放さず、握り締めていたい大切な人がいるでしょう。けれども、神が約束してくださり、手放すのがみこころであるなら、手放して主の御手にゆだねることができますように。

一難去ってまた一難 November 8, 2025

「一難去ってまた一難」November 8, 2025

その子は育って乳離れした。アブラハムはイサクの乳離れの日に、盛大な宴会を催した。サラは、エジプトの女ハガルがアブラハムに産んだ子が、イサクをからかっているのを見た。それで、アブラハムに言った。「この女奴隷とその子を追い出してください。この女奴隷の子は、私の子イサクとともに跡取りになるべきではないのですから。」このことで、アブラハムは非常に苦しんだ。それが自分の子に関わることだったからである。神はアブラハムに仰せられた。「その少年とあなたの女奴隷のことで苦しんではならない。サラがあなたに言うことはみな、言うとおりに聞き入れなさい。というのは、イサクにあって、あなたの子孫が起こされるからだ。しかし、あの女奴隷の子も、わたしは一つの国民とする。彼も、あなたの子孫なのだから。」創世記21章8ー13節

聖書の神を信じていても、いなくても、人生は「一難去ってまた一難」です。いずれの人生にも、「一難去らないうちにまた一難」という厳しい状況も起こり得ます。けれども、聖書の神を信じている人生と、信じていない人生には、明確な違いがあります。

聖書の神、アブラハムの神を信じている人生には、私たちの苦しみをご覧になり、その時必要なことを語りかけてくださる神の優しい導きがあり、そこが陽のあたる場所、メインストリートになります。アブラハムの神を信じていない人生では、それに気づくことも体験することもできず、その結果、自助努力と自己責任の果てに、行き止まりの路地裏になります。

SUGITO GOSPEL CAFE(青年福音喫茶)のご案内

お知らせ

11月7日(金)、19時半から福音喫茶OPENします。

YouTubeにて、これまでの試験配信を視聴できます。

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LOVE SUGITO RADIOでも配信しています。

神のことばは人間の閉塞感を突き破って出来事になる November 7, 2025

「神のことばは人間の閉塞感を突き破って出来事になる」November 7, 2025

主は約束したとおりに、サラを顧みられた。主は告げたとおりに、サラのために行われた。サラは身ごもり、神がアブラハムに告げられたその時期に、年老いたアブラハムに男の子を産んだ。アブラハムは、自分に生まれた子、サラが自分に産んだ子をイサクと名づけた。そしてアブラハムは、神が命じられたとおり、生後八日になった自分の子イサクに割礼を施した。アブラハムは、その子イサクが彼に生まれたとき、百歳であった。サラは言った。「神は私に笑いを下さいました。これを聞く人もみな、私のことで笑うでしょう。」また、彼女は言った。「だれがアブラハムに、『サラが子に乳を飲ませる』と告げたでしょう。ところが私は、主人が年老いてから子を産んだのです。」創世記21章1ー7節

アブラハムの神は、必ず約束を守ってくださる神です。主なる神が約束したとおりに、サラは身ごもり、神がアブラハムに告げられたその時期に、年老いたアブラハムに男の子を産みました。男の子の名前はイサクと名づけられ、八日目に割礼を施されました。イサクが生まれたとき、アブラハムは百歳でした。

そのときサラは言いました。「神は私に笑いを下さいました。これを聞く人もみな、私のことで笑うでしょう。」「だれがアブラハムに、『サラが子に乳を飲ませる』と告げたでしょう。ところが私は、主人が年老いてから子を産んだのです。」

約束が成就する直前にも、アブラハムは、美人の妻の故に殺されるかもしれないという恐れに支配され、不誠実な言動で神の計画を台無しにする所でした。絶えず信仰者の弱点をついて、恐れや不安によって攻撃し、神の計画を阻止しようとする悪魔の仕業です。しかしアブラハムの神は、絶えず信仰者の破れ口に立ち、とりなし続けてくださいます。だから神のことばは、人間の閉塞感を突き破って出来事になるのです。

万事を益に変えてくださる主 November 6, 2025

「万事を益に変えてくださる主」November 6, 2025

2025-11-06

アビメレクはアブラハムを呼び寄せて言った。「あなたは何ということを私たちにしたのか。私がいったい、罪となるどんなことをあなたにしたというのか。あなたが、私と私の王国に大きな罪をもたらそうとするとは。あなたは、してはならないことを私にしたのだ。」また、アビメレクはアブラハムに言った。「あなたはなぜ、こんなことをしたのか。」アブラハムは答えた。「この地方には、神を恐れることが全くないので、人々が私の妻のゆえに私を殺すと思ったのです。また、本当に、あれは私の妹、私の父の娘です。でも、私の母の娘ではありません。それが私の妻になったのです。神が私を父の家から、さすらいの旅に出されたとき、私は彼女に、『このようにして、あなたの真実の愛を私に尽くしてほしい。私たちが行くどこででも、私のことを、この人は私の兄です、と言ってほしい』と言ったのです。」アビメレクは、羊の群れと牛の群れと、男女の奴隷たちを連れて来て、アブラハムに与え、またアブラハムの妻サラを彼に返した。アビメレクは言った。「見なさい。私の領地があなたの前に広がっている。あなたの良いと思うところに住みなさい。」サラに対しては、こう言った。「ここに、銀千枚をあなたの兄に与える。これはあなたにとって、また一緒にいるすべての人にとって、あなたを守るものとなるだろう。これであなたは、すべての人の前で正しいとされるだろう。」そこで、アブラハムは神に祈った。神は、アビメレクとその妻、また女奴隷たちを癒やされたので、彼らは再び子を産むようになった。主が、アブラハムの妻サラのことで、アビメレクの家のすべての胎を堅く閉じておられたのである。創世記20章9−18節

アビメレクはアブラハムに言いました。「あなたは何ということを私たちにしたのか。私がいったい、罪となるどんなことをあなたにしたというのか。あなたが、私と私の王国に大きな罪をもたらそうとするとは。あなたは、してはならないことを私にしたのだ。なぜ、こんなことをしたのか。」

約400年後にモーセが十戒を授かる前に、アビメレクは「あなたの隣人の妻を欲してはならない」という教えを知らされていたのです。

主は、アブラハムの尻拭いをし、アビメレクによって多くの良いものを授けました。アブラハムが祈ると、神は、アビメレクとその妻たちを癒やされ、再び子を産むようになりました。アブラハムの神は、万事を益に変えてくださる恵みの神なのです。

自分の妻サラのことを「これは私の妹です」と言ったので November 5, 2025

自分の妻サラのことを「これは私の妹です」と言ったので November 5, 2025

アブラハムは、そこからネゲブの地方へ移り、カデシュとシュルの間に住んだ。ゲラルに寄留していたとき、アブラハムは、自分の妻サラのことを「これは私の妹です」と言ったので、ゲラルの王アビメレクは、人を遣わしてサラを召し入れた。その夜、神が夢の中でアビメレクのところに来て、こう仰せられた。「見よ。あなたは、自分が召し入れた女のために死ぬことになる。あの女は夫のある身だ。」アビメレクは、まだ彼女に近づいていなかった。そこで彼は言った。「主よ、あなたは正しい国民さえも殺されるのですか。彼が私に『これは私の妹です』と言ったのではありませんか。彼女自身も『これは私の兄です』と言いました。私は、全き心と汚れのない手で、このことをしたのです。」神は夢の中で彼に仰せられた。「そのとおりだ。あなたが全き心でこのことをしたのを、わたし自身もよく知っている。それでわたしも、あなたがわたしの前に罪ある者とならないようにした。だからわたしは、あなたが彼女に触れることを許さなかったのだ。今、あの人の妻をあの人に返しなさい。あの人は預言者で、あなたのために祈ってくれるだろう。そして、いのちを得なさい。しかし、返さなければ、あなたも、あなたに属するすべての者も、必ず死ぬことを承知していなさい。」翌朝早く、アビメレクは彼のしもべをみな呼び寄せ、これらのことをすべて語り聞かせたので、人々は非常に恐れた。創世記20章1ー8節

以前エジプトでも同じようなことがありました。この度は、アブラハムがゲラルに寄留していたときのことです。アブラハムは、自分の妻サラのことを「これは私の妹です」と言ったので、ゲラルの王アビメレクは、人を遣わしてサラを召し入れました。

もしもこの時、主なる神が再び介入してくださらなければ、アブラハムとサラ夫婦は、神の恵みを無駄に受け、すべてをドブに捨てることになりました。しかしあわれみ深い主は、ご自分の計画を成し遂げるために、アブラハムの尻拭いをしてくださいました。

ゲラルの王アビメレクがサラを召し入れたその夜、神が夢の中でアビメレクのところに来て、こう仰せられたのです。「見よ。あなたは、自分が召し入れた女のために死ぬことになる。あの女は夫のある身だ。」ゲラルの王アビメレクの誠実な姿とアブラハムの不誠実な姿が対照的です。

ロトの二人の娘は父親によって身ごもった November 4, 2025

「ロトの二人の娘は父親によって身ごもった」November 4, 2025

ロトはツォアルから上って、二人の娘と一緒に、山の上に住んだ。ツォアルに住むのを恐れたからである。彼と二人の娘は洞穴の中に住んだ。姉は妹に言った。「父は年をとっています。この地には、私たちのところに、世のしきたりにしたがって来てくれる男の人などいません。さあ、父にお酒を飲ませ、一緒に寝て、父によって子孫を残しましょう。」その夜、娘たちは父親に酒を飲ませ、姉が入って行き、一緒に寝た。ロトは、彼女が寝たのも起きたのも知らなかった。その翌日、姉は妹に言った。「ご覧なさい。私は昨夜、父と寝ました。今夜も父にお酒を飲ませましょう。そして、あなたが行って、一緒に寝なさい。そうして、私たちは父によって子孫を残しましょう。」その夜も、娘たちは父親に酒を飲ませ、妹が行って、一緒に寝た。ロトは、彼女が寝たのも起きたのも知らなかった。こうして、ロトの二人の娘は父親によって身ごもった。姉は男の子を産んで、その子をモアブと名づけた。彼は今日のモアブ人の先祖である。妹もまた、男の子を産んで、その子をベン・アミと名づけた。彼は今日のアンモン人の先祖である。創世記19章30ー38節

ソドム地方の絶滅から救われたロトと二人の娘は、人を避けて山の上の洞窟に住みました。やがて姉は妹に言います。「父は年をとっています。この地には、私たちのところに、世のしきたりにしたがって来てくれる男の人などいません。さあ、父にお酒を飲ませ、一緒に寝て、父によって子孫を残しましょう。」

そのようにして、ロトの二人の娘は、父親によって身ごもりました。姉は男の子を産み、その子をモアブと名づけます。モアブ人の先祖です。妹もまた、男の子を産み、その子をベン・アミと名づけます。アンモン人の先祖です。やがてモアブ人の娘ルツが、救い主JESUSの系図に加えられます(マタイの福音書1章参照)。主のあわれみは尽きません。