「心のまんなかにJESUSを迎える」November 18, 2024

「心のまんなかにJESUSを迎える」November 18, 2024

あなた必死に頑張ったけど、自分で自分の心をきれいにできないでしょ?どうにか外側はきれいにしても、どう頑張ったって、自分で自分の内側を変えることはできないでしょ?

そしてJESUS(イエス・キリスト)は、あなたの心の扉をノックしながら言われる。

「見よ、わたしは戸の外に立ってたたいている。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしはその人のところに入って彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」(新約聖書 ヨハネの黙示録3章20節)

今もしあなたが、JESUSを本当に信頼し、誰にも開いたことのない心の扉を開け、心のまんなかにJESUSを迎えるなら、あなたは変えられる。リアルに内側から、すべてが新しく変えられる。暗闇から光に、絶望から希望に、死からいのちに。

むなしさ、ねたみ、孤独、悲しみ、怒り、憎しみ、敵意、殺意。あなたの心が、どんなに暗くて臭くて汚くても大丈夫。家畜小屋に生まれてくださったJESUSは、あなたの心のまんなかに住むために、降誕されたのだから。

もし今あなたが、JESUSを信頼し、心の戸を開け、心のまんなかにJESUSを迎えるなら、特殊清掃員のようなJESUSが、すべてを新しく綺麗にしてくださる。あなたの心の中が、おいしく食事ができる場所、明るくて、良い香りがして、きれいな心に変えられる。

むなしさ、ねたみ、孤独、悲しみ、怒り、憎しみ、敵意、殺意。それら古きものはすべて過ぎ去り、見よ、すべてが新しく変えられる。

ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。(新約聖書 コリント人への手紙第二5章17節)

偏在する神への賛歌 礼拝のご案内

偏在する神への賛歌

杉戸キリスト教会では、日曜朝10時過ぎから賛美と祈りを始めます。
10時半から朝の礼拝(ワーシップ)の時を持っています。
夕礼拝は夜8時から9時です。
どなたでもお集いください。

杉戸キリスト教会地図2014

「偏在する神」November 17, 2024

「偏在する神」November 17, 2024

以前、遍在と偏在を書き間違えて、「聖書の神さまは、偏在ではなく遍在です」と、指摘されたことがあった。

どこにでも遍く(あまねく)存在するという遍在(へんざい)と、偏って(かたよって)存在するという偏在(へんざい)。日本語ではどちらも「へんざい」と読むが、意味が反対になる。

これまで私も「聖書の神さまは、偏在ではなく遍在。聖書の神さまは、かたよっておられるのではなく、どこにでもあまねくおられる」と考えていた。ところが、先日読んだ本には正反対のことが書かれてあり、その認識がひっくり返った。

それで今日の礼拝メッセージの題は「偏在する神への賛歌」になっている。朝10時半からと夕8時から、マリアの賛歌と呼ばれる歌が、実は偏在する神への賛歌であることをお話しする予定だ。

マリアは言った。
「私のたましいは主をあがめ、私の霊は私の救い主である神をたたえます。
この卑しいはしために目を留めてくださったからです。
ご覧ください。
今から後、どの時代の人々も私を幸いな者と呼ぶでしょう。
力ある方が、私に大きなことをしてくださったからです。
その御名は聖なるもの、
主のあわれみは、代々にわたって主を恐れる者に及びます。
主はその御腕で力強いわざを行い、
心の思いの高ぶる者を追い散らされました。
権力のある者を王位から引き降ろし、
低い者を高く引き上げられました。
飢えた者を良いもので満ち足らせ、
富む者を何も持たせずに追い返されました。
主はあわれみを忘れずに、
そのしもべイスラエルを助けてくださいました。
私たちの父祖たちに語られたとおり、
アブラハムとその子孫に対するあわれみをいつまでも忘れずに。」

私の救い、私たちの希望 川上直哉

「骨壷は重かった」November 16, 2024

「骨壷は重かった」November 16, 2024

牧師として、多くの方のお葬式の司式をしている。
今日は今年6回目の教会でのお葬式。

奥様がクリスチャンとして歩まれていたが、
50年間ずっと教会に来られなかったご主人。

けれども、50年目の昨年、ついに祈りが聞かれ、
神のことばが出来事になり、奇跡が起きた。
奥様、娘さん、お孫さんと一緒に、
3回も教会の礼拝に来られたのだ。
そして年末には信仰告白され、洗礼を受けられた。

今年、私の母方のばあちゃんと私の父も天に召された。
何度もお葬式を司式しているが、父のお葬式の時、
おそらく初めて骨壷を持つことになった。
初めて持った骨壷はズッシリと重かった。

The Bible、聖書は語る。

「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」(新約聖書 使徒の働き16章31節)

「山登りバイブル」November 15, 2024

「山登りバイブル」November 15, 2024

私は父から山登りの素晴らしさを教えてもらった。それを一言で言うと、「しんどいけど素晴らしい!」。「しんどいけど素晴らしい!」それは人生そのものでもある。

山登りはほんとにしんどい。なんでこんなしんどいことをしているのか、自分で呆れるほどだ。けれども、忍耐強く一歩一歩登っていくと、やがて見晴らしのよい稜線などに出る。さらに進み続けると、ついに頂上にたどり着く。その達成感は、すべてのしんどさを、跡形もなく吹き飛ばす素晴らしさだ。

The Bibleは語る。

「私は山に向かって目を上げる。私の助けは どこから来るのか。私の助けは主から来る。天地を造られたお方から。」(旧約聖書 詩篇121篇1−2節)

山登りにも人生にも、助けがなければたどり着けない高みがある。そびえ立つ山を造り天地を造られたJESUSは、あきらめたくなるほどしんどい上り坂において、その時必要な助けを必ず与えてくださる。

谷川の流れ、鳥のさえずり、その時々に咲く綺麗な花や木々、蝶や虫たち、不思議な形をした岩、吹き渡る風、紺碧の空と湧き上がる白い雲、満天の星空、旅の仲間と神の家族、そして何よりも天地を造られた主に感謝します!

杉戸キリスト教会牧師 野町真理

ある晴れた春の日の午後

槍の上から

「死は終わりではない」November 14, 2024

「死は終わりではない」November 14, 2024

この世が楽しければ、生きているうちが花であり、まだ死にたくないと願う。
この世が生き地獄なら、死んだら楽になれると考え、早く死にたいと願う。
いずれにせよ、ある日突然、自分のお葬式の日が来る。
いつか必ず、すべての生きとし生けるものは、死を迎える。
病気で、事故で、怪我で、災害で、戦争で、老衰で、今日も誰かが死を迎えている。

しかしThe Bibleは、「死は終わりではない!」と宣言する。
聖書は、永遠の苦しみではなく永遠のいのちを、あなたが得るために書かれている。

神は、実に、そのひとり子(イエス・キリスト)をお与えになったほどに世(あなた)を愛された。それは御子(JESUS CHRIST)を信じる者(あなた)が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(新約聖書 ヨハネの福音書3章16節)

あなたの上に、あなたを愛してやまない神が、生きる力と生きる希望、そして永遠のいのちを豊かに注いでくださいますように。

杉戸キリスト教会牧師 野町真理

聖書と祈り会2024-11-13 ゼカリヤ書を読む①わたしに帰れ

2024年11月13日の聖書と祈り会メッセージ。ゼカリヤ書を読む①わたしに帰れ。
聖書はゼカリヤ書1章1−21節。

聞くドラマ聖書はこちら⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠http://graceandmercy.or.jp⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠
資料はこちらhttps://flic.kr/p/2qtSmFE

聖書と祈り会資料2024-11-13