杉戸キリスト教会では、毎週日曜日、朝10時過ぎから賛美と祈りを始めます。10時30分から11時45分ぐらいまで、朝の礼拝(ワーシップ)の時を持っています。夕礼拝は20時から21時です。どなたでもお集いください。あなたの上に、JESUSの愛が豊かに満ちあふれますように。
月別アーカイブ: 10月 2025
サラは心の中で笑って、こう言った October 26, 2025
「サラは心の中で笑って、こう言った」October 26, 2025
彼らはアブラハムに言った。「あなたの妻サラはどこにいますか。」彼は答えた。「天幕の中におります。」すると、そのうちの一人が言った。「わたしは来年の今ごろ、必ずあなたのところに戻って来ます。そのとき、あなたの妻サラには男の子が生まれています。」サラは、その人のうしろの、天幕の入り口で聞いていた。アブラハムとサラは年を重ねて老人になっていて、サラには女の月のものがもう止まっていた。サラは心の中で笑って、こう言った。「年老いてしまったこの私に、何の楽しみがあるでしょう。それに主人も年寄りで。」主はアブラハムに言われた。「なぜサラは笑って、『私は本当に子を産めるだろうか。こんなに年をとっているのに』と言うのか。主にとって不可能なことがあるだろうか。わたしは来年の今ごろ、定めた時に、あなたのところに戻って来る。そのとき、サラには男の子が生まれている。」サラは打ち消して言った。「私は笑っていません。」恐ろしかったのである。しかし、主は言われた。「いや、確かにあなたは笑った。」創世記18章9ー15節
主の一行はアブラハムに問います。「あなたの妻サラはどこにいますか。」彼は答えます。「天幕の中におります。」一行の一人が一年後を語ります。「わたしは来年の今ごろ、必ずあなたのところに戻って来ます。そのとき、あなたの妻サラには男の子が生まれています。」
実はこのとき、サラは天幕の入り口で聞き耳を立てていました。夫婦は高齢になり、サラは閉経を迎えていました。サラは心の中で笑って言います。「年老いてしまったこの私に、何の楽しみがあるでしょう。それに主人も年寄りで。」祈りが応えられない中で重ねた年月が、ニヒルな笑いを生みました。
サラの心の声を聞かれた主はアブラハムに言われます。「なぜサラは笑って、『私は本当に子を産めるだろうか。こんなに年をとっているのに』と言うのか。主にとって不可能なことがあるだろうか。わたしは来年の今ごろ、定めた時に、あなたのところに戻って来る。そのとき、サラには男の子が生まれている。」
主は、マムレの樫の木のところで、アブラハムに現れた October 25, 2025
「主は、マムレの樫の木のところで、アブラハムに現れた」October 25, 2025
主は、マムレの樫の木のところで、アブラハムに現れた。彼は、日の暑いころ、天幕の入り口に座っていた。彼が目を上げて見ると、なんと、三人の人が彼に向かって立っていた。アブラハムはそれを見るなり、彼らを迎えようと天幕の入り口から走って行き、地にひれ伏した。彼は言った。「主よ。もしもよろしければ、どうか、しもべのところを素通りなさらないでください。水を少しばかり持って来させますから、足を洗って、この木の下でお休みください。私は食べ物を少し持って参ります。それで元気をつけて、それから旅をお続けください。せっかく、しもべのところをお通りになるのですから。」彼らは答えた。「あなたの言うとおりにしてください。」アブラハムは、天幕のサラのところに急いで行って、「早く、三セアの上等の小麦粉をこねて、パン菓子を作りなさい」と言った。そして、アブラハムは牛のところに走って行き、柔らかくて、おいしそうな子牛を取り、若い者に渡した。若い者は手早くそれを料理した。それからアブラハムは、凝乳と牛乳と、料理した子牛を持って来て、彼らの前に出したので、彼らは食べた。彼自身は木の下で給仕をしていた。 創世記18章1ー8節
創世記18章には、「主は、マムレの樫の木のところで、アブラハムに現れた。」と書かれています。ある暑い昼間、旅人の格好をした三人の人が、アブラハムの前に立ち現れたのです。一人はやはりJESUS、あとの二人は御使いでしょう。
アブラハムは彼らを見るなり、彼らを迎えようと天幕の入り口から走って行き、地にひれ伏し、「主よ」と呼びかけて招きます。「主よ。もしもよろしければ、どうか、しもべのところを素通りなさらないでください。・・・」
彼らは「あなたの言うとおりにしてください。」とアブラハムの招きに応じました。アブラハムは妻のサラと若い者たちに急いで協力を要請し、彼自身は木の下で給仕をし、主イエスと御使いたちにおもてなしをしました。
いや、あなたの妻サラが、あなたに男の子を産むのだ October 24, 2025
「いや、あなたの妻サラが、あなたに男の子を産むのだ」October 24, 2025
神は仰せられた。「いや、あなたの妻サラが、あなたに男の子を産むのだ。あなたはその子をイサクと名づけなさい。わたしは彼と、わたしの契約を立て、それを彼の後の子孫のために永遠の契約とする。イシュマエルについては、あなたの言うことを聞き入れた。必ず、わたしは彼を祝福し、子孫に富ませ、大いに増やす。彼は十二人の族長たちを生む。わたしは彼を大いなる国民とする。しかし、わたしがわたしの契約を立てるのは、サラが来年の今ごろあなたに産むイサクとの間にである。」神はアブラハムと語り終えると、彼のもとから上って行かれた。そこでアブラハムは、その子イシュマエル、彼の家で生まれたすべてのしもべ、また、金で買い取ったすべての者、すなわち、アブラハムの家のすべての男子を集め、神が彼に告げられたとおり、その日のうちに、彼らの包皮の肉を切り捨てた。アブラハムが包皮の肉を切り捨てられたときは、九十九歳であった。その子イシュマエルは、包皮の肉に割礼を受けたとき、十三歳であった。アブラハムとその子イシュマエルは、その日のうちに割礼を受けた。彼の家の男たちはみな、家で生まれた奴隷も、異国人から金で買い取った者も、彼と一緒に割礼を受けた。創世記17章19ー27節
神はアブラハムの不信仰な提案を否定され、再度あなたの妻サラが、あなたに男の子を産むと約束されます。「その子をイサクと名づけなさい」と神は命じられます。そして神はイサクと契約を立て、後の子孫のために永遠の契約とすると約束されます。
イシュマエルについては、言うことを聞き入れ、必ず彼を祝福し、子孫に富ませ、大いに増やすと約束されます。「しかし、わたしがわたしの契約を立てるのは、サラが来年の今ごろあなたに産むイサクとの間にである。」と主は念を押されます。
神はアブラハムと語り終えると、彼のもとから上って行かれました。アブラハムは、素直に神の約束を受け入れ、その子イシュマエルと家のすべての男子を集め、神が彼に告げられたとおり、その日彼らの包皮の肉を切り捨て、割礼を受けました。
アブラハムはひれ伏して、笑った October 23, 2025
「アブラハムはひれ伏して、笑った」October 23, 2025
また神はアブラハムに仰せられた。「あなたの妻サライは、その名をサライと呼んではならない。その名はサラとなるからだ。わたしは彼女を祝福し、彼女によって必ずあなたに男の子を与える。わたしは彼女を祝福する。彼女は国々の母となり、もろもろの民の王たちが彼女から出てくる。」アブラハムはひれ伏して、笑った。そして心の中で言った。「百歳の者に子が生まれるだろうか。サラにしても、九十歳の女が子を産めるだろうか。」そして、アブラハムは神に言った。「どうか、イシュマエルが御前で生きますように。」創世記17章15ー18節
アブラムに新しい名前アブラハムが与えられたように、妻のサライにも新しい名前サラが与えられます。そして神は、「わたしは彼女を祝福し、彼女によって必ずあなたに男の子を与える。わたしは彼女を祝福する。彼女は国々の母となり、もろもろの民の王たちが彼女から出てくる。」と具体的に約束されました。
その時アブラハムはひれ伏して笑いました。作り笑いです。心の中では、以下のように言ったからです。「百歳の者に子が生まれるだろうか。サラにしても、九十歳の女が子を産めるだろうか。」この後に「無理無理、絶対無理!」という言葉が続きそうです。だから「どうか、イシュマエルが御前で生きますように。」という言葉をアブラハムは口にしたのです。
信仰の父アブラハムでさえ、約25年も待たされた結果、閉塞感に囚われ、もはや神の約束を信じることは不可能になっていたのです。しかし全能の神は、閉塞感という名の不信仰を突き破って約束を出来事にしてくださり、嘆きの日は終わりを告げます。
聖書と祈り会2025-10-22 破れ口に立つ者を探し求める神
2025年10月22日の聖書と祈り会メッセージ。破れ口に立つ者を探し求める神。
聖書はエゼキエル書22章1−31節。
ともに聞く聖書はこちらhttp://graceandmercy.or.jp。
資料はこちらhttps://flic.kr/p/2rANJMj
割礼・信仰によって義と認められたことの証印 October 22, 2025
「割礼・信仰によって義と認められたことの証印」October 22, 2025
また神はアブラハムに仰せられた。「あなたは、わたしの契約を守らなければならない。あなたも、あなたの後の子孫も、代々にわたって。次のことが、わたしとあなたがたとの間で、またあなたの後の子孫との間で、あなたがたが守るべきわたしの契約である。あなたがたの中の男子はみな、割礼を受けなさい。あなたがたは自分の包皮の肉を切り捨てなさい。それが、わたしとあなたがたとの間の契約のしるしとなる。 あなたがたの中の男子はみな、代々にわたり、生まれて八日目に割礼を受けなければならない。家で生まれたしもべも、異国人から金で買い取られた、あなたの子孫ではない者もそうである。あなたの家で生まれたしもべも、金で買い取った者も、必ず割礼を受けなければならない。わたしの契約は、永遠の契約として、あなたがたの肉に記されなければならない。包皮の肉を切り捨てられていない無割礼の男、そのような者は、自分の民から断ち切られなければならない。わたしの契約を破ったからである。」 創世記17章9ー14節
神はアブラハムに、神との契約を守るしるしとして割礼を求められました。割礼とは、男子の包皮の肉を切り捨てることです。「男子はみな、代々にわたり、生まれて八日目に割礼を受けなければならない」と神は命じられました。新約聖書ローマ人への手紙4章には、「アブラハムは信仰によって義と認められたことの証印として割礼を受けた」と教えられています。新約時代に、割礼は洗礼にとって代わりました。
それでは、この幸いは、割礼のある者にだけ与えられるのでしょうか。それとも、割礼のない者にも与えられるのでしょうか。私たちは、「アブラハムには、その信仰が義と認められた」と言っていますが、どのようにして、その信仰が義と認められたのでしょうか。割礼を受けてからですか。割礼を受けていないときですか。割礼を受けてからではなく、割礼を受けていないときです。彼は、割礼を受けていないときに信仰によって義と認められたことの証印として、割礼というしるしを受けたのです。それは、彼が、割礼を受けないままで信じるすべての人の父となり、彼らも義と認められるためであり、また、単に割礼を受けているだけではなく、私たちの父アブラハムが割礼を受けていなかったときの信仰の足跡にしたがって歩む者たちにとって、割礼の父となるためでした。ローマ人への手紙4章9ー12節



