決してばかにしているわけではなく

決してばかにしているわけではなく

キリスト教会にはいろんな人から電話がかかってくる。
お金に困っているから送金してほしいという人はとても多い。

臨機応変だが、お金に困っている人には、
必要をJESUSに祈り求めることをお勧めする。

決してばかにしているわけではなく、私自身、
「私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください。」と
日々祈り求めることで、今日も生かされているから。

牧師と牧師家族は、霞を食べて生きているわけではなく、
天の父なる神、JESUS、聖霊の三位一体の神によって、
養われ生かされているから。

収入を得るために必要なものがいくつかある。
いのち・身体の健康。
働きたいという思い・心の健康。
雇ってくれる職場と任される仕事。
その職場でその仕事を成し遂げるための能力や才能。

どれが欠けても収入を得ることができない。
このすべてを、JESUSが与え、あなたを養い育ててくださる。

動かざることシオンの山の如し April 2, 2025

「動かざることシオンの山の如し」April 2, 2025

詩篇125篇は、六つ目の都上りの讃美歌。
もしあなたが主(JESUS)に信頼し、
JESUSを人生の土台とするなら、
あなたの人生は、動かざることシオンの山の如しとされる。

詩篇125篇 都上りの歌。
主に信頼する人々はシオンの山のようだ。
揺るぐことなく とこしえにながらえる。
エルサレムを山々が取り囲んでいるように
主は御民を 今よりとこしえまでも囲まれる。
それは 悪の杖が
正しい人の割り当て地の上にとどまることがなく
正しい人が不正なことに
手を伸ばさないようにするためだ。
主よ 善良な人々や心の直ぐな人々に
いつくしみを施してください。
主は 曲がった道にそれる者どもを
不法を行う者どもとともに追い出される。
イスラエルの上に平和があるように。

もしも主が私たちの味方でなかったなら April 1, 2025

「もしも主が私たちの味方でなかったなら」April 1, 2025

詩篇124篇は、五つ目の都上りの讃美歌。
もしも 主が私たちの味方でなかったなら、
今頃どうなっていたのかを思い巡らす中で、
天地を造られた主に向かって賛美が溢れ出す。

詩篇124篇 都上りの歌。ダビデによる。
「もしも 主が私たちの味方でなかったなら。」
さあ イスラエルは言え。

「もしも 主が私たちの味方でなかったなら
人々が敵対してきたとき
そのとき 彼らは私たちを生きたまま
丸吞みにしていたであろう。
彼らの怒りが私たちに向かって燃え上がったとき
そのとき 大水は私たちを押し流し
濁流は私たちを越えて行ったであろう。
そのとき 荒れ狂う水は
私たちを越えて行ったであろう。」

ほむべきかな 主。
主は私たちを 彼らの歯の餌食にされなかった。
鳥のように 私たちのたましいは
仕掛けられた罠から助け出された。
罠は破られ 私たちは助け出された。
私たちの助けは
天地を造られた主の御名にある。