アブラハムはひれ伏して、笑った October 23, 2025

「アブラハムはひれ伏して、笑った」October 23, 2025

2025-10-23

また神はアブラハムに仰せられた。「あなたの妻サライは、その名をサライと呼んではならない。その名はサラとなるからだ。わたしは彼女を祝福し、彼女によって必ずあなたに男の子を与える。わたしは彼女を祝福する。彼女は国々の母となり、もろもろの民の王たちが彼女から出てくる。」アブラハムはひれ伏して、笑った。そして心の中で言った。「百歳の者に子が生まれるだろうか。サラにしても、九十歳の女が子を産めるだろうか。」そして、アブラハムは神に言った。「どうか、イシュマエルが御前で生きますように。」創世記17章15ー18節

アブラムに新しい名前アブラハムが与えられたように、妻のサライにも新しい名前サラが与えられます。そして神は、「わたしは彼女を祝福し、彼女によって必ずあなたに男の子を与える。わたしは彼女を祝福する。彼女は国々の母となり、もろもろの民の王たちが彼女から出てくる。」と具体的に約束されました。

その時アブラハムはひれ伏して笑いました。作り笑いです。心の中では、以下のように言ったからです。「百歳の者に子が生まれるだろうか。サラにしても、九十歳の女が子を産めるだろうか。」この後に「無理無理、絶対無理!」という言葉が続きそうです。だから「どうか、イシュマエルが御前で生きますように。」という言葉をアブラハムは口にしたのです。

信仰の父アブラハムでさえ、約25年も待たされた結果、閉塞感に囚われ、もはや神の約束を信じることは不可能になっていたのです。しかし全能の神は、閉塞感という名の不信仰を突き破って約束を出来事にしてくださり、嘆きの日は終わりを告げます。

割礼・信仰によって義と認められたことの証印 October 22, 2025

「割礼・信仰によって義と認められたことの証印」October 22, 2025

また神はアブラハムに仰せられた。「あなたは、わたしの契約を守らなければならない。あなたも、あなたの後の子孫も、代々にわたって。次のことが、わたしとあなたがたとの間で、またあなたの後の子孫との間で、あなたがたが守るべきわたしの契約である。あなたがたの中の男子はみな、割礼を受けなさい。あなたがたは自分の包皮の肉を切り捨てなさい。それが、わたしとあなたがたとの間の契約のしるしとなる。 あなたがたの中の男子はみな、代々にわたり、生まれて八日目に割礼を受けなければならない。家で生まれたしもべも、異国人から金で買い取られた、あなたの子孫ではない者もそうである。あなたの家で生まれたしもべも、金で買い取った者も、必ず割礼を受けなければならない。わたしの契約は、永遠の契約として、あなたがたの肉に記されなければならない。包皮の肉を切り捨てられていない無割礼の男、そのような者は、自分の民から断ち切られなければならない。わたしの契約を破ったからである。」 創世記17章9ー14節

神はアブラハムに、神との契約を守るしるしとして割礼を求められました。割礼とは、男子の包皮の肉を切り捨てることです。「男子はみな、代々にわたり、生まれて八日目に割礼を受けなければならない」と神は命じられました。新約聖書ローマ人への手紙4章には、「アブラハムは信仰によって義と認められたことの証印として割礼を受けた」と教えられています。新約時代に、割礼は洗礼にとって代わりました。

それでは、この幸いは、割礼のある者にだけ与えられるのでしょうか。それとも、割礼のない者にも与えられるのでしょうか。私たちは、「アブラハムには、その信仰が義と認められた」と言っていますが、どのようにして、その信仰が義と認められたのでしょうか。割礼を受けてからですか。割礼を受けていないときですか。割礼を受けてからではなく、割礼を受けていないときです。彼は、割礼を受けていないときに信仰によって義と認められたことの証印として、割礼というしるしを受けたのです。それは、彼が、割礼を受けないままで信じるすべての人の父となり、彼らも義と認められるためであり、また、単に割礼を受けているだけではなく、私たちの父アブラハムが割礼を受けていなかったときの信仰の足跡にしたがって歩む者たちにとって、割礼の父となるためでした。ローマ人への手紙4章9ー12節

アブラムからアブラハムへ October 21, 2025

「アブラムからアブラハムへ」October 21, 2025

さて、アブラムが九十九歳のとき、主はアブラムに現れ、こう言われた。「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前に歩み、全き者であれ。わたしは、わたしの契約を、わたしとあなたとの間に立てる。わたしは、あなたを大いに増やす。」アブラムはひれ伏した。神は彼にこう告げられた。「これが、あなたと結ぶわたしの契約である。あなたは多くの国民の父となる。あなたの名は、もはや、アブラムとは呼ばれない。あなたの名はアブラハムとなる。わたしがあなたを多くの国民の父とするからである。わたしは、あなたをますます子孫に富ませ、あなたをいくつもの国民とする。王たちが、あなたから出てくるだろう。わたしは、わたしの契約を、わたしとあなたとの間に、またあなたの後の子孫との間に、代々にわたる永遠の契約として立てる。わたしは、あなたの神、あなたの後の子孫の神となる。わたしは、あなたの寄留の地、カナンの全土を、あなたとあなたの後の子孫に永遠の所有として与える。わたしは彼らの神となる。」創世記17章1ー8節

アブラムが九十九歳のとき、主なる神が全能の神として現れ、アブラムに新しい名前を与えられます。それがアブラハムという名前です。アブラムからアブラハムへ。新しい名前には「ハ」が入ったので、入れ歯をした人とも言われます。

新しい名前アブラハムには、「多くの国民の父」という意味が込められています。全能の神が、アブラムをアブラハム、すなわち多くの国民の父とするという約束とともに与えられた新しい名前でした。そして全能の神が、以下のような永遠の契約を立ててくださいました。アブラハムの神が、アブラハムを全世界のすべての国民の信仰の父とするという契約です。

「わたしは、あなたを子孫に富ませ、いくつもの国民とする。王たちがあなたから出てくる。わたしは、わたしの契約を、わたしとあなたとの間に、またあなたの後の子孫との間に、代々にわたる永遠の契約として立てる。わたしは、あなたの神、あなたの後の子孫の神となる。わたしは、あなたの寄留の地、カナンの全土を、あなたとあなたの後の子孫に永遠の所有として与える。わたしは彼らの神となる。」

あなたはどこから来て、どこへ行くのか October 20, 2025

「あなたはどこから来て、どこへ行くのか」October 20, 2025

主の使いは、荒野にある泉のほとり、シュルへの道にある泉のほとりで、彼女を見つけた。そして言った。「サライの女奴隷ハガル。あなたはどこから来て、どこへ行くのか。」すると彼女は言った。「私の女主人サライのもとから逃げているのです。」主の使いは彼女に言った。「あなたの女主人のもとに帰りなさい。そして、彼女のもとで身を低くしなさい。」また、主の使いは彼女に言った。「わたしはあなたの子孫を増し加える。それは、数えきれないほど多くなる。」さらに、主の使いは彼女に言った。「見よ。あなたは身ごもって男の子を産もうとしている。その子をイシュマエルと名づけなさい。主が、あなたの苦しみを聞き入れられたから。彼は、野生のろばのような人となり、その手は、すべての人に逆らい、すべての人の手も、彼に逆らう。彼は、すべての兄弟に敵対して住む。」そこで、彼女は自分に語りかけた主の名を「あなたはエル・ロイ」と呼んだ。彼女は、「私を見てくださる方のうしろ姿を見て、なおも私がここにいるとは」と言ったのである。それゆえ、その井戸はベエル・ラハイ・ロイと呼ばれた。それは、カデシュとベレデの間にある。ハガルはアブラムに男の子を産んだ。アブラムは、ハガルが産んだその男の子をイシュマエルと名づけた。ハガルがアブラムにイシュマエルを産んだとき、アブラムは八十六歳であった。創世記16章7ー16節

主の使いは、荒野にある泉のほとり、シュルへの道にある泉のほとりで、サライの女奴隷ハガルを見つけて問いかけました。「サライの女奴隷ハガル。あなたはどこから来て、どこへ行くのか。」

ハガルは正直に答えます。「私の女主人サライのもとから逃げているのです。」主の使いは語ります。「あなたの女主人のもとに帰り、彼女のもとで身を低くせよ。」「わたしはあなたの子孫を増し加え、数えきれないほど多くなる。」「あなたは身ごもって男の子を産む。イシュマエルと名づけよ。主が、あなたの苦しみを聞き入れられたから。彼は、野生のろばのような人となり、その手はすべての人に逆らう。」

ハガルは自分に語りかけた主の名を「あなたはエル・ロイ」と呼びました。彼女は、「私を見てくださる方のうしろ姿を見て、なおも私がここにいるとは」と言ったのです。「あなたはどこから来て、どこへ行くのか。」この問いはあなたにも語られています。

人間的な小細工がもたらしたもの October 19, 2025

「人間的な小細工がもたらしたもの」October 19, 2025

アブラムの妻サライは、アブラムに子を産んでいなかった。彼女にはエジプト人の女奴隷がいて、その名をハガルといった。サライはアブラムに言った。「ご覧ください。主は私が子を産めないようにしておられます。どうぞ、私の女奴隷のところにお入りください。おそらく、彼女によって、私は子を得られるでしょう。」アブラムはサライの言うことを聞き入れた。アブラムの妻サライは、アブラムがカナンの地に住んでから十年後に、彼女の女奴隷であるエジプト人ハガルを連れて来て、夫アブラムに妻として与えた。彼はハガルのところに入り、彼女は身ごもった。彼女は、自分が身ごもったのを知って、自分の女主人を軽く見るようになった。サライはアブラムに言った。「私に対するこの横暴なふるまいは、あなたの上に降りかかればよいのです。この私が自分の女奴隷をあなたの懐に与えたのに、彼女は自分が身ごもったのを知って、私を軽く見るようになりました。主が、私とあなたの間をおさばきになりますように。」アブラムはサライに言った。「見なさい。あなたの女奴隷は、あなたの手の中にある。あなたの好きなようにしなさい。」それで、サライが彼女を苦しめたので、彼女はサライのもとから逃げ去った。創世記16章1ー6節

神の約束を信じることができず、人間的な小細工によって神の約束を実現させようとしたアブラム夫妻の赤裸々な姿が記録されています。アブラムの妻サライは、エジプト人の女奴隷ハガルを夫アブラムに妻として与えて、子どもを得ようとしたのです。

アブラムはハガルのところに入り、彼女は身ごもりました。ハガルは自分が身ごもったのを知って、自分の女主人サライを見下します。見下されたサライはアブラムに言います。「私に対するこの横暴なふるまいは、あなたの上に降りかかればよいのです。主が、私とあなたの間をおさばきになりますように。」

アブラムもまた、身勝手なことをサライに言います。「見なさい。あなたの女奴隷は、あなたの手の中にある。あなたの好きなようにしなさい。」それで、サライが彼女を苦しめたので、彼女はサライのもとから逃げ去りました。まさに人格尊厳委員会が必要とされるアブラム夫妻によるハラスメント案件です。

信仰の父としての風格 October 15, 2025

「信仰の父としての風格」October 15, 2025

ソドムの王はアブラムに言った。「人々は私に返し、財産はあなたが取ってください。」アブラムはソドムの王に言った。「私は、いと高き神、天と地を造られた方、主に誓う。糸一本、履き物のひも一本さえ、私はあなたの所有物から何一つ取らない。それは、『アブラムを富ませたのは、この私だ』とあなたが言わないようにするためだ。ただ、若い者たちが食べた物と、私と一緒に行動した人たちの取り分は別だ。アネルとエシュコルとマムレには、彼らの取り分を取らせるように。」創世記14章21ー24節

邪悪で、主に対して甚だしく罪深い者たちが住むソドムの王は、「人々は私に返し、財産はあなたが取ってください。」とアブラムを迎えました。アブラムはソドムの王に以下のように語ります。ソドムの王に対するアブラムの言葉に、信仰の父としての風格がにじみ出ています。

「私は、いと高き神、天と地を造られた方、主に誓う。糸一本、履き物のひも一本さえ、私はあなたの所有物から何一つ取らない。それは、『アブラムを富ませたのは、この私だ』とあなたが言わないようにするためだ。ただ、若い者たちが食べた物と、私と一緒に行動した人たちの取り分は別だ。アネルとエシュコルとマムレには、彼らの取り分を取らせるように。」

サレムの王メルキゼデク October 14, 2025

「サレムの王メルキゼデク」October 14, 2025

アブラムが、ケドルラオメルと彼に味方する王たちを打ち破って戻って来たとき、ソドムの王は、シャベの谷すなわち王の谷まで、彼を迎えに出て来た。また、サレムの王メルキゼデクは、パンとぶどう酒を持って来た。彼はいと高き神の祭司であった。彼はアブラムを祝福して言った。「アブラムに祝福あれ。いと高き神、天と地を造られた方より。いと高き神に誉れあれ。あなたの敵をあなたの手に渡された方に。」 アブラムはすべての物の十分の一を彼に与えた。創世記14章17ー20節

アブラムが戻って来た時、二人の王がアブラムを迎えました。サレムの王とソドムの王です。サレムの王メルキゼデクは、いと高き神の祭司としてパンとぶどう酒を持ってアブラムを迎え、祝福の言葉を語りました。「アブラムに祝福あれ。いと高き神、天と地を造られた方より。いと高き神に誉れあれ。あなたの敵をあなたの手に渡された方に。」メルキゼデクについて、ヘブル人への手紙7章1ー4節では以下のように語られています。

このメルキゼデクはサレムの王で、いと高き神の祭司でしたが、アブラハムが王たちを打ち破って帰るのを出迎えて祝福しました。アブラハムは彼に、すべての物の十分の一を分け与えました。彼の名は訳すと、まず「義の王」、次に「サレムの王」、すなわち「平和の王」です。父もなく、母もなく、系図もなく、生涯の初めもなく、いのちの終わりもなく、神の子に似た者とされて、いつまでも祭司としてとどまっているのです。さて、その人がどんなに偉大であったかを考えてみなさい。族長であるアブラハムでさえ、彼に一番良い戦利品の十分の一を与えました。

実にメルキゼデクは、受肉前にパンとぶどう酒を持って現れてくださったJESUSなのです。アブラムは自発的に、喜んで、すべての物の十分の一をメルキゼデク(JESUS)に与えました。ここに十分の一献金の起源があります。