「良いことにさえ沈黙すると」June 6, 2025

「良いことにさえ沈黙すると」June 6, 2025

詩篇39篇は、指揮者エドトンのために。ダビデの賛歌。
良いことにさえ沈黙すると、私の痛みは激しくなった。

私は言った。
私は自分の道に気をつけよう。
私が舌で罪を犯さないように。
口に口輪をはめておこう。
悪しき者が私の前にいる間は。
私はひたすら黙っていた。
良いことにさえ沈黙した。
そのため私の痛みは激しくなった。
心は私のうちで熱くなり
うめきとともに 火が燃え上がった。
そこで私は自分の舌で言った。

主よ お知らせください。
私の終わり 私の齢がどれだけなのか。
私がいかにはかないかを 知ることができるように。
ご覧ください。
あなたは 私の日数を手幅ほどにされました。
あなたの御前では 私の一生はないも同然です。
人はみなしっかり立ってはいても
実に空しいかぎりです。 セラ
まことに 人は幻のように歩き回り
まことに 空しく立ち騒ぎます。
人は蓄えるが だれのものになるのか知りません。

主よ 今 私は何を待ち望みましょう。
私の望み それはあなたです。
私のすべての背きから 私を助け出してください。
私を 愚か者のそしりの的としないでください。
私は黙し 口を開きません。
あなたがそうなさったからです。
どうか あなたのむちを取り去ってください。
あなたの手に打たれて 私は衰え果てました。
あなたは 不義を責めて人を懲らしめ
シミが食うように人の欲するものをなくされます。
実に 人はみな空しいものです。 セラ

主よ 私の祈りを聞いてください。
助けを求める叫びに 耳を傾けてください。
私の涙に 黙っていないでください。
私は あなたとともにいる旅人
すべての先祖のように 寄留の者なのです。
私を見つめないでください。
私が朗らかになれるようにしてください。
私が去って いなくなる前に。

悪を良いことに変えてくださる神 January 17, 2025

「悪を良いことに変えてくださる神」January 17, 2025

創世記は50章まであるが、37章以降はヨセフのストーリーが主に語られる。
イスラエル(ヤコブ)はヨセフが年寄り子だったので、
息子たちのだれよりもヨセフを偏愛する。

さらに17歳のヨセフは夢見人(ドリーマー)で、
不遜な夢を兄たちに告げる。
ますます兄たちはヨセフを憎み、
遂にヨセフは兄たちに売られ、エジプトに奴隷として連れて行かれる。

主がヨセフとともにおられたので、ヨセフは成功する者となり、
幾多の困難の中でもエジプトで出世する。
やがてヨセフはエジプトの王ファラオに仕え、
エジプトとイスラエル家族を大飢饉から救う。

その後、父イスラエルが天に召された後、
復讐を恐れる兄たちを前にしてヨセフが語ったのが以下の言葉。

あなたがたは私に悪を謀りましたが、
神はそれを、良いことのための計らいとしてくださいました。
それは今日のように、多くの人が生かされるためだったのです。
(創世記50章20節)

刺繍の裏側のような現実、
もつれて絡まった糸のような私たちの人生において、
神は悪い糸でさえ用いて、やがて一枚の美しい刺繍絵を完成させてくださる。