あなたの口を大きく開けよ January 8, 2025

「あなたの口を大きく開けよ」January 8, 2025

信仰は必ず、祈りというアクションになる。
信仰が大きければ、口を大きく開けて祈る。
信仰が小さければ、口を小さく開けて祈る。

口を大きく開けるとは、大きな神に願い求める祈り。
口を小さく開けるとは、小さな神に願い求める祈り。

JESUSがThe Bibleと聖霊によって、
私たちの信仰を大きくしてくださり、
私たちが口を大きく開けて祈ることができますように!
JESUSが満たしてくださることを体験できますように!

わたしは あなたの神 主である。
わたしが あなたをエジプトの地から連れ上った。
あなたの口を大きく開けよ。わたしが それを満たそう。
しかし わたしの民はわたしの声を聞かず
イスラエルは わたしに服従しなかった。

それでわたしは 彼らを頑なな心のままに任せ
自分たちのはかりごとのままに歩ませた。
ああ ただ わたしの民がわたしに聞き従い
イスラエルがわたしの道を歩んでいたなら。
わたしはただちに 彼らの敵を征服し
彼らに逆らう者に 手を下したのに。
主を憎む者どもは主にへつらうが
彼らの刑罰の時は永遠にまで至る。
しかし主は 最良の小麦を御民に食べさせる。
わたしは岩から滴る蜜で あなたを満ち足らせる。」
(旧約聖書詩篇81篇10−16節)

The Bibleとユダヤ人の奥義 January 5, 2025

「The Bibleとユダヤ人の奥義」January 5, 2025

The Bibleには、旧約聖書と新約聖書があるが、
旧約聖書がなければ、新約聖書はない。

理由は、The Bibleを富士山に例えるとわかりやすい。
旧約聖書は、雄大な裾野から五合目までの下半分で、
新約聖書は、五合目から頂上までの上半分だから。

そして、実はユダヤ人がいなければ、
旧約聖書も新約聖書もなくなってしまう。

なぜなら、
旧約聖書はユダヤ人の言葉(ヘブル語)で書かれており、
それを書くように啓示と霊感を受けたのはユダヤ人だから。

そして、
新約聖書でメシアとして来られたJESUSもユダヤ人、
JESUSはユダヤ人の祖アブラハムの子孫、ダビデの子孫だから。

さらに、
JESUSの12弟子もユダヤ人、
ペンテコステ(聖霊降臨祭)によって、
最初のセンターチャーチとされたエルサレム教会も、
JESUSを信じたユダヤ人(メシアニック・ジュー)が核となっていたから。

そして新約聖書のほとんどの手紙を書いたのは生粋のユダヤ人パウロ。

反ユダヤ主義や置換神学が、
いかに反聖書的か、
あなたにもぜひ理解していただきたいと切に祈りつつ。

主はアブラム(ユダヤ人の祖、後のアブラハム)に言われた。
「あなたは、あなたの土地、あなたの親族、あなたの父の家を離れて、
わたしが示す地へ行きなさい。
そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、
あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとする。
あなたは祝福となりなさい。
わたしは、あなたを祝福する者を祝福し、
あなたを呪う者をのろう。
地のすべての部族は、あなたによって祝福される。」
(旧約聖書創世記12章1ー3節)

聖書=聖なる神の書 (HOLY BIBLE) January 4, 2025

「聖書=聖なる神の書 (HOLY BIBLE) 」January 4, 2025

The Bibleは、全部で六十六巻。
旧約聖書三十九巻がヘブル語で書き記され、
新約聖書二十七巻はギリシア語で書き記されている。
(3x9=27と覚えると思い出しやすい)

実はヘブル語には句読点(, . ? !など)がない。
びっくりマーク・エクスクラメーションマーク(!)もない。
だから強調したい時は、
アーメン、アーメン(まことに、まことに)
のように2回繰り返す。
 
最も強調したい時は、3回繰り返す。
これは超レアなケースで、
旧約と新約に1回ずつしか使われていない。
旧約と新約に1回ずつしか使われていない。
旧約と新約に1回ずつしか使われていない。
それは以下のみことば。

「聖なる、聖なる、聖なる、万軍の主。
 その栄光は全地に満ちる。」
(旧約聖書イザヤ書6章3節)

「聖なる、聖なる、聖なる、主なる神、全能者。
 昔おられ、今もおられ、やがて来られる方。」
(新約聖書ヨハネの黙示録4章8節)

3回繰り返されて最も強調されているのは、
いずれも The Bibleの神が、
聖なる、聖なる、聖なる神であるということ。

「聖なる」とは、「比類なき」という意味だ。
比類なき、比類なき、比類なき、主なる神。
あなたのような神はどこにもいない。
あなたこそ最高の神、最善の神、王の王、主の主。
私たちのための聖なる神、
私たちとともにおられる聖なる神、
私たちのために命をかけて、愛しておられる聖なる神。

実に聖書は、そのような聖なる神の書である。
The Bibleを聖書と訳してくださった方に、
心から感謝する。

天地創造は驚くほど科学的 January 2, 2025

「天地創造は驚くほど科学的」January 2, 2025

The Bibleの最初のページには、
地球表面から天地を眺めるという視点から、
壮大な天地創造における地球の原風景が描かれている。

はじめに神が天と地を創造された。
地は茫漠として何もなく、
闇が大水の面の上にあり、
神の霊がその水の面を動いていた。

(旧約聖書 創世記1章1−2節)

宇宙(大気圏外)から地球を眺める視点ではなく、
地球表面から眺めるその視点(パースペクティブ)で見ると、
The Bibleが語る天地創造は、驚くほど科学的だ。

闇を突き破って光が差し込み、夜明けを迎える地球表面。
光によって水が暖められ、水蒸気が大空の上に立ち上る。
地と海が分けられ、地の上に種類ごとに植物が創造される。
植物などによって大気が澄み、地上から天体観測が可能に。
水中生物と空の鳥たちが、種類ごとに創造され、祝福される。
地上の生き物が種類ごとに創造され、
人間が神のかたちとして創造され、祝福される。
6日間の天地創造後、7日目に創造のわざをやめられる。

あなたを背負い続ける神 December 21, 2024

「あなたを背負い続ける神」December 21, 2024

世界中に、数えきれない神々がいる。
日本だけでも八百万(やおよろず)の神々がいると言われる。
それらは人間が造ったり、祭り上げた神々だ。

それに対して、
The Bibleの神は、
人間と万物を造られた唯一無二の神。

人間が造った神と人間を造られた神。
最もわかりやすい両者の比較は、
旧約聖書イザヤ書46章にある。
一言で言うなら、
背負われる神か、背負う神かの違いである。

人間が造った神々、
例えば仏像や仏壇などは背負われる神。
獣や家畜に載せられ、疲れた動物の重荷となって運ばれる。
あるいは人に背負われ、車やトラックなどで運ばれる。

それに対して、人間を造られた神は背負う神。
人間と万物を造られた唯一無二の神は、
以下のように語られる。

ヤコブの家よ、わたしに聞け。
イスラエルの家のすべての残りの者よ。
胎内にいたときから担がれ、生まれる前から運ばれた者よ。
あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。
あなたがたが白髪になっても、わたしは背負う。
わたしはそうしてきたのだ。
わたしは運ぶ。背負って救い出す。
(旧約聖書 イザヤ書46章3−4節)

両者には天と地の違いがある。

JESUSに従うなら December 20, 2024

「JESUSに従うなら」December 20, 2024

The Bibleを貫いている原則がある。
それは、神に従うことの大切さ。

以下のみことばにおいても、
JESUSに従うことが、
約束のものを得る条件になっている。

「わたしは世の光です。
 わたしに従う者は、
 決して闇の中を歩むことがなく、
 いのちの光を持ちます。」
(ヨハネの福音書8章12節)

愚痴を言いながらでもいい。
とにかくJESUSに従うなら、
あなたもシモン・ペテロのように、
驚くばかりの神体験へと招かれる。

話が終わるとシモンに言われた。
「深みに漕ぎ出し、網を下ろして魚を捕りなさい。」
すると、シモンが答えた。
「先生。私たちは夜通し働きましたが、
 何一つ捕れませんでした。
 でも、おことばですので、
 網を下ろしてみましょう。」
 そして、そのとおりにすると、
 おびただしい数の魚が入り、
 網が破れそうになった。
(ルカの福音書5章4−6節)

休むことは罪ではない December 17, 2024

「休むことは罪ではない」December 17, 2024

真面目すぎる人は、休むことができない。
なぜなら、休むことは罪だと考えているから。

けれども、休まなければ、良い働きはできない。
疲れやストレスを抱えたままでは、良い働きはできない。
ミスやトラブル、事故や怪我を予防するためにも、
しっかりと休むことが大切だ。

休みなく働き続けると、
身体と心が壊れてしまうのは時間の問題だ。
心が壊れて、うつ病、燃え尽き症候群、
パニック症、適応障害などになると、
長期リハビリが必要になる。

だからJESUSは、あなたに声をかけておられる。

すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。
わたしがあなたがたを休ませてあげます。
わたしは心が柔和でへりくだっているから、
あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。
そうすれば、たましいに安らぎを得ます。
わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。
(新約聖書マタイの福音書11章28ー30節)

JESUSのもとに行くと、十分な休みを取ることができる。

実は十戒の安息日に関する教えにおいて、
休むことは罪ではないということが明記されている。

安息日を覚えて、これを聖なるものとせよ。
六日間働いて、あなたのすべての仕事をせよ。
七日目は、あなたの神、主の安息である。
あなたはいかなる仕事もしてはならない。
あなたも、あなたの息子や娘も、
それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、
またあなたの町囲みの中にいる寄留者も。
それは主が六日間で、天と地と海、
またそれらの中のすべてのものを造り、
七日目に休んだからである。
それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものとした。
(旧約聖書出エジプト記20章8ー11節)