詩篇119篇 ツァデ March 21, 2025

「詩篇119篇 ツァデ」March 21, 2025

あなたの義のわざは 永遠の義
あなたのみおしえは まことです。

詩篇119篇はヘブル語いろは歌。
137節から144節は
ツァデ(ヘブル語アルファベット18文字目)の歌。
行頭にツァデで始まる単語が並ぶ。
キーワードは「永遠の義」。
キーフレーズは上記の通り。

主よ あなたは正しくあられます。
あなたのさばきは真っ直ぐです。
義をもって あなたはさとしを与えられました。
この上もない真実をもって。
私の激しい思いは私を滅ぼし尽くすほどです。
私の敵があなたのみことばを忘れているからです。
あなたのみことばは よく錬られていて
あなたのしもべはそれを愛しています。
私は取るに足りない者で 蔑まれています。
しかし あなたの戒めを忘れてはいません。
あなたの義のわざは 永遠の義
あなたのみおしえは まことです。
苦難と窮乏が私に襲いかかっています。
しかし あなたの仰せは私の喜びです。
あなたのさとしは 永遠に義です。
私に悟らせ 私を生かしてください。

ヘブル語聖書詩篇119ツァデ

神のかたち・義の完成 礼拝のご案内

杉戸キリスト教会では、3つの密(密閉、密集、密接)を避ける配慮をしつつ、集まる礼拝をしています。マスクをもってお集いください。第一礼拝は10時半から、夕礼拝は20時からです。日曜午後からは、この杉戸キリスト教会のホームページにて礼拝メッセージを配信しています。ご利用ください。なお、現在スマイルキッズ礼拝とJJ礼拝はお休みしています。第一礼拝もしくは夕礼拝にお集いください。

神のかたち・義の完成

杉戸キリスト教会地図2016

信仰によってのみ義とされる

信仰によってのみ義とされる

杉戸キリスト教会地図2016

信仰によって義と認められる

信仰によって義と認められる

杉戸キリスト教会地図2016

主日礼拝メッセージ「義と平和と聖霊による喜び」ローマ37

主日礼拝メッセージ「義と平和と聖霊による喜び」ローマ37(クリックで聴けます)

聖書箇所:ローマ人への手紙14章13ー23節

15 もし、食べ物のことで、あなたの兄弟が心を痛めているのなら、あなたはもはや愛によって行動しているのではありません。キリストが代わりに死んでくださったほどの人を、あなたの食べ物のことで、滅ぼさないでください。16 ですから、あなたがたが良いとしている事がらによって、そしられないようにしなさい。17 なぜなら、神の国は飲み食いのことではなく、義と平和と聖霊による喜びだからです。18 このようにキリストに仕える人は、神に喜ばれ、また人々にも認められるのです。 19 そういうわけですから、私たちは、平和に役立つことと、お互いの霊的成長に役立つこととを追い求めましょう。20 食べ物のことで神のみわざを破壊してはいけません。すべての物はきよいのです。しかし、それを食べて人につまずきを与えるような人の場合は、悪いのです。21 肉を食べず、ぶどう酒を飲まず、そのほか兄弟のつまずきになることをしないのは良いことなのです。 22 あなたの持っている信仰は、神の御前でそれを自分の信仰として保ちなさい。自分が、良いと認めていることによって、さばかれない人は幸福です。23 しかし、疑いを感じる人が食べるなら、罪に定められます。なぜなら、それが信仰から出ていないからです。信仰から出ていないことは、みな罪です。ローマ14章15−23節

礼拝メッセージ「つまずきの石」ローマ24

礼拝メッセージ「つまずきの石」ローマ24(クリックで聴けます)

聖書箇所:ローマ人への手紙9章30ー33節

30 では、どういうことになりますか。義を追い求めなかった異邦人は義を得ました。すなわち、信仰による義です。31 しかし、イスラエルは、義の律法を追い求めながら、その律法に到達しませんでした。 32 なぜでしょうか。信仰によって追い求めることをしないで、行いによるかのように追い求めたからです。彼らは、つまずきの石につまずいたのです。 33 それは、こう書かれているとおりです。「見よ。わたしは、シオンに、つまずきの石、妨げの岩を置く。彼に信頼する者は、失望させられることがない。」ローマ人への手紙9章30−33節

義を追い求めなかった異邦人は義を得ました。信仰による義です。世の罪を取り除く神の小羊として来られた主イエスを、キリスト(救い主)と信頼し、我の上に小羊イエスを頭として迎えることによる義です。「義」という漢字は非常に聖書的です。

しかしイスラエルは、まじめに熱心に義の律法を追い求めながら、義を得ることができませんでした。信仰によって追い求めることをしないで、行いによるかのように義を追い求めたからです。

イスラエルは「つまずきの石」につまずいたのだとパウロは語ります。「つまずきの石」とは、主イエス・キリストです。つまずきの石につまずき、妨げの岩によって挫折させられる人は幸いです。主イエスに信頼する者は失望させられることがないからです。