古利根の流れのほとりに植えられて

「古利根の流れのほとりに植えられて」

 野町真理(のまちしんり) 杉戸キリスト教会牧師

杉戸キリスト教会は、日光街道沿いの埼玉県北葛飾郡杉戸町清地にあります。東武スカイツリーラインの東武動物公園駅東口から徒歩10分程です。東に向かって江戸川を渡ると千葉、さらに利根川を渡ると茨城になります。西に向かって古利根川を渡ると宮代町、日本工業大学があります。南に向かうと春日部で、北千住までは30分ほど。北に向かうと幸手、圏央道幸手ICから10分弱で教会に来れます。

板東太郎と呼ばれる利根川のおかげで関東平野ができ、晴れた日には筑波山や富士山が見えます。徳川幕府は江戸が水浸しにならないように東京湾に注いでいた利根川河口を銚子に移しました。杉戸キリスト教会前の旧日光街道が、かつての利根川土手だったそうです。

杉戸キリスト教会は、旧日光街道の杉戸宿、古利根の流れのほとりに建てられています。内村鑑三の「聖書の研究」には、「埼玉県杉戸町清地会堂にて講演」とあります。戦後、この杉戸町清地に辻浦定俊・みつ子牧師夫妻が移り住み、杉戸を愛し、涙とともに日本同盟基督教団・杉戸キリスト教会が形成されました。近くに教会墓地も与えられました。

杉戸愛児園を1954年から1996年まで併設し、2871名が卒園されました。

辻浦定俊牧師の後、1995年春に高氏博史牧師が、2007年春に野町真理牧師が就任しました。2009年夏に駐車場も与えられました。

いつの時代にも変わらない聖書から、いつまでも残るもの(信仰、希望、愛)を学び続けています。上を向いて、天を見上げて、一緒に旅をしましょう。

<杉戸地域へのプロテスタント福音宣教の歴史>

1875年(明治8年)小島九右衛門 和戸村(現宮代町和戸)にて伝道

1878年(明治11年)10月26日 日本国基督教一致和戸教会設立(信徒13名)

1881年(明治14年)和戸教会の信徒、杉戸に伝道。篠原牧治郎宅に講義所設立

1882年(明治15年)和戸教会会堂完成

1885年(明治18年)5月25日 清地会堂完成。和戸教会信徒65名

1886年(明治19年)和戸・杉戸の信徒による粕壁(現春日部市)伝道

1940年(昭和15年)戦時体制などにより消滅状態となり、清地の教会堂は町へ移管される。

<日本同盟基督教団・杉戸キリスト教会の歴史>

1948年 日本同盟基督教団再建発足

1950年頃 生越實蔵牧師・ラオ宣教師 伝道

1951年4月-1952年3月 保坂松蔵神学生 伝道

1952年4月-1953年3月 辻浦定俊神学生 伝道

1953年4月 辻浦定俊神学生 杉戸キリスト教会へ赴任決定。神学校から出張伝道

1953年6月29日 杉戸町と公民館(会堂)売買契約締結

1953年8月7日(2003年度総会にて創立記念日に決定)
杉戸町から公民館が杉戸キリスト教会へ移管。辻浦定俊牧師教会へ転居

1954年4月 杉戸保育園(愛児園)開設

1977年3月15日 宗教法人認証

1981年1月18日 新会堂献堂

1995年3月31日 辻浦定俊牧師辞任

1995年4月1日 高氏博史牧師就任

1997年3月 愛児園終了・休園

2000年11月26日 総会にて愛児園閉園決定

2007年3月31日 高氏博史牧師辞任

2007年4月1日 野町真理牧師就任

2009年8月30日 隣接地買い戻し感謝礼拝と記念撮影

2013年 教会創立60周年

続く・・・

★ビジョン


『そして、彼を外に連れ出して仰せられた。
「さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。」
さらに仰せられた。「あなたの子孫はこのようになる。」彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。』創世記15章5-6節

 1、星の数ほど老若男女が満ちあふれる教会、行列のできる教会
 2、日々みことばに聴く祈りをし、主の祈りに沿って熱心に願い求める教会
 3、天から聖霊を受け続けることにより、与える幸いに生きる教会
 4、熱い祈りによって信仰、希望、愛、そして賛美が満ちあふれる教会
 5、人と緑を生かしてオアシスを再創造する教会
 6、魂を救い、人を育てることによって神の国を建て上げ、世界を変える教会
 7、日本とアジアと世界に仕える教会(JAWS21:地域、宣教区、国内、国外)

★5つの目的に基づいた教会の働き

 1、礼 拝ーあなたは神の喜びとしてデザインされた
 
 2、交わりーあなたは神の家族としてデザインされた
 
 3、成 長ーあなたはキリストのようにデザインされた
 
 4、奉 仕ーあなたは神に仕えるためにデザインされた
 
 5、宣 教ーあなたは使命(魂の救いと人育て)のためにデザインされた

★目的志向の人生と教会を目指して

 参照聖書箇所:ルカ福音書10章38節-11章13節

ある時主イエスが祈っておられました。「天と地がつながっているような祈りだ。私もあんなふうに祈りたい。」そんな憧れを弟子たちに抱かせるお姿でした。ですから、「主イエス様。祈りを教えてください。」そう弟子の一人が尋ね求め、素直に聴く祈りをしました。その時主イエスが「祈る時にはこう祈るんだよ。」と教えてくださったのが主の祈りです。

主の祈りをひっくり返すと、以下のような大変恐ろしい祈りになります。主の祈りを自分の祈りとし、「目的志向の人生」を日々選び取るために、ぜひ覚えてください。そしてこの祈りに絶対にアーメン(それが私の心からの願いです)と言わないでください。無意識に祈ることがあっても、意識的には祈らないでください。悪魔的な祈りで、これ以上的外れで罪深い祈りはありませんから。これは、善悪の知識の木の実を食べた者の恐ろしい祈りですから。

自分の名前があがめられ、ほめられますように。

自分を中心とした自分の思い通りになる国が来ますように。

私の願い、考え、計画が、その通りになりますように。

私が今日もがんばって、日ごとの糧を得よう。(神など必要ない)

誰でも私に罪を犯す者があるなら、絶対に赦さないで、必ず報復しよう。

私は自分の力であらゆる誘惑に打ち勝つことができ、

 自分で自分を悪から救い出すことができる。(救い主など必要ない)

国と、力と、栄え、世界に満ちるすべてのものは、私(俺)のものだ。

これは「罪人の自己中心な祈り」です。正直にあなたの心の中をのぞいて見てください。心密かに願っている本音がこのような内容と方向性であるなら、あなたも聖書の言う「罪人」です。行き着く先は死と永遠の滅びです。しかし主の祈りの行き着く先は、喜びと感謝と永遠のいのちです。どちらに向かって生きるのか、あなた自身が日々選び取らなければなりません。

以前の私は、主の祈りをひっくりかえした内容をいつも願い求めていました。けれども、死と永遠の滅びに向かって暴走していた私のために、十字架で命を捨ててくださり、よみがえった主イエスによって、主の祈りの指し示す内容を目指して、喜んで生きるように変えられたのです。「まず向きを確認し、次にその方向性で、聖霊を与えてくださる天の父にあつかましいほど熱心に祈り続けなさい!」そう主イエスは教えておられます。

用いられれば用いられるほど、目に見える結果が出せれば出せるほど、すべての栄光を神にお返しすることが難しくなります。自分に栄光を帰したいという誘惑、神を十字架につけて殺し、自分が神になりたいという誘惑がますます強くなるからです。

ですから電波時計のように、毎日聖書に耳を傾けて聴く祈りをし、主の祈りがコンパスのように指し示している向きに軌道修正しながら生きる。そうすれば、造られ、救われ、生かされ、杉戸キリスト教会に神の家族として呼び集められている本来の目的に導かれた、目的志向の人生を生きることができます。

わたしはあなたがたのために立てている計画を
よく知っているからだ。
ー主の御告げ。ー
それはわざわいではなくて、
平安を与える計画であり、
あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。
旧約聖書 エレミヤ書29章11節

杉戸キリスト教会
住所:〒345-0025
埼玉県北葛飾郡杉戸町清地1-1-30(グーグルマップ参照可)
電話:0480-34-3002
メールアドレス:lovesugito@gospel.sakura.ne.jp(@は小文字にして下さい)
杉戸キリスト教会清地チャペル

杉戸キリスト教会地図2016

礼拝メッセージ「いのちの水の川」

礼拝メッセージ「いのちの水の川」(クリックで聴けます)

聖書箇所:ヨハネの黙示録22章1ー7節

御使いはまた、私に水晶のように光るいのちの水の川を見せた。それは神と小羊との御座から出て、都の大通りの中央を流れていた。川の両岸には、いのちの木があって、十二種の実がなり、毎月、実ができた。また、その木の葉は諸国の民をいやした。黙示録22章1-2節

昨年5月末から一緒に耳を傾け始めた黙示録も、いよいよ最後の章になりました(メッセージは教会のホームページにて配信しています)。聖書最後の章でもあるこの大切な章を、3回に分けて味わいましょう。まず今日は「いのちの水の川」のビジョンです。

いのちを育む川が豊かに流れ、いのちの木が中央にあったエデンの園(喜びの園)から追放され、その後続く長くて曲がりくねった旅路は、新しい天と新しい地、聖なる都エルサレムにて終わりを迎えます。

そこには、水面が水晶のようにキラキラ光るいのちの水の川があります。いのちの水の川は、神と小羊との御座から出て、都の大通りの中央をゆったりと流れています。

川の両岸にはいのちの木があり、12種の実がなり、毎月実を実らせます。そしていのちの木の葉は、諸国の民をいやす効用があります。

そこに至る旅路において、あまりにも悲しみや苦しみが多いので、神はいやしをもたらすいのちの木と、それを育むいのちの水の川を備えていてくださるのでした。そこはエデンの園よりも素晴らしい所です。