「ボクシングバイブル」December 26, 2024
The Bibleには、ボクシング・拳闘が出てくる箇所がある。
競技をする人は、あらゆることについて節制します。
彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、
私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです。
ですから、
私は目標がはっきりしないような走り方はしません。
空を打つような拳闘もしません。
むしろ、
私は自分のからだを打ちたたいて服従させます。
ほかの人に宣べ伝えておきながら、
自分自身が失格者にならないようにするためです。
(新約聖書コリント人への手紙第一9章25ー27節)
朽ちない冠を受けるために節制する。
目標がはっきりしないような走り方はしない。
自分自身が失格者にならないように、
自分のからだを打ちたたいて服従させる。
ボクサーのようなライフスタイルが語られる中、
「空を打つような拳闘もしません。」と語られる。
空を打つような拳闘。
それは、相手がいるものと仮想して一人で打ち合いの練習をする
シャドーボクシングではない。
試合で相手に当たらないパンチを打つようなボクシングのことだ。
当たらないパンチを打つほど、疲れるだけで相手を倒すことはできない。
カウンターパンチをくらってノックアウトされるのが落ちだ。
実は信仰生活において、
空を打つような拳闘をしているクリスチャンが多いように感じる。
ただがむしゃらにパンチを繰り出すように祈っても、
祈りが応えられることはまれだ。
みこころという的をしっかり見据えて、
具体的な祈りをすることが、空を打たない拳闘につながる。