2025年3月5日の聖書と祈り会メッセージ。
哀歌を読む1ああ、ひとり寂しく座っている。聖書は哀歌1章1−11節。
ともに聞く聖書はこちらhttp://graceandmercy.or.jp。
資料はこちらhttps://flic.kr/p/2qQ9L66
「エルサレム」タグアーカイブ
ガリラヤのナザレという町の一人の処女 November 26, 2024
「ガリラヤのナザレという町の一人の処女」November 26, 2024
さて、その六か月目に、御使いガブリエルが神から遣わされて、
ガリラヤのナザレという町の一人の処女のところに来た。
この処女は、ダビデの家系のヨセフという人のいいなずけで、
名をマリアといった。
(新約聖書ルカの福音書1章26−27節)
受胎告知を受けてJESUSの母とされたマリアは、
「ガリラヤ」の「ナザレという町」の一人の処女だった。
ガリラヤとは、
ユダヤのエルサレムとは対照的な異邦人の地、
アウトサイダーの地である。
見捨てられている苦しみがあり、
闇の中を歩み、
死の陰の地に住んでいた者たちの地。
閉塞感に覆われた地。
それがガリラヤである。
さらにナザレという町は、
「ナザレから何か良いものが出るだろうか。」
と馬鹿にされていた田舎町である。
「ユダヤのエルサレムではなく、ガリラヤのナザレという町」
それは私に言わせれば、
「メトロのトーキョーではなく、フルトネのスギトという町」となる。
JESUSは、首都ではなく地方を顧みて、特別祝福してくださる。
今日も杉戸町、宮代町に住んでおられる方々、
杉戸町、宮代町に来られる方々の上に、
JESUSの祝福と守りが豊かにありますように。
杉戸キリスト教会牧師 野町真理
聖書と祈り会2022-05-11 使徒の働き1 エルサレムから始まる世界宣教
2022年5月11日の聖書と祈り会メッセージ。
使徒の働き1 エルサレムから始まる世界宣教 。聖書は使徒の働き1章1ー14節。
聴くドラマ聖書はこちらhttps://graceandmercy.or.jp/app/。
資料はこちらhttps://flic.kr/p/2njUmXT
聖書と祈り会 2022-04-27
杉戸キリスト教会では、水曜14時からと20時から、聖書と祈り会を行います。マスクをしてお集いください。祈ってほしいことなどがありましたら、祈りのリクエストもお寄せください。
gospel.sakura.ne.jp/sugito/
礼拝メッセージ「聖なる都エルサレム」
聖書箇所:ヨハネの黙示録21章9ー27節
都には、これを照らす太陽も月もいらない。というのは、神の栄光が都を照らし、小羊が都のあかりだからである。諸国の民が、都の光によって歩み、地の王たちはその栄光を携えて都に来る。都の門は一日中決して閉じることがない。そこには夜がないからである。こうして、人々は諸国の民の栄光と誉れとを、そこに携えて来る。しかし、すべて汚れた者や、憎むべきことと偽りとを行う者は、決して都に入れない。小羊のいのちの書に名が書いてある者だけが、入ることができる。黙示録21章23-27節
もはや海がなく、孤独もなく、死もなく、悲しみの涙もなく、叫びもなく、苦しみもなく、のろわれるものもなく、夜がない新しい天地・新しい世界。
そこにはエルサレムという名の聖なる都があります。神の栄光であられる小羊イエスが都を照らし、そこには夜がないので、都の門は一日中決して閉じることがありません。
人々は、諸国の民の栄光と誉れとを、その都に携えて来て門をくぐり、すべての栄光を神に帰し、都上りの旅を終えます。
けれども、「すべて汚れた者や憎むべきことと偽りとを行う者は、決して都に入れない。小羊のいのちの書に名が書いてある者だけが、入ることができる。」とみことばは語っています。方向転換をして生き方が変えられ続ける真の悔い改めがいつも必要です。
聖なる都エルサレム
都には、これを照らす太陽も月もいらない。というのは、神の栄光が都を照らし、小羊が都のあかりだからである。諸国の民が、都の光によって歩み、地の王たちはその栄光を携えて都に来る。都の門は一日中決して閉じることがない。そこには夜がないからである。こうして、人々は諸国の民の栄光と誉れとを、そこに携えて来る。しかし、すべて汚れた者や、憎むべきことと偽りとを行う者は、決して都に入れない。小羊のいのちの書に名が書いてある者だけが、入ることができる。黙示録21章23-27節
もはや海がなく、孤独もなく、死もなく、悲しみの涙もなく、叫びもなく、苦しみもなく、のろわれるものもなく、夜がない新しい天地・新しい世界。
そこにはエルサレムという名の聖なる都があります。神の栄光であられる小羊イエスが都を照らし、そこには夜がないので、都の門は一日中決して閉じることがありません。
人々は、諸国の民の栄光と誉れとを、その都に携えて来て門をくぐり、すべての栄光を神に帰し、都上りの旅を終えます。
けれども、「すべて汚れた者や憎むべきことと偽りとを行う者は、決して都に入れない。小羊のいのちの書に名が書いてある者だけが、入ることができる。」とみことばは語っています。方向転換をして生き方が変えられ続ける真の悔い改めがいつも必要です。