第二のアダム オンライン礼拝2020-05-17

動画(YouTube)によるオンライン礼拝はこちらです。

音声(LOVE SUGITO RADIO)によるオンライン礼拝はこちらです。

式次第は以下の通りです。

2020年 5月17日 第2主日オンライン礼拝式
前   奏
賛   美  讃美歌312 いつくしみ深き

使徒信条
 われは天地の造り主、全能の父なる神を信ず。
 われはそのひとり子、われらの主、
 イエス・キリストを信ず。
 主は聖霊によりてやどり、おとめマリヤより
 生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、
 十字架につけられ、死にて葬られ、よみにくだり、
 三日目に死人の内よりよみがえり、天にのぼり、
 全能の父なる神の右に座したまえり。かしこより
 来たりて生ける者と死ねる者とを裁きたまわん。
 われは聖霊を信ず。聖なる公同の教会、
 聖徒の交わり、罪のゆるし、からだのよみがえり、
 とこしえの命を信ず。アーメン

主の祈り(マタイ福音書6章、ルカ福音書11章参照)
 天にましますわれらの父よ。
 願わくは御名をあがめさせたまえ。
 御国をきたらせたまえ。
 みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
 われらの日用の糧を、今日も与えたまえ。
 われらに罪を犯す者を、われらが赦すごとく、
 われらの罪をも赦したまえ。
 われらを試みにあわせず、
 悪より救いいだしたまえ。
 国と力と栄えとは、
 限りなくなんじのものなればなり。アーメン

祈   り  
賛   美  讃美歌122 みどりもふかき
聖   書  1コリント人への手紙15章35−49節
メッセージ 「第二のアダム」
賛   美  讃美歌532 ひとたびは死にし身
献   金  感謝と献身の告白として
祈   り  
頌   栄  讃美歌543 主イエスのめぐみよ
祝   祷  
後   奏  主に栄光あれ
報   告  その他

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メッセージアウトラインは以下の通りです。

第二のアダム(メッセージアウトライン)
2020年 5月17日 第3主日 オンライン礼拝式 杉戸キリスト教会から
聖書:1コリント人への手紙 15章35−49節

導入:人間のいのちの本質と不思議さ

救いの構造 神のかたちの福音

聖書は、人間のいのちの本質と不思議さを「からだ性」と「霊性」を併せ持った存在として説明している。

からだ性=身体、肉体、血肉。  外科、内科、小児科、耳鼻咽喉科、眼科、歯科、呼吸器科・・・

霊性=霊、魂、精神、心、意識。 スピリチャルケア。心療内科。クリスチャンによるケア・カウンセリング(話をよく聴く+実際的な聖書の学び)。ナースクリスチャン(NCF)、チャプレン、牧師。

起:死者はどのようにしてよみがえるのか。どのようなからだで来るのか?(35-36節)

35 しかし、「死者はどのようにしてよみがえるのか。どのようなからだで来るのか」と言う人がいるでしょう。 36 愚かな人だ。あなたが蒔くものは、死ななければ生かされません。 37 また、 あなたが蒔くものは、後にできるからだではなく、麦であれ、そのほかの穀物であれ、ただの種粒です。

ヨハネ福音書12:24 まことに、まことに、あなたがたに言います。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままです。しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます。

承:しかし神は、みこころのままに、それにからだを与え、それぞれの種にそれ自身のからだをお与えになります。(38-41節)

38 しかし神は、みこころのままに、それにからだを与え、それぞれの種にそれ自身のからだをお与えになります。 39 どんな肉も同じではなく、人間の肉、獣の肉、鳥の肉、魚の肉、それぞれ違います。 40 また、天上のからだもあり、地上のからだもあり、天上のからだの輝きと地上のからだの輝きは異なり、 41 太陽の輝き、月の輝き、星の輝き、それぞれ違います。星と星の間でも輝きが違います。

転:死者の復活もこれと同じです。・・・血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされるのです。(42-44節)

42 死者の復活もこれと同じです。朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものによみがえらされ、 43 卑しいもので蒔かれ、栄光あるものによみがえらされ、弱いもので蒔かれ、力あるものによみがえらされ、 44 血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされるのです。血肉のからだがあるのですから、御霊のからだもあるのです。

結:「最初の人アダムは生きるものとなった。」しかし、最後のアダム(第二のアダム)はいのちを与える御霊となりました。(45-49節)

45 こう書かれています。「最初の人アダムは生きるものとなった。」しかし、最後のアダムはいのちを与える御霊となりました。 46 最初にあったのは、御霊のものではなく血肉のものです。御霊のものは後に来るのです。 47 第一の人は地から出て、土で造られた人ですが、第二の人は天から出た方です。 48 土で造られた者たちはみな、この土で造られた人に似ており、天に属する者たちはみな、この天に属する方に似ています。 49 私たちは、土で造られた人のかたちを持っていたように、天に属する方のかたちも持つことになるのです。

最初の人アダム=土地のちり(アダマー)から形造られ、神のいのちの息・霊が吹き込まれて生きた者となった最初の人間(アダム)。それは私たち。

最後の・第二のアダム=イエス・キリスト=私たちと同じ肉体となってくださった神のことば。すべての人の代表。

「焚き火を囲んで聴く神の物語・対話篇 大頭眞一(おおずしんいち)と焚き火を囲む仲間たち」より
 第2章 アダムの目にも涙 参照

結論:第二のアダムである主イエス・キリストは、いのちを与える御霊となられた。土で造られた人のかたちを持っている私たちは、死者の復活によって、天に属する方のかたちも持つことになる。

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永眠ではなく

永眠ではなく

杉戸キリスト教会地図2016

礼拝メッセージ「聖霊の守り人」

礼拝メッセージ「聖霊の守り人」(クリックで聴けます)

聖書箇所:1コリント6章12−20節

15あなたがたのからだはキリストのからだの一部であることを、知らないのですか。
 キリストのからだを取って遊女のからだとするのですか。そんなことは絶対に許されません。
16 遊女と交われば、一つからだになることを知らないのですか。
「ふたりは一体となる」と言われているからです。
17 しかし、主と交われば、一つ霊となるのです。
18 不品行を避けなさい。人が犯す罪はすべて、
 からだの外のものです。しかし、不品行を行う者は、自分のからだに対して罪を犯すのです。
19あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、
 あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。
20あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。
 ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。
1コリント6章15−20節

礼拝メッセージ「宇宙戦争」

礼拝メッセージ「宇宙戦争」(クリックで聴けます)

聖書箇所:ヨハネの黙示録12章1ー18節

また、別のしるしが天に現れた。見よ。大きな赤い竜である。七つの頭と十本の角とを持ち、その頭には七つの冠をかぶっていた。その尾は、天の星の三分の一を引き寄せると、それらを地上に投げた。また、竜は子を産もうとしている女の前に立っていた。彼女が子を産んだとき、その子を食い尽くすためであった。女は男の子を産んだ。この子は、鉄の杖をもって、すべての国々の民を牧するはずである。その子は神のみもと、その御座に引き上げられた。黙示録12章3-5節

黙示録12章には、神の国と悪魔の国の宇宙戦争が啓示されています。最初の場面は、クリスマスを巡っての霊的戦いです。イエス・キリストがクリスマスに降誕なさる時、大きな赤い竜として描かれる悪魔は、産まれて来る幼子イエスを食い尽くそうと待ちかまえていたのでした。

二つ目の場面は、天における天使たちと悪魔たちの戦いです。巨大な竜、悪魔とかサタンとか呼ばれて全世界を惑わすあの古い蛇は、その使い(悪霊たち)とともに、天から地上に投げ落とされました。

三つ目の場面は、地上に投げ落とされた悪魔が怒り狂って神の民(主イエスに従うキリスト者たち)に戦いを挑む場面です。

日夜キリスト者たちを神の御前で訴えていた悪魔は、既に天から投げ落とされました。キリスト者は、小羊イエスの十字架の血と、自分たちのあかしのことばによって、悪魔に打ち勝つことができるのです。

U2 魂の歌を求めて WALK ON: THE SPIRITUAL JOURNEY OF U2

「普通の社会で通用しないなら、そりゃあダメでしょ!」

ぜひお勧めの本です!

霊肉二元論の克服のために

敬虔のための鍛錬(マタイ4:1-4)
河野勇一(緑キリスト教会牧師・現東海聖書神学塾塾長)
クリスチャン市民の会「アーモンド」No.3より引用

物質文明を謳歌している現代。その豊かさを楽しむ一方で、人間性や心の回復の必要を訴える声があちこちから聞こえてきます。そんな時に、クリスチャンならずともよく引用する聖書の言葉に、「人はパンだけで生きるのではない」があります。これを引用する人は、人間は物質的なものだけでは満たされない精神的・霊的な存在だから、パンによって肉体の必要が満たされるだけでなく、神の言葉によって心(霊)も満たされなければ生きることはできない、と言いたいようです。

しかし、このポピュラーなみ言葉の使い方は、誤った解釈に基づいています。ギリシャ的な霊肉二元論の影響を受けて、パン(物質的領域)と神の言葉(霊的領域)を別々の領域のものと考えているからです。物質も大切だが霊も大切だ、という考え方は、物質の問題は霊の問題とは関係ない、という考えに容易におちいってしまうのです。

荒野での誘惑において、サタンは空腹のイエス様に向かって、「あなたには人人を救うための大事な仕事がある。あなたは生きなければならないし、あなたは神の子で奇蹟を行う能力もある。いま、その力を使って石をパンに変え、そして神から託された仕事をしなさい」と語ったのでした。

それに対する答えとして、イエス様が引用されたのがこのみ言葉で、申命記8章からのものです。そこには、荒野での40年間、食べ物も水もままならない環境の中で、神が天からの食物(マナ)によってイスラエルの民を養われたのは、人は神に養われ、守られ、生かされている存在であるということをわからせるためであった、と書かれています。

ですから、イエス様がこのみ言葉を引用しておっしゃりたかったことは、「サタンよ、黙れ。人はパン自体で生きているのではなく、パンを創造し、それをご配慮によって与える神ご自身のみ言葉によってこそ生かされているのだ。だから、私は自分の力でパンを獲得することはしない。この父なる神のみ心に全てをゆだねて生きるのだ」ということです。ここにおいて二元論は克服され、パンをも含めた一元的な神の支配への信頼が語られています。

このように考えますと、飽食の時代に生きるクリスチャンにもサタンが同じように誘惑の手を伸ばしていることが見抜けてきます。あり余る食料に囲まれて自分のお金で自由に好きなものを選べる私たちの生活から、日毎のパンを主に求める祈りが消えます。また、日毎の糧が主から与えられているという感覚がマヒして、感謝がなくなるのです。

そんな中でのこのみ言葉の二元論的誤用は、物質的な事柄を信仰の範囲外のこととする考えを生み、浪費やぜいたくの是認につながりかねず、サタンの誘惑を助長しこそすれ、これに打ち勝つ力にはならない、と言えるのではないでしょうか。

クリスチャンのシンプルライフ指向が、単なる資源の節約や博愛精神ーそのこと自体、もちろん大切なことですがーに終わらないで、信仰生活に統合されるためには、霊肉二元論的な思考からくる、肉体的・物質的な生活と霊的・信仰的な生活との遊離という誤りを克服しなければなりません。

テモテへの手紙第一(4:1-11)において、パウロも二元論に基づく禁欲主義という悪霊の教えに警告をうながし、すべてのものに感謝する生き方を教えています。

ここでパウロが言う「敬虔のための鍛錬」(4:7)とは、まず、すべてのものが神の口から出たみ言葉によることを理解し、次にそれらを「神のことばと祈りとによって、聖めて」(4:5)用いる生き方のことです。すなわち、ひとつひとつのものを神の目的にしたがってふさわしく、適量、しかも楽しんで用いるところの「感謝の鍛錬」です。その意味で、シンプルライフとは、クリスチャンが「本当に霊的なライフスタイル」を確率するための鍛錬としてとらえるべき信仰のわざなのです。

礼拝メッセージ「土地のちりといのちの息」

土地のちりと命の息

礼拝メッセージ「土地のちりといのちの息」(クリックで聴けます)

聖書箇所:創世記2章4-7節

神である主は土地のちり(アダマー)で人(アダム)を形造り、その鼻にいのちの息(神の霊)を吹き込まれた。そこで人は生きものとなった。創世記2章7節

これまで見てきた創世記1章から2章3節には、天地万物の創造の中で、そのクライマックスとして、人間の創造が取り上げられていました。

創世記2章4節からは、創造の冠、最高傑作としての人間に改めてカメラが向けられ、人間がクローズアップされ、スローモーションで描写されています。

人間が神のかたちに基づいてデザインされているというのはどういう意味なのか。そのことが、3つのアングル・視点から紹介されていきます。最初のアングルは、いのちという視点から見た神のかたちです。

上記のみことばを原語で読むと、「人」と訳されていることばは「アダム」です。これは人間を意味する男性形の単語です。興味深いことに、「土地」と訳されていることばは「アダマー」となっており、これはアダムと同じ単語の女性形です。

人が土地のちりから形造られたとき、まだいのちを持つ生きものではありませんでした。いのちの源である主なる神が、その鼻にいのちの息(神の霊)を吹き込まれた時、人は生きものとなったのです。